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『いいことを言いたい男』(超短編小説)


「なんだか、いいことを言いたい気分だなあ」

  突然、ケンが何か言い出した。

「なにそれ」
「ほら、今の俺たち、むちゃくちゃハッピーじゃない? この雄大な大自然の中で、木々のざわめきと川のせせらぎをBGMにして、最高に贅沢な時間じゃない? 俺、いつもはソロキャンプだからさー、いいこと言いたくても独り言になっちゃうんだよ」

   晩秋のキャンプ場は、夜になってかなり冷えこんでいた。吐く息も白くなる。湯気の立ったぽかぽかのコーヒーを口に運んでから僕は言った。

「マジやめてよ。そういうノリ。マジで」
「なんで? 」
「ただでさえ寒いのに、鳥肌もたってますます寒くなるから」
「そんなこと言うなよー。俺、満たされた気分だから言いたいんだよー」
「ロマンチックなセリフは、いつか彼女ができた時のためにとっとけよ」
「お前やさしくないねー。俺ふられてばっかなの知ってるだろ。一緒にいく女がいないから、いつもソロキャンプなんだよ」
「だからって、それを俺に言うんじゃない。ホント、想像しただけで寒くなるから」

   頑なに拒否し続けたら、ケンは黙ってしまった。男二人でやってきたキャンプ場で、いいことを言おうとする空気は、結構しんどい。

「なあ」
「なに?」
「やっぱり言わせてくれ」
「いやだ」
「いいこと言いたい。いいこと言いたい〜」
「あるある言いたい〜、みたいに言うな」
「いいこと言いたい・・・言いたい・・・いたい・・・あっ、なんか痛い。このあたりが、急に・・・」
「えっ」

   ケンが急にお腹のあたりをおさえ出した。表情を苦痛で歪めながら、前かがみになっている。バーベキューで食べた何かがお腹にあたったのかもしれない。

「おい・・・」
「う・・・いてて・・・」
「大丈夫? 」
「や・・・やばい。マジで苦しい・・・」

   ケンの顔色がみるみる青くなって汗が噴き出してきた。自分は彼の背中をさすることしかできなかった。ケータイの電波はかろうじて通じているが、こんな山奥まで救急車が来てくれるのかわからない。

「・・・あっ、気持ち悪い・・・吐きそう・・」
「吐いたら少しはラクになるかも」
「ああ、吐きそう・・・あっ、やばい。喉のあたりまで来てるっ! 」

   その勢いのまま、ケンは一瞬ニヤッとしてから、ものすごく“いいこと”を吐き出した。本人も赤面するくらい、体感気温が五度下がるくらいの“いいこと”だった。

「・・・・」
「ふう〜」
「おい、こらっ」
「すっきりした」
「お前だましやがったな。・・・よくもまあ、あんな恥ずかしいセリフを堂々と言えるよな・・・」
「ああ、楽しいなあ。キャンプは楽しいなあ」
「お前のせいで、厚着してるのにむちゃくちゃ寒くなったわっ」
「ああ、もっといいことを言いたい」
「いい加減にしろ」
「ん? 」
「ん? 」

   ランタンの灯りごしに、空から粉雪が舞い落ち始めているのに気づいた。この雪はきっと、さきほどケンが言い放った“いいこと”が連れてきたに違いない。

  (了)



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