見出し画像

私、転職するの! また最初の職業に戻ることにする!最初の職業っていうのはね…

ごぶさたしております。生きています。私です。

前回の転職話にたくさんの❤️がついていて、感謝。いっぱいちゅき!

2022年の5月くらいに転職活動をし、8月に今の仕事に就いた私。

あれから1年と半年が経った。

そして現状はどうなのかというと、

「私、転職するの! スパッといっちゃおうかなって!」

転職することにした。今の仕事の在職期間は1年7ヶ月。2年未満で仕事を辞めるのは最短記録になる。

塾の仕事を辞めて次に何になるのか?

聞いて驚いてほしい。

学校の先生になる。

たくさんの失敗体験とトラウマを植え付けられて「もう学校の先生なんてコリゴリだー!」と騒いでいた私だが、4月から再び学校の先生になる。

一体、私に何があったのか。

学校という地獄に等しき場所から距離を置き、安寧の生活を送っていた私が、なぜ自らその地獄へ再び飛び込もうとしているのか。

今回は、その経緯について話そうと思う。

昨年は塾業界2年度目を迎えた。

4月から新学期がスタートし、各学校から塾関係者向け学校説明会の案内が届く。「おたくの生徒さんに、ぜひうちの学校を紹介してください」というやつ。

「ネットや偏差値の情報だけでは分からないから、実際に自分の目で学校を見にいくのも勉強になると思うよ」

と校舎長に言われ、案内がきた学校の説明会に片っ端から参加した。

久しぶりに学校という場所に足を踏み入れ、教員だった頃の自分に思いを馳せる。

校長の挨拶から始まり、学校の教育方針、カリキュラム紹介、進路実績などを担当の先生がプレゼンする。

先生の自校の生徒のことを楽しそうに話し、スライドには生徒達の頑張っている写真がたくさん並んでいる。配られた学校案内のパンフレットも楽しそうな子どもたちの姿。

いくつかの学校では、説明会のあとで学校見学を実施していて、授業風景や休み時間の様子など、実際の生徒達の様子を見ることができた。

色んな学校の授業風景を見学をしながら、私の中にある想いが湧き上がってきた。

「学校の先生、楽しそうだな…」

子供たちの授業を受けている姿や、教壇で話している先生方を見ていたら、再びあの場所に戻りたい気持ちにかられた。

教師を辞めていなければ、私は今もあの場所にいた。

もしかして私の居場所は、学校だったのではないか。今でもたまに学校の先生をしている夢を見る。まだ私の中に教員でありたい気持ちが残っているのかもしれない。

そこで私は教員用の転職サイトへ会員登録をしてみることにした。別に登録したからといって絶対に学校の先生にならなければいけないわけではない。登録は無料だし、良い求人があれば面接受けてみよう。

そんな思いで会員登録をし、そのサイトが主催している教員採用合同説明会にも申し込んでみることにした。

これも転職を視野にとかではなくて、ただ話を聞きにいくだけのつもり。というか、そもそも採用説明会なんて参加者は教員志望の大学生か、キャリア3年目くらいの若手教員が主な層のはず。私のようなある程度社会人経験を積んだ年齢の人は場違いかもしれない。絶対に居心地がよくないに違いない。

採用側も

「私たちは将来有望な若い先生を求めてるんだ。君みたいないくつになっても自分を見つけられずにいるような、難ありの人間はお呼びじゃない。立ち去りたまえ!」

とかいう目で見てくるに違いない。

しかし、可能性が0.0001%でもあれば行って損はない。例え何も得られなかったとしても、無駄になるのは会場までの数百円の交通費と、休日の数時間くらい。その程度なら、家でゴロゴロしているよりはマシかなと。

それに居心地が悪く冷たくあしらわれることも経験になる。

「私のような人間を学校は求めていないんだな。もう学校の先生になりたいと思うのは止めよう。きっと転職したいというのはただの『逃げ』でしかない。甘えているだけなんだ。だからもっと今の仕事にしっかり向き合って、これからは塾屋としての人生を生きていこう!」

