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私は「自立」をテーマに地域のことを考える 

まずはこのnoteで自分の生い立ちと経験を見つめ直し、自己反省(自己批判)を試みた(参照:私たちは想像以上に「生い立ち」に囚われている(前編)(後編))。そして、30代以降の私が、無意識ながらも「地域」とか「自立」とかにこだわってきた理由が分かった。この「自立」というテーマは、私の生涯にわたる問題意識で、これまで生き恥晒して勝ち取ってきたものだ。これからも事ある毎に、「自立」をテーマにこの山梨という地域のことを考えることになりそうだ。

「自立」を基準に、この地域のいろんな事柄について考える。
それは現状を批判することに他ならない。「それが本当に自立に向かっているのか?」を問うことになる。例えば、イベントについては論じた(参照:イベントは地域に何をもたらすのか?)。補助金についても論じようと思う。地域経済についても、地域の政治や行政についても、まちづくりについても、論点はいつも「自立」。価値観はいつも「自立」。

しかし、私はこれを禁止するものではない。
私のnoteを読んで「これは私のことを言っているのでは?」とか、「これやったら笹本さんに叱られちゃう」とか、思う人がいるのかもしれない。はい。確かに私はあなたを批判しています。あなたを含むすべての人を批判しています。そしてそこには、私自身も含まれています。
例えば、イベントについて話すと、私は30代にはワインツーリズム関連やその他のイベントごとにも、主催者として深く関わってきた。補助金もいくつももらってきた。そこには理想があった。目的もあった。しかし、私自身の「自立」は疎かになっていた。そんな経験を反省して、私のイベント論に至っている。
だから若者は、目的や理想を持ってやってみて、その上で、私の批判を参考にして、自分の経験を振り返ってみてください。いま一生懸命イベントやってる人は、自分のイベントが「本当に地域と自分の自立につながっているのか?」一度じっくり問いを立ててみてください。

私がそうであったように、やっぱり人はやってみなければ分からない。
だから、いつまでたっても失敗は繰り返される。確かにそんな面もあるでしょう。でも、まずはやってみて、もしもそこで問題意識が芽生えたなら、いつでもstudio pelletにお越しください。私はいつもここにいます。お話ししましょう。
私は論破しようという気はありません。私が論破されたとしても、実感できないことは、私には理解できません。でも、互いの問題意識が共有できたなら、私の考えが変わることはあります。

50歳を過ぎて、そろそろこんな言い方をしてもいいかな、と思って書きます。
世の中には、二種類の人がいる。
過去の自分を反省して、生き方を変えられる人。過去の自分を反省できず、生き方を変えられない人。つまり、生き方変えられない人ってのは、反省している振りはできても、本当には反省しない成長しない人。50歳を過ぎて、周りを見ていてつくづくそう思う。
もしもあなたが前者なら、楽しみだ。こっちはとっくに腹括って、自分の経験とそこからの学習を根拠にもの語ってる。


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