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読んでためになる無料マガジン第2号

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勇気をもらったり、心がほっこりしたり、そうだそうだ!と思える無料記事を集めたマガジン第2号
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#パレスチナ問題

Fairly.fm パレスチナ・イスラエルを語る

Fairly.fm パレスチナ・イスラエルを語る

noteをきっかけにタカハシイツローさんの主催する社会派ポッドキャストFairly.fmに出演させて頂きました。
不慣れな点が多くお聞き頂いた方には聞き辛い箇所もあったかと思います。大変失礼いたしました。
緊張でお話できなかったことをココで少し補足したいと思います。

パレスチナ人にとってのパレスチナ料理とは?
特に戦火を逃れ国外に避難したパレスチナ人は今や3世の世代でパレスチナに行ったことがない

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リフタ / Lifta に集まる人々

リフタ / Lifta に集まる人々

70年前、この自然が豊かな場所には人々が普通に暮らしていた。今はその面影もないのだが。
友人に何の説明もせずに、写真を見せる。多くの反応はこうだ。

ここは何の遺跡?どんな聖地だったの?

わたしもそう思っていたし、今のこの村の状態を見て古い古い遺跡と思わない人の方が少ないだろう。エルサレムのご近所ということも相まって。

70年前、この村は空っぽになった。民衆は一時的に避難して安全になったら帰っ

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リフタ / Lifta の家

リフタ / Lifta の家

天然のプールを越えてその先を歩く。わたしの腰の高さまで伸びた草のその先にはうちわサボテン群。積み重なった石の壁の隙間からはミントが生えている。

歩くと緑の草に隠れた石というか建物が崩れて落ちてきた壁の一部。気を付けないとつまずいてしまう。

この建物は元は家だったのか?壁に大きな穴が空いている。その先も建物。これは2階建だ。屋根や壁に穴。もう誰も住めないように全壊ではないが壊されているのがわかる

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リフタ / Lifta 住んでいた人の話

リフタ / Lifta 住んでいた人の話

今となってはリフタはパレスチナ問題の象徴的な場所だ。

パレスチナ人、(入植前の)ユダヤ人も特に揉めることなく人々は住み、そこにはコーヒーショップ、モスク、学校、そして刺繍のお店など普通の村に普通の暮らしがあった。1948年までは。

わたしがリフタを歩いていると一人佇んでいる初老の男性がいた。彼はわたしの気配に気づき後ろを振り向く。

サラームアレイコム。

アレイコムサラーム。

君はアラビア

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Lifta /リフタ 鍵を持って

Lifta /リフタ 鍵を持って

1938年に生まれた彼女はリフタを今も故郷(帰るところ)だと思っている。

急に車がやってきて、銃声が聞こえたの。そしたらたくさんの人たちが大急ぎで逃げていたわ。他の人たちも大声で叫びながら逃げ惑っていた。叔父はわたしに、ここにいなさいって言ったの、死体を見せたくなかったから。でもわたしは違ったわ、見たかった、知りたかった。多くの人が殺されたり怪我をしていたの。それはメッセージだとわかったわ、ここ

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消えた村 リフタ / Lifta

消えた村 リフタ / Lifta

エルサレムと聞いて思い浮かぶのはきっと旧市街の嘆きの壁や黄金に輝く岩のドーム、そしてイエスキリストが磔刑にかけられた聖墳墓教会だったりするだろう。
もちろん、この場所は祈り人みんなにとってまた祈らないわたしにとっても尊い美しい場所だ。
この旧市街から歩いて30分ほどだろうか、エルサレムの長距離バスターミナルを過ぎ行くと右手に見える緑。段々に下がっているオリーブ畑(畑というより雑木林)や石造りの廃墟

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