と決意することができるので、これはこれで良い機会になるだろう。

だから1時間程度滞在して、コテンパンにされて、

「もう二度と教師になりたいだなんて思いません、私が馬鹿でした。ごめんなさい」

と涙を流しながら帰りの電車に揺られるつもりでいた。

辛い思いをして、数日間は引きずり鬱になるだろう。心の中が地獄になる。それが分かっているのに、飛び込んでいく。自分から傷ついて苦しもうとする。相変わらず変態だと思うが、そんな自分は嫌いじゃ無い。むしろ好き。ドMだからね。

そのイベントでは、自分の専門教科の札を首からぶら下げて入場する。私は受付で「理科」と書かれた札をもらった。

「まぁ、どうせ無視されるのだろう。きっと私のこの姿を見て、来場者と参加校の先生たちは『うわ、あの人、若くないのにまだ仕事探しているんだ。哀れだね。あんな風にはなりたくないね』と後ろ指をさしてくるのだろう。そして大学生や若手教員がチヤホヤされているのを尻目に、惨めな思いをするのでしょうね。

あぁ、だけど、傷つくのは分かっているのに、傷つくつもりでここにきたのに、やっぱり自尊心が踏みにじられるのが怖くなってきた。傷つきたくない。死ぬのは嫌、死ぬのは嫌、死ぬのは…嫌。

今さらだけど、来なければよかったか。今からこの札を返して回れ右するか。敵前逃亡しちゃうか。

だって私は一度教職を捨てた身。辞めてから教員の仕事のことを周りの人にボロクソに言ってしまった。

『教職なんて仕事量と給与が吊り合わなさすぎ。"生徒のために"をお題目に激務を強いる、やりがい搾取のブラック仕事。2度とあんな場に戻りたくないわ!』

って散々言っていたくせに、また戻りたいだなんて。都合が良すぎる。

ごめんなさい。私がクズでした。

もう2度と教職になりたいだなんて言いません…帰りたい」

いざ入場しようとすると緊張と後悔と反省とが入り混じって心拍数が上がってしまった。

しかし、そんな心配は一瞬で吹き飛んだ。

入場した瞬間、私の教科の札を見た参加校の先生がすぐに声をかけてきたのだ。

「理科の先生ですか? 今、うちの学校で理科の先生探してるんです。よかったら、話を聞いていきませんか?」

もう本当に一瞬。新宿駅の東口を出た女の子がナンパ師に声をかけられるくらいのスピード。びっくり。

「理科は専門は何ですか? え、生物なんですか?! それはよかった。ちょうど今、生物できる先生を探していて。他の科目もいけます? なんと、化学基礎も学校で教えていらっしゃったんですか? それは凄い。今まさに生物と化学を教えられる先生を探していて…」

おいおい、マジかよ。

そんなこんなで入場して数秒でブースへ案内され、学校の説明と待遇面と採用面接についての話をされた。

話を聞き終えて、ブースをあとにすると、すぐ他の学校の先生に「うちの学校、理科を探していて、よければ話だけでも…」と勧誘される。

まさに入れ食い状態。

ある程度の話は伺って、他にどこの学校に話を聞こうかウロウロしていたら、案内の先生に声をかけられた。

「どこかお探しですか。ちなみに先生の教科は? あ、理科ですか。理科が専門なら、そりゃあもう、引く手あまたじゃないですか。結構声をかけられましたでしょ?笑

私は◯◯学園の者なんですけど、うちの学校も理科の先生を募集しているので、もしお時間あったらブースへ話を聞きにきてください」

どうやら理科の先生は貴重な存在のようだった。ここで私は自分が「理科の先生」として学校教員をしていたことを実感した。そう、私はかつて「理科の先生」だったのだ。

その後で色んな学校に声をかけられたり、自分からブースへ行き話を聞いたりした。

色んな学校の先生から話を聞く中で、ある学校の教頭から言われたことが胸に響いた。

「こういうイベント、10年前は教員志望の学生さんたちで大賑わいだったんですよ。だけど、もう今年は閑散としています。

学校の先生は激務で給与低いみたいな、そんな世間の評価があるんでしょうね。学校の先生になりたいという学生は明らかに減ってしまった。

そんな中、あなたはまた学校の先生に戻ろうかなと思っていらっしゃる。学校以外の仕事をして、それでもなお、学校の先生になろうとしている。

その想いはきっと本物ですよ。いいな、ぜひうちの学校に来て欲しいな…」

非常にありがたかった。自分のキャリアに悩み、あっちこっちをフラフラしていて、引け目を感じていた私にこんな言葉をかけてくださって。このまま私は学校の先生を目指してもいいのだ、と思うことができた(ちなみにこの学校は家からのアクセスがよくないので、応募はしなかった。申し訳ない)

