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かけがえのない時間

僕は2021年の誕生日(7月15日)に「行く」ことを決めた。
それから1年後、海外のアート&ファッション誌で取り上げられている自分を見つけた。

生き方を明確にしたと言ったらよりわかりやすいだろうか。
そして「決めた」と言っても、無理矢理ひねり出したものではなく、とても自然に出て来たことだった。

僕はそれから体を使って表現をするようになった。
体を使うという望みが自然と湧いてきたから。
しかしそれを思うと恐怖や不安が頭を過ぎった。
それこそが、自分がそれをやるべき何よりの証拠のように感じた。

『青いトスカーナ』より

僕は光に敏感で、光が美しい時に服を脱いで写真を撮り、撮れた写真を組み合わせてデジタルプラットフォームで見せる作品を作り始めた。
今まさに発生したその自然な光と体で画を作りたいから、だいたいそこには自分の体しかない。
写真を編集して作る作品も大作のものから短いものまで十人十色。
あるときは映画のようであり、ある時は詩のようでもある。
インスタグラム上で紙芝居のように作品を展開させていくスタイル。
そこを遊び場にしたかった。

僕は主に紙を作品制作に使うことが多い。
しかし、デジタルへの興味と自然な自分を思い出していく過程の中で、写真と体を自分の表現に使い始めた。
それからは発見の毎日だった。
自分の体に着目することで、様々な感情が湧き上がってきたから。

僕はずっと自分のことをよく見ていなかった。
特に僕の場合はインタビューをしたり映画を観ることが以前仕事になっていたこともあって、興味を示す対象が常に外側だった。
以前の僕のように、外側ばかり見ながら生きている人も少なくないのではないだろうか。
僕は自分に注目する時間を全く持っていなかったことに何年か前に気づいた。
外に興味を示すのも悪いことでもないけれど、僕はもっと自分のことを知りたいと思った。

『青いトスカーナ』より

去年の誕生日までは、人前で肌を見せることに抵抗があった。
だから初めの数ヶ月は恐怖や不安が時折襲って来た。
「こんなことして大丈夫か?」
「恥ずかしいことになるぞ」
「みんなに批判されるぞ」
そんな頭の声。

でも内から湧き上がってくる。
突き動かされてしまう。
解放されたいものが心の奥でずっと僕にこう伝えてくる。
「大丈夫だから」と。

ブレると、そうやって安心へと還る。
ずっと居てくれている「私」を開いていく。
そして再び信頼の道を進み始める。
恥の向こう側は、今のあるがまま。

『青いトスカーナ』より

僕は自分が生きている時間を通して、誰でもいくつになってもやりたいことは何でもできるということを伝えたいと思っている。
無理矢理それを伝えようとするというよりは、自分があるがままを生きて自然と伝わればと。
だからこういうことも言葉にする必要は本当はないのかもしれない。
雑誌などのメディアに取り上げられることが全ての人にとっての望みではないだろう。
しかし僕がやりたいことが、今回無理のない状態で、かつとてもわかりやすい形で現れてくれた気がする。
それをとてもありがたく思っている。

前回の投稿では、僕がディレクションした作品『青いトスカーナ』の撮影過程について書いたが、『青いトスカーナ』をLouscious Magazineで特集していただけることになり、7月10日にマガジンのサイトで公開になった。
『青いトスカーナ』は、僕のアーティストとしての作品ではあるが、僕が初めて海外誌にモデルとして出たものでもあった。
第一線で活躍し、世界を飛び回っている男性モデルたちの中に、絵のモデルくらいしかやったことのなかった現在40代の自分を見つける面白さ。
そんなことが可能だったのだ。

もし僕が今20代だったら、「若いからそりゃ何でもできるよ」と言われていたかもしれない。
だから『青いトスカーナ』がああいった形で出て行ってくれたお陰で、自分が表現したかった「いくつになっても」というところに説得力が増した気がする。
また今回の件は、「誰しも可能性はある」ということを、自分でも深いところで腑に落とすことができた事象になった。

『青いトスカーナ』より

なんとなく、僕は約1年かけて1つの作品を作っていたような気がしている。
まるで彫刻のように、大きな大理石の中に作品がすでにあることを知った状態で掘っていくような感覚。
どうなるのかわからなかった。
けれど始めた。
何かがある気がしたから。
「それ」を感じてただ続ける。
苦しくはない。
頭の声に耳を傾け過ぎなければ。
「それ」があることは知っているから。

実験して、赦して、の繰り返し。
体へのありがたさを感じ、安心を聴く。
くつろぎの呼吸をしながら、懐かしい場所を開いていく。
そんなやわらかな時の過ごし方。

大人になってからも、そんな感性の時間が過ごせるとは思っていなかった。
自分をもっと知ろうとしたからこそ、自分の本質に気がつけた。
とてもかけがえのない時間を過ごせたように思う。
『青いトスカーナ』は、そのようにして生きた時間を集約したような作品だ。

太陽


今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次回もここでお逢いしましょう。

青いトスカーナ』は、英題『Blue Toscana』としてLouscious Magazineにて公開中。
この作品を通して、ここ1年僕が感じていたことを読者様にも感じていただければ幸いです。
ありがとう。


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