P8 無への接触
その音は、屋内の冷え切った空気全てを、静かに揺らしているような鳴り方だった。
昼前のその時間に、チャイムがなるということは滅多になかった。
田舎町の一軒家にそれを鳴らす人といえば、新人の営業マンか、宗教の勧誘か、せいぜい回覧板ぐらいだろう。
とは云いつつ、かつては同じような時刻によく同じアラームが鳴っていた。
同級生、学校の先生、親戚、ボランティア、ソーシャルワーカーといった人たちが私とコンタクトをとろうとしていたからだ。
彼らは同時に電話も頻繁にかけてきた。
最初は指で数えきれないほどにあったから、一時期は相当騒がしかったものだ。
もちろん全てを拒み続けられたわけでもない。
道義上と言うべきか、社会的責任とも言うべきか、学校は保護者へ連絡する義務があるからだ。
父を通して、私は半ば強制的に彼らと会わなければならない状況があった。
彼らが聞きたいのはもちろん”なぜ学校に行かないのか”だ。
検察官に問い詰められる被告人のように、同じような質問を何度もされた。
けれど私がその質問に対して答えたことは一度もなかった。
答えたくなかったのではない、”答えられない”のだ。
必死に言葉を探すが、彼らが納得するような理由を私はとても思い浮かばなかった。
いいや、私は答えたくなかったのかもしれない。
仮に答えたとしても、彼らがその答えに対して取り合わないことが目に見えているからだ。
彼らは口をひらけば、一般の学生が辿るべき道筋というものを淡々と話していた。
そして彼らが語る一般化された人生論は、私のどこにも触れていないからだ、
知らず知らず自らになにかを植え付け、そのなにかを通して世間に生きる存在。
それが当時の私にとっての”大人”だった。
当時私が望んだのは理解されることではない、
誰からも忘れ去られることだった。
やがて時がたつにつれて、その願いは少しずつ叶っていた。
一人ずつ、着実に私との接触を諦めていった。
そう、存在してはならないのだ。
誰の世界にもわたしは存在してはならないのだ。
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