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たかこ、短歌に挑む。

初恋でなくてもおなじ轍を踏む きみとの恋をくりかえしても


唐突さに定評のあるたかこです。ごきげんよう。
にわかに短歌に興味を持ったたかこです。ごきげんよう。
思い立ったが吉日を旨のひとつとするたかこです。ごきげんよう。

きっかけはツイッターでどこからか流れてきたこのつぶやき。


この感覚、好きだなあ。素敵だなあ。面白い。
ツイートをさかのぼっていくつか拝読したところ、ほとんどをすごいなあ、いいなと思った。今はピンと来ないのも、いつか、あ、そういうことか、と腑に落ちる日が来そう。

noteでフォローさせて頂いている方の中には、俳句を書かれている方もいらっしゃる。
私は俳句も川柳も短歌も、それを書けるひとにとにかくあこがれている。
何故って自分がどうしても長文を書いてしまうものだから。

字数が質につながるわけでは必ずしも無いし、長文を書くことが苦でないなら別にそれでいい。
でも私の場合、長文を書けるというより、短文を書けないだけなので、ごくごくたまに挑戦したくなるのだ。短文に。

*

私は主に二次創作の小説を書いているが、これも一応、目指しているところというのがある。
それは原作を知らなくても読めるような作品にすること。
もうちょっと言うと、キャラクターの名をオリジナルにすれば全体がオリジナルになるようなものを書くこと。
理想だけはどんなに高くても損はしない。

二次創作には便利な点がいくつかある。
たとえば人物の造型描写を省いても名前が原作のままなら原作を知っている読み手にはとりあえず通用する。物語が半分以上まで来たあたりでぽんと「紫の髪を揺らし」とか入れてもあまり違和感はない。気がする。
ただ、それに慣れてしまうとどんどん描写が薄くなり、何ならいっさい無いまま終わってしまうこともしばしば。
ひとたびこの癖がつけば他の描写もついおろそかになっていくので、たとえ二次だろうが何だろうが創作、作品としてよろしくないな、つまらないよな、となってしまう。他の誰でもなく、書き手の私が。

なので、ときどき、描写にとことん集中して書いてみたりする。
この際ストーリーはどうでもいいからとにかく描写。ひたすら描写。
結果、意外と悪くない二千字弱ぐらいの何かが完成する。

読み返すと、ジャンル移動の初期にはそういうものが多い。
まだ書き慣れていないからと試行錯誤しつつなかば練習の意味で書いていた超短編のほうが、あとで肩の力をそこそこ抜いて作りあげた長文よりずっといい、というのは、わりとあることなんじゃないか。

あと私の場合は一本の作品を一日で書くせいもあって、後半、必ず息切れをしている。
noteもまた然りで、前半は表現も語彙もまずまずかなと思ったら後半はただの日本語になっているというか。
前半の調子をずっと維持できたら良いのにな、とひそかに悩んでいたのです。
でも書きたいから努力するより書いてしまっていた。
これが良いのか悪いのかは、ちょっと今はどうとも言えない。


解決策も考えてみた。

まず、書く期間をのばす。一日でなく、数日をかける。
都度、読み返しをする(私は書き終えたあとは簡単な校正作業以外ほぼ読み返さず公開している)。
推敲をする。
書き終えてもせめて一晩ぐらい寝かせる。
読み手に甘えない(二次創作だから名前が間違ってなけりゃ誰が誰かは最低限、自動的に伝わるもんね、という意識をちょっと脇に置く)。
そもそも書く前に漠然とでもオチを決める。これ大事。私がnoteでもいちばん時間をとられている部分って「終わり方」なので。なんかそこだけ浮いてるんだよなあ。

以上の留意点を踏まえて書けば、長文でも書きやすく、かつ読みやすくなるのでは?
同時に、短文の書き方のコツも得られる可能性があるのでは?
と思いつつも、努力している暇があったら書きたかったので書いてしまっていました。
もはや書くことに向いていないのではと疑う境地。

*

というわけで短歌です。
唐突さに定評のあるたかこです。
既に長くなったのでお忘れの方もおいでではと気にしてみる、たかこです。


なんというか、小説とエッセイもどきってそんなに私にとって差がないわけで。
なんでかって言ったら字数制限がないから。

しかし短歌には五・七・五・七・七の原則があって、言いたいことすべてをその中に納めなければならない。たぶん。
俳句や川柳は五・七・五で、今の私が挑むには早すぎる。

まず三十一字から。
そこをクリアできたら十七字にも行ける。かもしれない。
(ちょっと自分のさんすう能力に自信がないから電卓で確認しておいた。合ってる)

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短歌にも上の句とか下の句とか細かいルールとかはあるんだろうけれど、まあ、それはちょっとさておく。さておけなくてもさておく。

*

よし。では和歌をやってみよう。

ん?
何をどうすればいいの?

