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平尾のブログ

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2023年2月の記事一覧

 「あの人のせい」というのは「あの人のしわざ」ということ(856)

「あの人のせい」というのは「あの人のしわざ」ということ(856)

私たちは時々、「悪いのは○○のせいだ」などと言うことがあります。この「せい」とは漢字ではどのように書くのでしょうか。「性」でしょうか。それとも。。。

調べてみると、「所為」と書くことがわかりました。「所為」(もともと、しょいと読みますが、せいとも読みます)とは「為す所」ですから、「しわざ、行い、原因」の意味を持っています。

「人のせい」すなわち「人の所為」は、その人が為したこと(したこと)が原

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目が見えないのではなく、目が暗い (855)

目が見えないのではなく、目が暗い (855)

私たちは、昔から使われてきた言葉をいつからか使わなくなってきていることに気づくことがあります。たとえば、「めくら」「盲」「盲人」という言葉は、差別語だとして使われなくなってきています。(今では、 「視覚障害者」と呼んでいます。)

今回は、あえて「めくら」を「目が暗い」という意味で取り上げて考えてみたいと思います。(差別語について議論するものではないことを、理解してください。)

まず、「目が暗い

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なにものにも邪魔されない真理の世界がある (854)

なにものにも邪魔されない真理の世界がある (854)

世の中の出来事は、目の前にあるものを見聞きして、感じ取り、思いを馳せるのが一般的です。それらは、時間とともに変化していってるのを認識できます。因(直接条件)と縁(間接条件)が合わさり為(な)すことで果となる(有る)という意味で、「有為(うい)」と呼びます。ものごとが変わっていくので、恒常的(常なる状態)では無いことになるがために、「無常」とも呼びます。

それでは、「為(な)すことで有る」に対する

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『善の研究』における「宗教」 

『善の研究』における「宗教」 

西田幾多郎の『善の研究』の中には、「宗教」の編があります。『善の研究』は、「純粋経験」「実在」「善」「宗教」の四つの編で構成されています。

・「純粋経験」は西田哲学の根底となるもの
・「実在」は西田哲学の始まり
・「善」は西田哲学のプロセス(独立した倫理学)
・「宗教」は哲学の終結

もともと哲学とは、「人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問」のことです。西田は、

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心で感じる全ての現象を五つのグループに分ける (853)

心で感じる全ての現象を五つのグループに分ける (853)

人間の精神作用を含め、全ての現象を分かりやすく五つのグループに分ける考え方があります。ポイントを示してみましょう。

ものごとは、原因と縁(えん、条件や環境)によって結果として現れます。それらは、目の前に起きるものです。恒常的に存在するものは無く、変化しているのです。別の言い方をすると、すべてのものごとは変化しているのであり、常なるものは無いのだと言えます。ここで「すべてのものごと」は「諸々の行為

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