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たった一度「自営業をやめよう」と思ったあの時のことを思い出します


6月になりましたね。
わたしは5月31日から東京に来ていて、本日で3日目です。


31日にSNSで発表したんですが、このたび法人化&社名変更をし、本社を札幌から東京に移しました。


ここだけ切り取るといきなりババっと動いた感がありますが、実はものっすごいゆっくりペースでここまで来ています。

どのくらいゆっくりかと言いますと、法人化に関して本格的に検討し始めたのは、2014年でした。なんと5年前(笑)
むしろ5年も何ボサッとしてたんだよ!って感じです。

この頃は実店舗を持っていました。
商業施設に入っており、同じフロアで同じくらいの規模のオーナーさん達と、そろそろ法人化する?いやー、まだいいか。でもさー・・・なんてよく話していたものです、懐かしい・・・。

小売の場合は法人化しなければ取引自体ができない仕入先がかなり多いです。
実はわたしが海外仕入れから入ったのは、これも大きな要素のひとつでした。今は割と個人事業でも取引をしてくださる業者さんも増えましたが、10年ほど前は取引不可の会社が圧倒的に多く、欲しいものが買えなかったんです。

なので今よりもあの頃の方が、法人化を真面目に検討していました。


今日は今まで詳しく話してこなかった、お店をやめた理由について書いてみますね。


2014年の秋にコンサルタントの仕事を始めて、書籍の出版が決まりました。
2015年には7月と12月に2冊の書籍を出版し、12月にはオンラインサロンをスタートさせました。
 
この頃、東京に加え大阪にも月に2度ほど出張していました。
多分起業してから一番時間に余裕のなかった時期だと思います。
2冊目の書籍の執筆スケジュールもかなりタイトだったので本当にきつかったです。

お店はすごく儲かっていたわけではありませんでしたが、一定の売上はありました。ただ、わたしがお店に全く出られなくなったことで、店長をしてくれているスタッフへの負担が大きくなっていき、新しい人を採用するにも教育している時間がなく、いろいろ考えた結果、施設を出ることにしました。

ちなみに店舗は施設との契約上、年中無休、10.5時間営業です。5坪ほどの店を基本的にはワンオペで回します。スタッフはわたし以外に3人、全てアルバイトです。


うちは小売とハンドメイドのスクールがメインだったので、施設を出てサロン形式のコワーキングスペースを作ろうと思い、準備を進めていました。 

法人化を考えていたので、札幌の創業支援セミナーなどにも足を運んだりしているうちに、埼玉県の大宮市で「7F(ナナエフ)」というコワーキングスペースを経営されている星野さんの講演を聞き、7Fを見学に行ったりもしました。

見学だけでなく星野さんにいろいろとお話を聞かせていただいたりもして、勉強になりました。
あの頃から凄かったですが、今は7Fだけでなく様々な事業も展開されていらっしゃいます。

他にも東京や大阪のコワーキングスペースを十数軒利用し、どういうところが人気なのかを調べたりもしました。


そんなこんなしているうちにスタッフから休みが欲しいという要望が強くなってきたことで、まずは施設を出て準備期間を経てサロンをオープンすることに決めました。

たまたま書籍の執筆やセミナー開催のために、店舗の向かいのビルのシェアオフィスを借りていたため、席を増設して半年ほどはそこでレッスン、そしてネットショップで物販をして、オープンさせようという計画にしていました。

もちろんスタッフにもこの計画はしっかりと伝え、納得してもらっているものだとわたしは勝手に思っていました。
ですがこれが、勘違いだったんです。


店舗は移転で、向かいのビル。
売上は半分くらいになるかもしれないけれど、それはしょうがない。なんとか半年間しのいで、新しいサロンで稼げば大丈夫。

ところが売上は半分どころか、最終的にはゼロになりました。
それまでどんなに少なくても5〜60万はあった売上が、本当にゼロになりました。

わたしは札幌にいないことも多いですから、当然数字を詰めます。でも売上も上がらないし、ブログなどの発信も以前とは違い、ただ更新しているだけで、商品やレッスンの魅力について伝えられていませんでした。

 
売上がなくても家賃や人件費は払わなくちゃいけないわけで、もうコンサルティングやセミナーで稼ぐしかありません。するとますます札幌にいる時間が減り、札幌にいてもお店以外の仕事をしなければならないという悪循環。

気付いた時に店長とわたしの間には大きな溝ができてしまい、退職したいという申し出を受けることになりました。


その頃は言い分もありましたが、振り返れば全ての責任はわたしにあります。
良かれと思って始めたコンサルティング事業が軌道に乗り、スタッフにしてみれば放置されたという気持ちになっていたんだと思います。

もともと雑貨やハンドメイドが好きで、うちのお客様だった店長。
器用なタイプではないけれど、とにかく真面目で熱い人でした。

今は安いお給料しか出せないけれど、お店をうまく回せるようになったらその分を報酬としてお渡しするから、自分で考えていろいろやってみて!と話すと本人もやる気になってくれていたので、大丈夫だと思い込んでいました。

でも、うまくいかなくて相談しようにもわたしはいない。
そもそも、何をすればいいのかがわからない。なのに数字を詰められて、どうしたらいいかわからない・・・

たった一人で、悶々と悩んでいたんだと思います。
結果、退職という結論になってしまったんです。


皮肉なことにその頃、自分のクライアントさんの売上はどんどん伸びていました。
書籍も2冊出版し、周りから見ると順調そのものに見えたと思います。

でも自分は、スタッフの気持ちを察することもできず、お店の売上がゼロになるくらいまで落ち込んでいるのに立て直すこともできなかったということが、心に深く突き刺さり、全ての自信を失っていました。

それまで、どんなことがあっても自営業をやめたいと思ったことは一度もなかったですが、この時初めて「辞めたい」と思いました。気づけば起業から6年の月日が経っていました。


そんなわたしを救ってくれたのは、2人の友人です。
一人はわたしの相棒とも言える、書籍のイラストを描いたりデザインをしてくれているりったん、もう一人はりったんと共通の友人で、会社経営をしているTくんです。

わたしは仕事で行けなかったんですが、その日二人は日光東照宮で、印籠のお土産を買ってきてくれました。辛いことがあればこれを出せ!と言ってくれました(笑)

その時に2人に「これからは動画だ、動画!」と言われたことをよく覚えています。それもあってYouTubeで外向けに公開しているものは2018年からですが、2016年からサロン向けの動画などはコンスタントに公開していました。


実はTくんはとあるジャンルの動画の会社の社長です。最初に出会った時は役者をやっていたんですが、いつの間にか社員が100人くらいの会社になっていました。

「スーパー金持ちになる」といつも言っていて、「バカじゃないの」と返すのがお約束だったのに、いつの間にかなってましたね。

2人の励ましもあって気持ちを強く持てるようになり、今に至ります。
本当にあの時辞めなくてよかったと、心から思います。そして2人には感謝しかありません。


この時の経験は、今の自分の仕事のスタイルに大きく影響しています。
今回2拠点生活にすることや、事務所をサロン形式にして、オンラインサロンのメンバー向けのサービスを充実させることなども、すべてこの時の経験から繋がっているものなんです。


長くなったのでまた明日にでも書こうと思います。


もし今、うまくいかないことがあってすごく辛い人も、わたしのように周りの人のおかげで良い方向へ向かえたりもします。
環境、人の繋がりはとても大事です。

自営業は孤独が基本。
だからこそ諦める前に、辞める前に、相談したり影響を与えあえる仲間に出会えるといいなと思います。

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