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翻訳という哲学

 この世に「翻訳論」と称するものは数多あります。
 かつて『翻訳の世界』という月刊文芸誌があって、翻訳家ばかりか、多くの作家、思想家、評論家がエッセイを発表したり、対談や座談会に臨んだりしていました。
 じつは私はその発行元の会社に勤めていたことがあります。『翻訳の世界』の編集部ではなく、翻訳の仕事を受注するべく、企業回りをする営業の仕事でしたが。その会社は翻訳者・翻訳家を養成するのが本業で、通信教育を母体としてスクーリングなども積極的に展開していました。会社の名称もずばり「翻訳家養成センター」、のちに「バベル」と改称し、今も存続しているはずです。
 そこから多くの翻訳者、翻訳家が育っていったと聞いています。なぜ伝聞推量のような書き方をするかというと、その会社に在籍していたのはたった一年半のことで、その後の会社の変遷については多くを知らないし、そこを卒業した翻訳家についても——二、三の例外を除いて——よく知らないまま現在に至っているからです。
 それはともかく、何事においても論ずるのは楽しいことです。しかし、それが実際の作業、仕事の役に立つかとなると話は別です。
 私がここで言う「哲学」とは、大所高所から論じるようなものではありません。翻訳という仕事、作業を通じて学ぶ人生、あるいはそこから得られる人生観、そういったものです。具体的な経験に基づく認識(論)と言い換えてもいいかもしれない。
「フランスの女」の連載には、こういった私の「翻訳論」がさまざまな形で、具体的に顔を出しています。
 そしてもっとも重要なことは、認識とエロスは切っても切り離せないということです。哲学と芸術はひとつのものだと私は考えています。少なくとも対立するものではない。
 かつて、パスカル・キニャールの作品を夢中になって翻訳していたころ、sensation cognitive という言葉につまづいて、著者に直接質問をぶつけたことがあります。これはベルクソン的な「直感把握」のようなものか、と。すると彼は即座に「ノン」と答え、そういう神秘的なものではなく、触れば痛いと感じるような認識のことだという説明が返ってきたことを今でもありありと思い出すことができます。そのときは「認識感覚」と訳すしかないかと考えましたが、現在のように「認知」(cognitive)という用語が幅広い意味で使われている時代であれば、あれこれ深く考えずに単純に「認知感覚」と訳していたかもしれません。
 学校での学習には答えがあります。人は答えを求めて本を読もうとする。でも、あえて言うなら、この世に答えなどない。それは人間がこの得体の知れない世界・自然を都合よく割り切るための方便に過ぎない。正しい認識などというものはどこにもない。できることは、ああでもないこうでもないと考え続けることだけ。わかった(エウレカ!)と思ったときには、そこに落とし穴がある。
 だから、正しい翻訳というようなものもないし、完璧な翻訳というようなものもない。だから翻訳はおもしろい、と私は考えています。
 AIによる翻訳はいずれ当たり前のものとなるでしょう。文学においてもそれは可能でしょう。ただし優秀な編集者がいるかぎりにおいて。じつはしかし、この「優秀な」というのが曲者。何をもって「優秀」というのか? これが難しい。でも、学校教育から、この種の「優秀さ」は生まれない。これははっきりしていると思っています。
 優秀な編集者がAIを駆使して、優秀な翻訳を世に出していくうちに、優秀な編集者なら気づくはずです。これなら初めから自分が翻訳したほうがいい。そもそも文体とは何かということを考えていくだけで迷路にさまよい込んでしまう。それはたんなる著者の書き癖なのか、それとも形式的な美しさを指すのか、それとも文は人なりとも言われるように、文体そのものに著者の人生観なり、思想なりは滲み出ているものなのか。こうして思考は振り出しに戻ってしまう。
 そんなに難しく考えなくとも、たとばフランス語の場合、café と bar と bistrot はたんに同じ単語を繰り返さないために使い分けられることが多々ある。最初は戸惑ったものです。これは同じ店を指しているのか、と。著者が気分で使い分けているだけなのです。でも、日本語の「カフェ」と「バー」と「ビストロ」はまったくイメージの違う言葉です。これを原文どおりに「直訳」したら読者は混乱します。これは原著者の「匙加減」なのです。だから翻訳者も「匙加減」で応じるしかない。だからAIに翻訳は不可能だと主張しているのではありません。プロの翻訳者なり、優れた編集者が不可欠だと言っているのです。そして彼らは多かれ少なかれ、これなら初めから自分でやったほういいと思うはずです。少なくとも文学作品の場合は。
 私は何度か翻訳家志望の若い人に翻訳を手伝ってもらったことがあります。いわゆる「下訳」です。かなり優秀な人もいましたから、あまり手を入れずに編集者に原稿を提出すると、高橋さん、手を抜きましたねと言われたことがあります。
 それに懲りて、以来「下訳」は頼まなくなりました。
 翻訳にせよ何にせよ、仕事には責任がつきものです。AIはどこまで行っても責任を取ることができない。美は、この世と接するときの痛みをみずから引き受けるときに生まれる。これが私の「哲学」です。
 そして、自分が翻訳という仕事を通じて得てきたもの——スキルや方法論、あるいは認識の仕方、それをひっくるめた「哲学」——を誰かに伝えたいという焦慮のような、渇望のような思いに駆られることがたびたびあるのです。しかも、テクストを通じた一方的なものではなく、あくまでも対面の形で、ソクラテスの問答のような形で。
 じつは私の住んでいるここ帯広で、そういった「翻訳塾」を試みたのです(その経緯は「新・十勝日誌」を覗いていただければなんとなく見当がつくかと思います)。二〇一七年の夏から一昨年(二一年)の夏まで四年続けましたが、ついに「休止宣言」を出しました。理由は様々ありますが、ひとつには受講生を募るにあたって、語学能力を選別の条件にしなかったことがあります。フランス語の初歩を習得していることを条件にすると、この帯広十勝では人が集まらないと考えたからです。でも、漠然とした教養講座みたいなものでは人を惹きつけられません。そこで私が過去に翻訳したテクストを教材に翻訳とはどういうものかをテーマにしたのです。でも、最低限の語学の基礎能力が備わっていなければ、翻訳と文学についての講義は成立しません。徐々に行き詰まり、ついに講師(塾長)のエネルギーが尽きてしまった。
 でも、あくまでも「休止宣言」です。辞めたわけではありません。
 この二年間、コロナのせいもあって八方塞がりのような状態が続き、ああでもないこうでもないと考えあぐねてきましたが、そんな精神状態で妙案など出てくるわけがありません。
 今年の春になって、首都圏に住む娘(次女)が悶々としている父を見かねたのか——月に一度は電話を掛け合うので——、note というネットのプラットフォームがあって、いろいろなことが試せると思うよと提案してきたのです。本業の翻訳が忙しいなら、最初の立ち上げに必要なアカウントの設定とか、その他の実務作業は自分がやってもいいとまで言ってくれたので、とにかく素材——テクストと写真——だけ娘に送って、あとはおまかせでここまできたのです。
 ぼちぼち前に進んでいこうと思います。そのうち「新・翻訳塾」の形が見えてくるかもしれません。
 今日のところはこの辺で。

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