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アンステンド・アローネ

 禅寺に行ってみようかと考えている。

 その話の前座というわけでもないのだが、昨日、トレーラーショップ(仮)のことを書いた。

 もし私が一台もつとしたら、何をしよう。そんな夢ともつかない話を書こうとしたのに字数の都合で尻切れトンボになってしまったものの、記事を公開した後も何となく空想だけは続いていた。

 はじめに浮かんだのは、サブスク貸し出し所。貪欲ゆえに複数の映画配信サブスクに加入しているので、我がトレーラーショップ内だけアカウントをお貸しします。ご自由に観ていってください。
 これ、自分だったら常連になっちゃうかもしれないし映画好きさんと情報交換できたら嬉しいなと思ったのだが、一分以内にアウトだと気づいた。サブスクを使ってお金をもらうのは、確実に規約違反だろう。いちいち規約を読んでいないから言い切れないが、まず常識だろう。VHS時代からダビングさえも商業利用は違法である。ならお金をもらわなければいい、とすると、店でなくなる。
 では、映画を作った人をターゲットにミニミニシアターのするのはどうだろう。映画愛好会とか。大学時代、私も映画サークルに所属していた。一ヶ月だけ。映画を二本ぐらい撮って上映会も開いた。それをトレーラーショップで、と思ったが、あのハコは狭すぎるし大学構内や公民館など無料で借りられる施設はいくらでもあろうになんでわざわざトレーラーショップ?とミーティングで論争になること請け合い。
 それならいっそ、トレーラーショップ経営者自身が映画を撮ってお披露目するほうがまだ理にかなっている気がする。去年のイタリア映画祭で「ロックダウンによって断絶した交流を追う」といった内容のドキュメンタリーがあったが、二十分ほどの小品とはいえ全編、iPadで撮影したのだという。
 今はそういう時代だ。映画でも本でもゲームでも、昔ほど製作のハードルは高くない。享受するのはもっと簡単だ。より難しくなったのはあふれんばかりの選択肢の中からどう見出され、選んでもらえるか、そちらのほうかもしれない。
 つらつらと考えてきて、このあたりではたと気づいた。
 私、映画はひとりで観たいわ。

 サブスクでもたとえばアマゾンプライムビデオにはウォッチパーティなる機能がある。使ったことがないので詳しいことは分からないが、映画版マルチプレイみたいなものだとしたら、恐らく今後も利用することはないだろう。少なくとも今のところは、積極的な姿勢を示せない。
 映画館で映画を観るのと、それ以外の場でわいわい観るのと、ひとりで観るのと、どれが良いかといったらそのときの気分次第だし、作品次第でもある。映画鑑賞とコミュニケーション、どちらに重きを置くのか冷静に判断して選ぶことにもなるだろう。

 私は元来、孤独な状況を好むわけで、それはどういうことかと言ったら他者を尊重したり配慮しないで済む空間や時間が、生きていく上で私にはどうしても必要なのである。
 だからトレーラーショップで何かをやるなら、似た感覚の人に向けて、孤独な場をつくりたい。
 まったく具体性はないけれど、それが結論。

 で、ようやく禅寺の話。
 私はもう二十年ぐらい精神科に通い、カウンセリングも受けてきたが、さすがに疲れた。よく二十年も頑張ったなと自分を誉めたいぐらい。
 そんなわけで医師と相談し了承を得た上で今年の五月にカウンセリングを休止したのだけれど、やはりカウンセリング自体は自分に必要な気がするしその手の治療をきちんと受けたい、そう改めて感じるようになったのが八月末。それからというもの、現在のクリニックへの通院を続けながら別の場所での新しいカウンセラーを探すべく、さまざまな機関に問い合わせたりといろいろ調べていくうちに、ふと視点が変わった。

 精神的な治療はもちろん明確なガイドラインなどがあるだろうし、とりわけ投薬を伴う場合それにそって適切に行うべきなのだろう。
 けれど、カウンセリングって何もカウンセリングルームでやるべきとは限らない。ここまではうっすら実感していた。
 要するに問題が解決できるなら、手段は何でも良い。合法でありさえすれば。
 カウンセラーという「聞き手」がいないと困る人もいれば、カウンセラーとの関係がかえってストレスになることもある。私はどうやら後者。なら自分がもっと努力すればいい、もっと良い患者になれるように、と思ったけれどそれだと何も変わらないのでは?
 というか同じことの繰り返しじゃないか?

 これに限っては、他者を尊重しない、配慮しないで済む方法を探すべき。
 つまり外側をいったん切り離した、内省。
 そちらのほうが自分に合っているような気がしなくもない。
 でも内省ってひとりよがりになりがちでもあるから要注意、サポートしてくれる誰かはいてくれたら良いなあと考えていった末が、禅寺。やや唐突に聞こえるかもしれないが、禅寺。
 トレーラーショップのせいで今日も話が肝心なところまで届きそうにない。ちくしょう、トレーラーショップめ。

 また後日もうちょっとこまやかに語るとして、いま私に特に必要なのは精神力や集中力を鍛えることなのではないかなあ。これまでとは違うやり方で。
 そういえば私はカトリック教徒だ。でも教会の人間関係ときたら、もうね。組織化された信仰って難しいね。修道院で一週間ぐらい完全に沈黙しつつのおこもりの方が私には効くが(経験ずみ)しょっちゅうできることでもない。生活に根づきもしない。できることなら長く続けたい。というか内省なんだから宗派に捕らわれないほうがいい。
 で、禅寺。
 あるいは弓道などの武芸を検討している。

 こういう話をすると「そこまで考えられるのに何故カウンセリング的なものが必要なの?」と言われることが多いが、その答えを他ならぬ私が知りたい。その答えを知りたいから、約二十年、カウンセリングに挑んでいたのである。
 だからそういうことはもう問われたくない。
 ただ私が悩んでいて、辛いと感じている。それだけで充分じゃないですかと、嫌みったらしいことばの一つも放ちたくなる。

 ひととの関わりは最低限で、定期的に、均衡のとれた孤独と内省。禅。どうだろう。とりあえずそこそこ近くに座禅を体験できるお寺を見つけてある。良いかもしれない。禅。あと弓道。ついでにヨガも再開したい。あれは実に良い。

 とにかく難しいことは抜きにして、ただ楽になりたいだけなのよね。と結局はそこに行き着く。
 それに、これまでやったことのないこと、興味があったことをしてみるだけでも、ずいぶん違うんじゃないかな。何をしても何となく自分の中に取りこむ癖があるから、うまくいけば自己回復の可能性は高い。
 毎回ことを難しくしているのは誰でもない私自身であると、自覚している。ほんとうに、問題はそこなのだとも。
 などと理屈を並べたてるより、いざ、禅。
 どうかなあ。
 良いこと、ありそうな気がする。







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