その日を境に「私はまだ学校の先生として活躍できるのかもしれない」と思い、学校の先生に転職することが選択肢になった。

しかし、まだまだ悩んでもいた。

「また学校の先生に戻りたい。理科の先生として、白衣着て理科の授業がしたい。志望校合格のためではなく、勉強そのものの楽しさを伝えていきたい。私がなりたいのは『理科の先生』なんだよ!」

という気持ちと、

「いやいやいや、あの大変だった日々を思い出せ。授業準備と担任業務と校務分掌とで頭から煙出しまくってた、平日と休日の境目がないような、あの余裕のない毎日を忘れたのか。今度こそ本当に死ぬぞ?」

という気持ちとを抱えていた。

そんな葛藤を抱えつつ全部で4校の採用面接を受け、2つの学校から内定をもらい、1校から次点(内定者が辞退したらお願いしたいとのこと)の話をもらった。

採用率高い。

前回の転職でIT系企業へは10社以上受けて1つも内定もらえなかった。それが学校だとこの採用率である。こんな私を必要としてくれている。嬉しい。

いや、これはただ人手不足なだけで、誰でもいいから採っておきたいだけかもしれない。私はこれまで3つの学校に勤務したけれど、そのどれもが毎回スムーズに話が進み、学校転職で苦労した経験がない。応募しているのに内定をもらえない!と涙を流したことがない。それだけ売り手市場ということに違いない。

内定をもらい「じゃあ4月から俺は学校の先生になる。今の仕事はスパッと辞めちゃいまーす」と決断できたかというと、そこまではまだ定まっていなかった。

「おい、ちょっ、待てよ、正気かよ?

今の仕事を辞めて学校の先生になるの?

今よりもめちゃくちゃ忙しくて心のゆとりがとれなくなるよ?

自ら地獄へ飛び込むなんてどうかしてるぜ。

自分がなぜ教師を辞めたのか、思い出してごらん?」

と引き留める自分もいる。

だがしかし、ここでこのチャンスを蹴ると、「やっぱり教員になりたい」となった時は、再来年度つまり来年の4月からの採用になる。学校は4月〜3月の期間を1つのタームとして区切るから、一般企業みたいに年度途中の入職は難しい(例外として産休や病気などで欠けた教員の代わりとして入職するのはある)

だから、この誘いにのらないと、あと1年は今の仕事を続けることになる。

じゃあ、今の仕事をあと1年続けられるのか?と問われると、それは全く気持ちが乗らなかった。

というのも、今の塾の仕事にやりがいを感じられなくなってしまったからである。

今の塾の仕事は小学生から高校生まで、学校の勉強の補習から難関校受験対策まで、幅広い学年と学習レベルの授業をしている。

子ども達に勉強を教えるのは楽しい。だからこの仕事は悪くないと思っていた。

ただ、上の人から言われたのは、

「社員の君のメイン仕事は授業ではない。授業はバイト講師がすることであって、君の仕事は講師の先生に適切な授業をするように指示したり管理したりすることだ。社員の仕事は生徒や講師の管理と塾生数や売り上げの増加について動くこと。授業は趣味だと思いなさい」

ということ。

言っていることは納得できる。そこは反論しない。社員のメイン仕事は校舎のマネジメント業務。生徒や講師の管理をしたり、毎月の塾生数や売り上げについて考えること。

それは入社前から分かっていたし、いつかはどこかの校舎の責任者として、管理運営していくというキャリアは想定している。

だがしかし、実際に業務にあたってみて、自分がそこでキャリアを積んでいく姿を全く想像できなくなっていた。

また私は理科が専門なので、理科の授業となると意気揚々と臨むのだが、それについても苦言を呈された。

「理科が好きなのは否定しないけれど、社員なら全教科を教えられないといけない。自分の専門の理科だけできればいい、じゃダメだ。そもそも理科は国数英に比べると需要はないのだから、理系講師として最低でも数学は公立高校入試レベルまで教えられるように勉強しなさい」

これもその通りなのは分かる。国数英いわゆる主要3科目に比べると理科の需要は高くない。学生の頃に塾でバイトをしていたが、ほとんどが数学で理科は数えるくらいしかやらなかった。

だけど、やはり勉強して、授業をして、楽しいと思えるのは理科なのだ。

もちろん「理科以外の授業はやりたくありません」などというワガママは言えないので、数学でも英語でも国語でも、授業を充てられたらそれまでに勉強して、それなりのクオリティで授業を実施はする。

しかし、自分が本当にやりたいことは何なのか?ということは常に考えていた。

私は何になりたいのか?

