ありのままのお前を愛してもらえると思うな【二次創作・同人活動】
同人女、お前は…界隈のアイドルになれ!
タイトルそのままの意味である
人間は当たり前に心を病む。
今、病んでいるのならこんなnote読まずに、まず適切な機関へ受診をおすすめする。
筆者も病んだ(適応障害→鬱)
筆者も働き始めたばかりの頃、立ち回り等々すべてが上手くいかず、病んだことがある。
何事にも全力でぶつかっていったつもりだったのに、全く認めてもらえないし貶され笑われ、どうしていいかわからず、誰にも助けを求められずに手詰まりになったと思い込み、自滅した。自分はもっとうまく器用にできるはずなのに、という理想と現実の乖離に苦しんだ。
筆者はたまたま家族に恵まれており、家族の勧めを受けて通院や諸々の対処を行ったおかげで、ずいぶん昔に寛解している。しかし会社は自己都合で退職することになってしまったし、この頃のことは今でも苦い思い出だ。
今思えば、クズ上司のクズ故のいびりだったような気がするので正当に申し立てをして、会社都合退職くらいは勝ち取れたかもな、と開き直っているくらいに現在は元気だ。
もっとうまく出来たかも、とは今でも少しだけ思うが、良い経験だったと受け入れることと、過ぎてしまったことは仕方がないと割り切ることが出来ている。次があったら辞めるにしても、クズ上司の悪評を立ててから辞める。
人間は不完全
生み出す絵や小説は神のように上手く、それでいてやさしい人当たり、さらに容姿がバチクソに整っている、まるで創作物のような人物がいるとしても、万人に好かれるわけではないし、逆にその完璧さを厭う人もいる。
しかし、そんな人間はそうそういないし、我々はだいたいそのような完全無欠な人物の下位互換だ。
さらに嫌悪も醜い嫉妬もする、地を這う不完全な人間だ。
しかし、自分だけが不完全なのではない。
いい上司にもだらしない一面があったり、クズ上司にも知らないだけで誰かにとってのいい面があるのだろう。全員が、不完全という意味で同じだ。
ならば「いい上司」と「クズ上司」は何が印象を分けるのか。
自らが相対する人間としてどちらが好ましいかで言えば断然「いい上司」だろう。
では、人間関係を構築する上で、自身が上記の「いい上司」の側に選ばれるためにどういう振る舞いをすべきか。
完全無欠に近付くことはできる
アイドルがなぜ好かれるのか。それは彼・彼女らが美しいからだ。
容姿だけでなく、性格・努力・才能…等々、人間の持つあらゆる要素の何か一つ以上に、世間から頭一つ抜けた美しさを持っている。
その美しさをプロデュースによって何百倍にも増幅させられ、見られたくない都合の悪い部分を切り取って隠し、きれいにラッピングされた姿を我々は美しいものとして見ている。
愛されたいならアイドルになればいい
…というと極端に聞こえるかもしれないが。
つまりはセルフプロデュースと、ブランディングに努めよということだ。
美点を思いっきり伸ばす
こればかりは基礎から小手先まで、あらゆる部分に強化が可能だ。
昨今はyoutubeなどでも、「絵の良さを、少しの工夫でもう数段階上げる」というコンセプトの添削だったり、上手くなるための上達法が連日ほぼ無料でUPされている。メイキング等もほとんど見放題だ。
絵ならぱっと見の印象や色使い、漫画ならコマ割り、ストーリー、演出のやりかたなど、言語化された知識が頭にあるのとないのでは雲泥の差となる。
筆者が絵を描き始めた学生時代には参考資料はメイキングの載っている書籍くらいしかなかったのだが、昔とはかなり事情が違って、技術を上げたい時に、正しい努力のやり方を見つけやすくなっている。これは世の中の良い変化だと思っている。
ツイッターでは異常に絵や漫画の上手い人が一周回って「何もわからん」などと言う始末だ。芸術にはゴールがないのだから、積み上げただけ高くなる可能性はある。
とりあえず行けるところまで全力で走り続けるのも、気長にゆっくり走るのもいいだろう。
絵・漫画描きのためそちらにばかり話題が偏ってしまうことをお詫びする。
小説のフィールドでも近年はこのような向きがあるのだろうか?おすすめの講座等があったらぜひ教えてほしい。
都合の悪い部分は隠せ
態度の悪いアイドルをずっと好きでいるのは難しい。まあ、実際のアイドルにはそういう売り方もあるにはあると思うが。
