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鬱は病気なのか、甘えなのか

病気と甘えの差

表題について。僕は二元論的に判断しがちになります。周りは気を遣って「病気だよ」って言ってくれる。一方、鬱に罹った(?)僕は自己犠牲上等の思考から、「自分が甘い」と思っているフシがあります。

例えば仕事。取り組んでいた業務で辛いことが続いたとします。多忙を極め、追い詰められていよいよ逃げ出してしまうほど「つらい」と考えてしまうことがあると思います。

その時、この事象を当人の心の病気と言えるのでしょうか。それとも自分のいたらなさからくる甘えと判断されるのでしょうか。

この線引きはなかなか難しくて、他人からは自分が病気なのに「甘えだ」と判断されてしまうことがあれば、単純に甘えていただけなのに病気だと判断されてしまうこともあります。

ようはこれらの病気の指標が曖昧でだからこそ「心の病気」と「甘え」の違いが分かりづらい難しさです。


人の能力には差があって当然

ここで言う能力とは純粋な頭の良さに限らず、人当たりやコミュニケーションなど人間力というべき様々な能力を指します。

例えば偏差値がどんなに高い人間だってコミュニケーションが絶望的ならば物事はうまく行かないかもしれないし、逆に人当たりのいい人ならば周りのメンバーの協力を得てプロジェクトを完遂することだってできる。

どんなに罵られてもメンタルが丈夫な人もいれば、一言でも厳しい言葉を投げかければどん底に落ちることだって仕事の成否に関わることはあります。

つまりは仕事のみならず生活を過ごす上で上手く取り回せるのは一視点に限らない複雑な能力の発揮によって絡んでくると言っていいでしょう。

だからこそ難しいのは、心の病気という人間の深淵に関わるコアなものを査定する上で要素が複雑に絡み合いすぎていて、さらに人によって大きな差がある項目だからこそ、結果的には病気なのか単純に人の甘えなのかが判断できないというのが事実だと私は考えます。



このうつ病というものに自分と周りはどう見えるのか

最近徐々に世の中的に市民権を得てきたうつ病ではありますが、結局の所は心の病気だろうが、甘えだろうが、おおよそ日本において「甘え」と認定されがちな世の中です。多くのうつ病の方も同じ思いをされている人はいらっしゃるのではないでしょうか。

自分の場合だと「ああ、自分は甘えてるからこんなことになってしまうんだ」と自己嫌悪に陥ります。また周りも鬱を患う人に対してある種の軽蔑を抱き、当たらず触らずの関係になる。

これらに耐えきれずに会社をやめる人だって多くいます。学校であれば不登校になってしまうことも。

うつ病の本質は、うつ病そのものと言うよりはうつ病に対するイメージによって自分を陥れるが故の辛さにあるんじゃないかなと思わずにはいられないです。


じゃあどうすんの?

患者に対して「甘えだから」「病気だから」という判断が下ることによって諸々変わることはいくつか有るとは思います。しかし実際はこの境目は見いだせないと僕は判断してます。

また、病気だと判断されたとしても周りが納得して受け入れて忖度してくれなんておこがましいことはあんまり言えません。せいぜい、こんな人間がいるんだなという認識をしてくれたら御の字。

結局は甘えだろうが病気だろうが、結果で示していくしか無いのが悲しい社会人としての定めです。これが出来ないなら辞めていくしか無いわけですが、ここは会社によってのフォロー体制にもよるだろうから色々あるでしょうね。



半年たってわかった弊社の僕に対する扱い

僕の場合は100人に聞いたら90人は「左遷だね」と言われるぐらいの人事をくらったので、もはや全てをひっくり返すのは絶望的です。

ちょーっと本当に申し訳ないんですが、モチベーションは上がるはずもなく正直言えばネガティブな仕事のアプローチをしてしまっています。体調が悪いというのもあるのですが…

日々の仕事は自分のキャリアとは異なる道筋なので、これを変えたいと思うなら転職以外に道はないのです。

これまた難しいのは精神的にまあまあダメージがある人間が転職というハードルの高いイベントをこなすのがどんだけつらいかということ。

これを乗り越えなければ先に行けない…心に障害がある人間にとってはなかなかハードルが高い世界のお話です。


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