モンターニュの折々の言葉 382「貴方が老人であるかは脳ではなく、身体を見れば分かる」 [令和5年5月1日]

「私は、「よく生きる」ことは「よい経験をする」ことだと考えています。すると「よい癖」ができます。「頭がよい」という表現には多義性がありますから、その定義を一概に論ずるのはむずかしいのですが、私は、頭のよさを「反射が的確であること」と解釈しています。(中略)人の成長は「反射力を鍛える」という一点に集約されるのです。そして、反射を的確なものにするためには、よい経験をすることしかありません。(中略)悪い反射癖が身に付いてしまうと、なかなか戻すことが難しいものです。自己流でテニスやゴルフを始めてしまって、妙な癖がつくと、その後に正しい訓練を受けても、修正しずらいことと同じです。実際、脳の作動原理としては、身体運動と直感はともに手続き記憶と同じプロセスなのです。」

池谷裕二「脳には妙なクセがある」

 誰が命名したかは知りませんが、ゴールデンウィーク、どこが金なのかよくわからない。日本人は、金よりも銀を好んでいたはずなのに、いつの間にか、金(かね)が好きになって、それからは、なんだかねえ。銀が日本人には丁度あっていると思うけれども、皆金を追い求めるようになって、今では銅すら獲得出来ないほどの国力に。

 ゴールデンウィークはどうでもいいのですが、今日も朝はゴルフ練習場に。しかし、やはりゴールデンウィークで、大勢のゴルファーで溢れいて、幸い少し早く行ったので、待ち時間はなく、淡々と練習を。全部のショットが思うようにはできませんが、ある程度の進歩を感じながら、でも、ゴールデンウィークは弊害が多すぎる、そんな気がしております。

 息子も無事にベトナムに旅立って行ったのですが、羽田は混むから、早く行った方が良いというサジェスチョンに従い、大きなショルダーバッグだけを背中に出ていきましたが、前の会社時代に獲得した、JALだったかの特別カードをもっていて、ビジネスサロンで、シャンペンを飲みながらし、今食事をしている、なんていうメールを家内に送ってきて、久しぶりの海外旅行に浮かれているようでありました。エコノミーでも、ビジネスのサロンが使える息子、私に似ず、財テクは長けているようでありますが。

 片や、年金生活者のモンターニュは、パワポ作りに余念がなく、昔の写真をコピーしたりしながら、手作業を。やればやるほど、どんどんとページ数が増えて行き、これじゃあ、完全に時間オーバーになるなあと、フランス的なエスプリの効いたエスプレッソを作るはずが、どんどんと味も香りもない、アメリカンコーヒーに。そのコーヒーですが、池谷さんの本を読むと、コーヒーの香りを嗅ぐと、人は相手に対してよい印象を抱くようになり、そのポジティブな感情が「相手を手助けしたい」という心理に転じるとか。コーヒーの香りを嗅ぐと、人は他人に対して優しくなるというのは、これは眉唾な話ではなく、きちんとした研究結果に基づくもののようで、カフェインの効果は昔から注目されていますが、アロマとしての、芳香にも作用があるということ。

 仮に、誰かとお茶する場合、ですから、親しい仲間と一緒の時は、冷たい飲み物、香りのないような飲み物は避けて、暖かい、香りのある飲み物を飲むのが良いでしょうね。昔から、コーヒー党と紅茶党がありますが、どうなんでしょう。私は紅茶好きな方は、どこか英国人的で、話が合わないような感じがします。話が合わないというか、紅茶好きの方は、覚めているというか、冷淡というか。別に英国人がそうだという訳でもないのですが、喜怒哀楽の仕方が日本人とは違うし、ましてやラテン系のフランス人、イタリア人、スペイン人とはだいぶ違う。そもそもが、ユーモアのセンスが違うでしょう。

 かつて、イギリス人が選ぶ「世界でもっとも面白いジョーク」のコンテストがあって、1番となったジョークと、2番目になったジョークが本に出ていましたが、私なら、2番めを1番にするのですが、イギリス人は違います。ブラック・ユーモアが好きなな国民何だなあと。根が暗い。ちなみに、どんな話が1番になっていたかというと、男性2名が森を散歩しているときに、一人が急に意識不明になって、救急サービスに電話したら、「彼が死んだかどうかを先ず確かめてください」と指示があり、しばらくして、銃声が聞こえてきて、「大丈夫です、死んでいます」というやり取りのジョーク。

 2番目の方は、やはり男2人がキャンプをしていて、夜に目が覚めた2人の会話で、シャーロックホームズが「ワトソン君、君は今何がみえているかい」と尋ねると「満天の星空が」と答えるのですが、しばしの沈黙の後で、「君はテントを盗まれたことに気がついていないね」と。

 英国人が優しくないとは言いませんが、彼らのコーヒー消費量は少ないのではないのかなあと。日本人は、嗅覚もよく発達している民族性をもっているのに、何故か、街角からコーヒーの香りが漂ってきませんね。焼き鳥とか、味噌汁の匂い、魚の焦げた匂いはしてきますが。