つまりは悪口・愚痴・忌避されがちな話題は表に持ち出さず、裏垢でやれということである。
悪口は見つからないように上手に隠して、美しいところだけを見てもらって、そこを好きになってもらえばよい。
「壊滅的に料理が下手」など逆に飛びぬけている特徴を持っているのなら、それはうまく表に出すのもいいかもしれない。
それなりに売れて成功しているアイドルさん方の特徴を参考に、出して大丈夫そうかを決めるとよい。ガチのアイドルになるわけではないので。
表で何もかもぶっちゃけておいて、あれが嫌いこれが嫌いと喚いておきながら「またフォロワー減った…」などと言うのはとんだ自意識過剰だ。
マイナス印象を重ねまくって、それでもまだプラス印象を保っていられるほど好かれていると認識しているということになってしまう。まともな人はそんな茶番に何度も付き合ってはくれない。
たとえフォロワーが減っても気にせず笑っているのがアイドルである。
ミスマッチだったことを早々に諦めて割り切り、自分の美しさを愛してくれる人を大事にしよう。
自分の「すべて」を見せない
冒頭の筆者の病みエピソードだが、これはありのままの自分で全力を出してしまった故の結果だと分析している。自分のアイデンティティそのもののむき出しで他人と交流して、ズタズタに傷付けられてしまったため、修正がきかず行き詰ってしまったように思う。
そもそも他人の人格否定をするようなクズは論外なのだが…。そのクズ上司と自分との、あまりの相性の悪さに気付けなかったのも敗因である。
筆者は若年時にこういったクズとの邂逅経験がなかった。20歳を超えてから初めて、ぶち当たったといっても過言でない、厳しい壁だったのだ。まあ、今更詮無いことだが。
界隈にありのままの自分でぶつかって、ふとした衝撃で玉砕してしまうのはあまりにもつらい。
つらいし、誰のためにもならない。
1,2枚くらいベールなり鎧なりをまとっていた方が、傷ついたそれを剥がして脱皮ができる。その方がつらさは軽減されるかもしれない、という意味での、筆者からの激励である。
愛を貰っただけで終わるな
RT、いいね、ブックマーク、コメント、メッセージ等々。
大小はあるが、これらは自身に対する他人のはたらきかけで、労力である。
貰ったら素直に嬉しがろう。アイドルだってコーレス曲では聞く仕草をして、上手くいけば嬉しそうにしている。
喜んで貰えれば、送った方もまた嬉しくなる。労力が報われるからだ。
愛を返していこう
ありがとう!のあとは、愛してるよ!が続くのである。
愛されると気持ちに余裕が生まれてくる。
その余裕のあるうちに、他人へ愛を返したり、また自分が愛する者へ配るのがよい。
良いと思う作品に自分からコメントをしたり、作家へ感想を送ったり等だ。
どうしたら喜んでもらえるのか、距離感が適切か。これらは実際に他人とコミュニケーションをしなければ知ることはできない。
愛し方は若いうちから知っている方が断然、愛され人間としては有利である。しかし時は戻せないので、焦らず少しずつ知っていけばよい。
ありのままを愛してくれる人とは
むしろそこまで行ってしまったら運命の人なのではないか?
筆者もまあまあロマンチストの面があるので、そんな人間が存在する確率はゼロではないと信じたい。
が、同時に、そんなことを言って近づいてくる奴は詐欺師だろうとも思う。
そもそも自分で自分のことをすべて理解しているわけでもなし、何を理解した気になってくれてんだ!教えてみろ!とキレ散らかしそうだ。
つまり、ツイッターやイベント会場なんかでちょっと交流したり会ったくらいで、すべてを受け入れてくれる人間なんて存在しないのだ。
諦めよう。しかし、悲観すべきとも思っていない。
美しいところだけを見せて、そこだけを愛して貰っているとしても、それは別に悪い事ではないのではないか。
だって美しい部分は愛して貰えているのだし。
上手に立ち回り、上手に愛を受け取ろう!
蛇足
筆者の好きな攻めは、受けにとっての「運命の人」だな、と書いていて思った。攻めが受けのことを大好きすぎてちょっと神聖視しているくらいの関係性が好きなので。
今度そういう本出すわ。
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