塾屋として子ども達の成績向上と志望校合格の夢を実現させる人になるか。

理科の先生として、理科教育のスペシャリストになるか。

そして考え、悩み、苦しみ、鬱になった結果、

「私がなりたいのは、理科の先生」

という結論に至った。

上から「塾の社員の仕事は、塾屋の君の役割は…」とギャーギャー言われ、当初は「至らぬ私が悪い。もっと頑張って自分の価値を高めなければ」と向上心はもっていた。しかし、この頃には

「うるせぇ! 俺は塾生数とか売り上げとかどうでもいい。俺は授業がしたいんだ。それも理科の授業をしたい。

ってか、理科を蔑ろにするな。俺の愛する教科を馬鹿にするんじゃねぇよ!!」

という反発心に変わってきていた。

学校からは「理科を教えて欲しい」と言われ、今の塾では「理科だけ教えるではダメ」と言われる。どちらの環境で自分が活躍できそうか。考えずとも答えは出ていた。

私は「志望校合格のための理科」ではなく「学問としての理科」を教える方に重きを置きたいのだ。理科は志望校合格の手段ではない。

そもそも私が学校の先生になりたいと思ったのは、

「自分の好きなことを勉強できて、それを伝えて金がもらえるなんて最高。私が理科で感じた感動やワクワクを、子ども達に伝染させてやるぜ!」

という理由からだった。子どもが好きだからとか、勉強を教えるのが好きだからとか、そこがきっかけではない。理科(生物)を教えたいから教師になった。私は自分の好きなことしかできないのだ。

また、塾の仕事をしていて、最近、気づいたことがある。塾には教科に対しての愛がない。恐らく、そこが私が抱く違和感の根本なのではないかと思っている。志望校合格の為の手段としての教科。

だから、私のなりたい私はここにはない。私の居場所は塾ではなかったのだ。

だからといって学校の先生に戻ることに不安がない訳ではない。むしろ不安しかない。学校の先生をしていた時は大変なことがたくさんあったし、失敗もたくさんして、今でもそのトラウマがフラッシュバックして私を苦しめる。

しかし、これまでの人生を振り返って、自分が一番成長して輝いていたのは学校の先生をしているときだと気づいたのだ。

この先、どうなるかは全く分からないけれど、やらずに後悔するならやってから後悔した方がいいかと思った。

今はまだ扶養家族もいないので、仕事選びを失敗しても誰にも迷惑かけない。それに年齢的にもダラダラ過ごすことができなくなってきているので、動ける時にどんどん動くしかない。

生きるのが不器用な私は、とにかく動き回って自分の居場所を見つけるしかないのだ。

そして先月、学校の内定を受諾し、今の職場へ退職の意思を伝えた。今の仕事は3月いっぱいで終わりにして、4月からは学校現場で「理科の先生」として再出発していく。

学校の先生からITエンジニア、そして塾の先生と、あっちこっちをフラフラして自分探しをしていた私だけど、ようやく自分が何をしたいのかを見つけることができた。

私がやりたいのは「理科の先生」だったのだ。

そんなわけで、私は学校の先生として再スタートする。

マイケルジョーダンもバスケから離れた時期あったし、安倍晋三も首相を1回辞めているし、なんかそれと同じ感じかなと。1回離れてから、戻ってくると、今度は以前よりも強くなっているかもしれない。そう願いたい。

これで私の自分探しは落ち着くのか。

来年の今頃にその答えが出る。

「別の仕事に就きたい。やっぱり教職は向いてなかったと思い知らされた。もう、教員なんてゴリゴリだー!」

とか騒いでいないことを祈るばかりである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?