 日本人は優しい国民だとは言われるのですが、それは確かにそうなんですが、ただですね、都市を基準にして見ると、東京だって、京都だって、大阪も名古屋も、都市としては優しくないでしょう。都市が優しいかどうかは、開放性にあるんですねえ。これは、私が海外生活で知り得た体験からのもので、優しい都市というのがあってですね、それは芳香が街の中に流れている都市なんです。

 私が都知事であったら、直ぐに、テラスのある、オープンカフェを基本とした店でないと開店させない条例を作ります。20年間程先進国と発展途上国で暮らしてみて、その違いは何かといえば、都市の開放感の違いで、先進国というのは、通りが人間にとって、優しいのです。ところが、発展途上国の都市の通りは、冷たくて、優しいどころか危ない。日本の通りも、どんどん危なくなってきています。発展途上国か、みたいな。

 そんなことを思っていたら、かつて、フランスの映画で、「パッファンParfum」という、蛙男が世にも不思議な香水(若い女性(生娘)を殺害して、彼女たちのエキスを混合して作った)を生み出して、恍惚状態に人を陥れるという物語があったことを思い出しましたが、まさに、それで、フェロモンがないのは、今の日本人であり、都市なんだろうなと思っております。老人になるというのは、寂しいことですが、このフェロモンがなく、誰も振り向いてはくれなくなるということでもあります。

 池谷さんの本も新書半額セールで購入(220円か)したのですが、読みながら、知らなかった脳科学に関する新しい知識に出会ったこともそうですが、私が養老孟司さんに影響されてそう思っていた幾つかのことが、改めて再確認されたこともあって、この本は良書だなあと思いました。

 良書というのは、知らなかったことを教えてくれる情報があるということでもありますが、それは、読者が求めている情報があるということで、その情報をある目的に活用できそうな予感を与えるということでもあり、また、過去において、出会った女性に突然再会したかのような感激を与えてくる、懐かしさを感ずる話があるということであります。感動したことのない情報は、残念ながら、長期的には記憶化されません。知的感動というものも、実は身体的感動なんですね。

 今日のまとめです。5月1日になって、我が家で購読している新聞の紙面のレイアウトや文字の大きさが変わっておりました。鷲田清一さんの『折々のことば』は、以前からこの場所はよくないなあと思っていましたが、1面の新聞名の右上に掲載されるようになっていて、そうでなくちゃいけないと。また、文字が大きくなって、とても読みやすい。老人には優しい文字の大きさに。

 今日の「折々のことば」には、数学者の岡潔さんの「悲しみ」の言葉が引用されておりましたが、理系、文系という分け方は日本独特のものだとは言いますが、定量化が得意な科学者でも、本当に優れた学者は、どこか文系的。文系的というのは、定量化もできないし、言葉では説明できなことを敢えて言葉で表現できている人という意味で、特に、メタファイズすることが得意。比喩を使って表現できるのは、多分、人間だけでしょうが、池谷さんが言うように、「文字通り」という表現があるのは、文字通りではない表現としての比喩を人間が使えるからある訳です。優れた言語使用者である作家は、この比喩表現が素晴らしく、それを味わえるかどうかが、文章を味わうことにも繋がりますが、それはつまりは、心の表現を味わえるかどうかなんでしょうね。

 鷲田清一、会ったことも、勿論話を聴いたこともないのですが、彼が何故、老体に鞭を打って、毎日、毎日、あの『折々のことば』を書いているのかを私なりに想像するに、彼は、別に彼の脳に支配されて、書いているのではなくてですね、書かないと身体の調子が狂うから書いている、そんな気がするのです。言わば、毎日の体操のようなもの。その体操ができなくなったら、自然と辞めるでしょうね。私の「モンターニュの折々の言葉」も同様です。

 なお、日本では、うつ病・躁うつ病患者の4割は60歳以上のようです。老人性うつ病は若者のそれとは違い、薬で治る率が高いようですが、年配者は、人生で色々な苦労をしているので、ネガティブバイアスの傾向は少なく、むしろポジティブバイアスがあって、心が踊るようなプラスのことが少なくなるから、そういう病気になるとか。また、「うつ病の罹患率と魚の摂取量は負に相関する」という報告書も出ていて、魚をあまり食べないドイツ人やカナダではうつ病の率が高いとか。ですから、食生活で変な病気に罹らないようにすることもある程度は出来るということです。

 ただですね、老人になったのが如実に表れるのは、香りに鈍感になるということと、もう一つあって、それは夢を見なくなることだとか。認知症で障害を受ける脳の場所は、海馬ですが、海馬がやられると、未来像を描けなくなるようで、それは夢を見なくなるということ。「論語」にも、孔子が私淑する為政者を夢で見なくなったと嘆くシーンが出てきますが。

 面白い話が満載で、私の目下の関心事項の一つである、学習の向上や上達の秘訣の話は後日談になりますが、ボケるのは、脳からではなく、身体のボケからで、それを上手く表現した言葉をご案内して、失礼を。

「人間の肉体は一つの大きな理性である」

ニーチェ

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