題材とか……?
言いたいこととか……思ってること……?
えっと……うーんと……。


回線を光にしても遅々として進まないのは名前とおなじ


ああ。うん。そっか、なるほど。
これは私の背景を知っている人じゃないとまったく通用しないね。
二次創作に似てる。

「引っ越してネット回線を光につないでもポケットWi-Fiとあまり変わらなくて、下手したらモバイルネットワークのほうがはやいぐらいで、改名の速度もそんなもんです」

だいたいこれじゃ「名前」が「光さん」なのかなって感じだし「改名に時間がかかる」って言いたいにしてもなんで回線速度を持ってきた?ただ「光」って言いたかっただけでしょ?その通りです。
短くても意味がわからなくちゃしょうがないでしょうが。これ数年後の私が見ても理解できないのでは。だめだめね。やりなおし。


といっても、あまりに付け焼き刃すぎてゼロから生み出すのはまだまだ不可能とみた。
とっかかりが必要だ。

考えた末に、Mr.Childrenの「youthful days」を短歌にしてみることに。


何故これかというと、最近、毎晩のようにこれで踊っているので。適当な振り付けで。あと、好きな曲と歌詞とシチュエーションだから。
この曲はタイトルのわりに官能的な詩でもあるんだけれど、全体の雰囲気はみずみずしく、なのに重いところは重い。心情と情景が絶妙にずれているのがいい。思わせぶりなので解釈の幅がありそう。即ち想像の余地がたっぷりありそう。

そんな理由で「youthful days」、採用。
いきなりTMの「Get Wild」はきつかろう。

それでまず浮かんだのが、


初恋でなくても何度も間違える 何度きみと恋に落ちても


どうやら私は「初恋じゃない」ことにこだわりたいらしい。
もうひとつ。


この段差 いつかもつまずき痛がった きみに恋する瞬間のたび


おととい、段差にひっかかって自転車ごと転倒し、おかげでダンスもお休み中。
「youthful days」にも自転車のエピソードが入っているのでここぞとばかりに使ってみたけど、何かしっくり来ない。
「恋、つまずき(間違い)、痛み」は基本的なセットだとしても、うまく言えないけど「段差」と「瞬間」の組み合わせのいごこちが悪い。

でもどうやら私は「何度も同じひとを好きになる」ことにときめいているらしい。
かつ、「何度もおなじひとと恋をしてるのにおなじ過ちをくりかえしてる」ことにも、ひとかたならぬ思い入れがあるらしい。

だいたい自分の傾向がわかってきたので、そろそろ決めたい。
と、ひねり出したのがこれ。


初恋でなくてもおなじ轍を踏む きみとの恋をくりかえしても


三度目の正直。
正直なんだけれども、もっと正直に言うと「初恋でなくても何度も間違える」のほうがいい気がする。
でも、「間違える」の言い方を変えたり「何度も」を言わない引き算をしてみたり、そういう作業が楽しかったので。
このいかにもつたない感じが「youthful days」じゃないか。私の。


と、結局また長文になったけれど、いつもよりは短いはずなので良しとする。
(編集中の追記。そうでもなかった。四千字弱)


しばらく「youthful days」で短歌の練習をしたい。
あまり説明をつけず、三十一文字から長くて三百字ぐらいにまとめたい

新しいことの多い今年の春。またひとつ、増えた。
毎日短歌、と決めてしまうと私のことだからそれしかやらなくなるどころか犠牲を出しそうなので、ちょこちょこやっていきたい。

*

ところで短歌っていったら俵万智さんぐらいしか存じ上げず、しかも「サラダ記念日」のほかには知らないと思っていたら、その「サラダ記念日」すら間違って記憶していた。

この味がいいねときみが言ったから 今日はふたりのサラダ記念日

こうじゃないのか。どこでどう勘違いしたんだろう。
正しくはこれ。

この味がいいねと君が言ったから 七月六日はサラダ記念日

七月六日とか知らなかった。知らなかったのか忘れていたのか、何にせよ俵万智さんにはまこと申し訳ない。
で、調べるのはここまでで、この短歌のすごさや技巧的なことはしばらく知らないままにしておく。はじめはのびのびやりたいから。

それにしても、サラダ記念日かあ。七月。夏野菜のサラダなんだろうなあ。ドレッシングの加減がよかったのかな。
「ふたりの」でないならいろんな関係性や景色が広がる。
朝の食卓だったら、サラダをつくったひとは一日ごきげんで過ごしただろう。
発表された時代を無視すれば、お弁当に入れたちんまりしたサラダを食べたあとでLINEで送った何気ない感想だったかもしれない。
夜だとしたらメインをさしおいてサラダが輝いていたわけで、それは記念日にしたくもなるよなあ、でもベジタリアンかもしれないし、いや、ベジタリアンだからこそすごいんじゃないか、日本人が「この味がいい」って思わず言っちゃうくらいのお米なんてそうそうないもの。

たった三十一字でこんなに想像させてくれる短歌。
これはまったくただごとじゃない予感にみちみちている。


五しち五しちしち電卓打つ指に一拍おくれて跳ねてるハート


リズムがもたついているけど、これはこれで。よし。楽しい。



ちょっと待った。


またおなじステップの踏みあやまりをまたきみの足先へと三度(みたび)



は、どうかなあ。編集中に思い浮かんだ。初恋要素がふっとんだけど、間違ってはいる。どうやら私はどうしても過ちを犯させたいらしい。


またおなじ ステップの踏み あやまりを またきみの足 先へと三度(みたび)


短歌や俳句の音の区切りってたまにわからなくなるよねって前から思ってたけどこういうことなんだな。書いてみるとなるほどとなる気がしてくる。


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