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「アイノカタチは孤独から」と教えてくれた2020年の紅白歌合戦〜星野源さん、福山雅治さん、MISIAさんの流れから〜

2020年の紅白、良かったですね!初の無観客、オンライン開催という手段の話以上に歌詞が伝えてくる内容が心に残っています。

紅白が「私たちはひとつになれない」と宣言したかのようでした。でもそれは絶望ではなく。「アイノカタチはそれぞれ自分でつくれる」希望です。

特に星野源さん、福山雅治さん、MISIAさんの締めに入る後半の流れからそう感じられます。

「アイノカタチは孤独からはじまる」のかもしれません。

星野源さんが忍ばせた「孤独と諦め」

コロナ禍の紅白ということもあり国威発揚と言いますか、「一緒に頑張ろう」、「一つになろう」というメッセージは当然強かったです。医療従事者の方へのメッセージもありました。

でも、今年の紅白で歌われる歌詞が一番伝えていたものは「ひとつになろう」ではなかったように思います。

例えば星野源さん。「うちで踊ろう(大晦日)」の2番に追加された歌詞は、コロナが浮かび上がらせた冷たい事実を反映させているかのようです。

生きて踊ろう 僕らずっと独りだと諦め進もう

その通りなんですよね。コロナが突きつけてくることは「一緒に頑張ろう」や「一つになろう」が実体を伴わない標語でしかないことです。

コロナで大打撃を受けた産業もあれば恩恵を受けた産業もあります。私のように紅白を見てゆっくりしているひともいれば、いまもコロナと戦っているひともいます。

一緒に頑張ることや一つになれる場面は限定的でしかない。これが揺るぎない事実になってしまいました。同じ国に同時代に生まれていようと、ひとつの世界線で生きていません。

コロナでバラバラにされたというより、もともとバラバラな存在であることに立ち戻れた。星野源さんは、コロナに翻弄された私たちが立ち戻るべき出発点を定めてくれたように思います。

福山雅治さんが「一つの愛の形」を示してくれた

星野源さんが「孤独と諦め」を歌いましたが、決して星野源さんは「コロナの前では何もできない」なんていう無力感に打ちひしがれているわけではないでしょう。

それは紅白の締めの流れにも反映されています。

福山雅治さんが「家族になろうよ」で「孤独と諦め」のあとに向かう先を示してくれました。

家族が幸せ一色ではないことは事実であり、最も悲惨な事件が起きるのも家族です。「私たちは家族だ」とひとつにまとめる暴力のもとにどれだけの犠牲が払われたか。

家族は誰もが目指す幸せな形ではありません。

ただ、この事実は周知のものでありながらも、家族が具体的なアイノカタチのひとつでもあります。コロナの中では「目の前のひとを大切にしよう」と思ったときに浮かんだのは、家族の顔だったひとも多いはずです。

そんな状況を反映してか、福山雅治さんが歌う「家族になろうよ」は家族の光の面を見せてくれ、具体的に向かう先を示してくれたように思います。

MISIAさんが「アイノカタチは自分でつくる」と伝えた

でも、誤解を恐れずに言えば、福山雅治さんの「家族になろうよ」で紅白が締めくくられなくて良かったなと思います。

もし締めくくられていたら「家族が持つ絶対的な不幸」に目を逸らしたことになります。紅白は一部のひとのものではありません。広く開かれたものです。当然、家族を幸せな形にも愛の形にも思えないひとにも開かれています。

そのことをはっきり示すように、締めはMISIAさんの「愛の形」でした。アイノカタチはひとの数だけあると受け取れます。

あのね 大好きだよ何万回も 伝えよう 温かく増えた想いは 全部アイノカタチです

MISIAさんが歌う「愛の形」は「全部アイノカタチ」と歌います。「アイノカタチは自分で決める」です。福山雅治さんの「家族になろうよ」が具体的に父親や母親をイメージさせる歌詞とは対照的です。

言ってしまえば、アイノカタチは家族である必要もなければひとである必要もないのでしょう。自分が「愛している」と思えば、その形が自然だろうが動物だろうが、仕事や文化だろうがなんでもいいのでしょう。

なぜなら愛は「愛の形はこれです」なんて配られるものではないからです。自分で好きに形どって、切って割って、削って磨いて、色をつけて。もちろん、「家族」といった歴史が作ってくれたひとつのアイノカタチを、自分のアイノカタチにすることもできます。

アイノカタチはひとの数ほどあるようです。

ウイルスひとつで分断される。愛はまだ力を持っているのか

ここでふと思うのは、「愛はまだ力を持っているのか」です。

2020年の紅白歌合戦は、特に星野源さん、福山雅治さん、MISIAさんの流れから「愛は孤独からはじまり、愛は自分でつくる」と受け取りましたが、これは愛にはまだ「ひとが求めてやまない力がある」という前提に立っています。

でも、どうなんでしょう。愛はまだ力を持っていますか?そもそも愛なんて目に見えないもの、本当にあるんでしょうか。

愛なんてないんじゃないかなと思っています。暗いですね(笑)。でもニヒリズムに陥っているわけでもなく。そこにポンと置いてあるものでも、配られるものでもないという意味で「愛なんてない」です。

「愛なんてあるのか」という問い自体が間違いなのでしょう。「自分は愛をつくれるのか」と問われているように思います。MISIAさんの歌詞全体を読んでいると、「アイノカタチは自分でつくれ」と思えますし。

ウイルスひとつで不幸も争いも生まれ、分断される時間を生きていると「愛なんてないなぁ」と嘆きたくなります。でも、そもそも愛なんてものはなくて、自分がつくるかどうか。「愛は創作する権利だけがある」のかもしれませんね。


素敵な紅白をありがとうございました。2020年の紅白は、きっと賛否両論巻き込んで語り継がれる紅白になっていくはずです。







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