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決められないなら【決める】と決めればいい

とあるクライアントの話である。

「自分がなにをやりたいのか分からない」

「だから何をやっていくのかとても決められない」という。



こういう人は何事も誰かに判断を委ねてきた傾向がある。

特に親や学校の先生の機嫌を伺いながら生きてきた人が多い。


将来はこのような仕事に就きなさい、だから習い事はあれにしなさい、君の成績ならあの学校がいい、付き合う人はこういう人にしなさい……などなど

書店に行くと、同じような命令形のタイトルに惹かれたりする。


正直、こういう人には深く考えさせられる。

なぜかというと人生に責任を取るという訓練をしたくても出来なかったからだ。

自らの判断のもとに計画し、実行し、フィードバックを受け取り、結果を評価するということが出来なかったのである。

誰かの哲学や価値観に沿って生きると自発性が生まれず、さらには自分の価値観がボヤけてくるものだ。


ではそういう人がやりたいことを見つけるにはどうしたら良いのかというと早い話【決める】と決めればいい


何もバカにしているわけではない。

決められない人は大抵、判断材料探しが目的になり、なるべく100点満点の答えを延々と探し続けるのだ。

対して、決める人はどんな悪い条件に思えても,とりあえずやってみようと先に決めてしまう

なぜかというと本人のなかで成功体験がある程度積み重なっているからだ。


例えば片思いの相手がいるとする。そして実は相手も自分のことを気にかけてくれているとしよう。


告白することをすぐ決めた場合、念願叶って恋人関係に発展することが出来た。

けれど、付き合っていくと何か違和感を感じ、やがて実は恋人は思っていたような人ではなかったことであると知り、別れることになった。


対して、告白を決めない人はどうすれば相手に気に入ってもらえるのかとか、相手との相性診断をやったりとか、告白向けてに確信材料を探すことに時間をかける。

けれどそうこう時間をかけているうちに気になっている人に恋人が出来てしまい、長い片思いは失恋に終わってしまった。



なんだ、どちらにせよ苦い結果に終っただけではないか、と思えるかもしれないが実はそうではない。

その後に歩む未来が全く異なるのである。


前者は体験から新たな価値観を培う。

次に付き合う人はこういう人にしようとか、こんどはこういう恋愛にしようと前向きに考える。


対して、後者は深い後悔に苛まれる。

なんであの時告白しなかったのだろうとか、恋のライバルさえいなければと後ろ向きに考える。


結果的に先に決めた人の方が先に進んでいるのだ。


だから1%でも可能性を感じたのならそれはもう決めたもの勝ちだ。

結果が苦かろうが、辛かろうが、哀しかろうがそれが前進していることには変わらない。

幸運の女神は前髪しか無いというが世の中は決めるまで待ってくれないのだ。


本当に必要なのは決めるという覚悟だけだ。

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