『善の研究』における「宗教」
西田幾多郎の『善の研究』の中には、「宗教」の編があります。『善の研究』は、「純粋経験」「実在」「善」「宗教」の四つの編で構成されています。
・「純粋経験」は西田哲学の根底となるもの
・「実在」は西田哲学の始まり
・「善」は西田哲学のプロセス(独立した倫理学)
・「宗教」は哲学の終結
もともと哲学とは、「人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問」のことです。西田は、哲学を宗教と捉え、そして善行為を道徳と捉えています。
ここで、「宗教」という言葉について注意しておかねばならないことがあります。それは、一般的な使い方の宗教とは「人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義」を意味しています。
それに対して西田は、「宗教」に「大いなるはたらき、大人格」という意味を持たせているのです。さらに西田は、「神」を人の奥底にあるもの(いわゆる本来の自己)と定義しています。いわば、唯我独尊ということになります。このことを禅的に表現すると、人間には本来の自己(本性・仏性)があり、本来の自己があるがままに受け入れてはたらく(言動などに出る)ということになります。
純粋経験をして、あるがままに受け入れて、本来の自己がはたらくことを経験(体感)すれば、はたらいた結果が実在であると分かり、さらには人格として他から評価されることになるのです。いわば、当たり前のことが「宗教」なのです。
最後に西田は、「我は神を知らず我唯神を愛す、又は之を信ずという者は、最も能く神を知り居る者である」と言います。これは、宗教の根本に相似ています。すなわち、宗教は信じるものなのです。禅的に言うと、禅を学ぶ者は仏心を信じなければならない、これを初発心(しょほっしん)と言います。信じる者は救われるのです(もちろん、多大なる努力・修行が必要になります)。
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