なかよし夫婦に至るまで。(1682文字)
2009年11月に結婚した私たち。
明日でまる12年、出会ってからは14年。
ずっと仲良しだったかというと、そうでもない。
離婚を切り出したことも、蒸発願望もあった。
知らない場所で車から降りて一人で帰ったことも、プリンターのインクを床に投げつけたこともある。
上海赴任が決まった直後。
当時4歳の息子を両親に預け、夫婦二人で一週間の中国視察。
そのころ私は軽い産後うつからの回復期。
やせ細り、すっかり体力が落ちていた身には、移動だけでも重労働。
やっとホテルに着いたかと思ったら、夜は会社関係の会食があるという。
寝たい。横になりたい。静かに過ごしたい。
ここで「行かない」なんて、空気を読めていないのは百も承知。
でも、初対面の気を遣うおじさんだらけの中でお酌や、愛想することを考えると吐き気した。ぐるぐる回す高級中華なんてどうでも良かった。
今と違い、滅多にわがままを言わなかった当時。
勇気を振り絞り、行きたくない意思をつたえる。
「予約もしてくれてはるし、今日は夫婦揃って行かなあかんわ」
少しだけ隙間があった心のシャッターが一瞬でとじてしまった。
夫の言葉はあまりに悲しく届いた。
辛いとき、しんどい時、パートナーが自分に対しどんな態度をとるか。
妊娠、出産、乳幼児子育て期、パートナーがどれだけ寄り添ってくれるか。
熟年離婚するご夫婦が「産後のあの時がきっかけで」
なんて何十年もまえのこと持ち出すなんてこともザラだというのも頷ける。
仕事や出世のことしか頭にないような、私のことは二の次のような人。
がんばらないと、今を絶えないと、一緒に苦しさを乗り切ろう。
そんな風に言いくるめようとする人。
この人といると不幸にしかならない。
頼むからあなたのそのくそつまらない世界に引きずり込まないで。
そんなおもんない人生、
ただ今を耐えるだけの苦しいだけの世界はまっぴらごめん。
そんな風にいった気がする。
迎えが来たので夫は一人、会食会場へ出かけていった。
ゴール、目標達成、成果を目的に、辛いこと、苦しいことに耐える。
努力すればいつかいいことがある。
それも真実。
達成感や満足感も自信だって積み重ねていくことができる。ゴールまでの熱意や継続できる硬い意思もすごい。
けれど、夢中で、楽しんでやっているうちに気が付けば結果らしいものがでる。
勝手にがんばってしまう。
好きでやっているだけで、「努力」とよばれる現象が起こっちゃってる。
ゴールまでいかなくてもいいし、ゴールできちゃってもうれしい。
そんな考え方もあってもいいんじゃない。
離婚しようと思うこともありながら、やっぱり結婚したほどの人。
なんども話し合い、お互いの気持ちを伝えあう。
教育方針を介しても何度も衝突をした。
まだ言葉もたどたどしい息子に夫は義務感を押し付け、成果を出させるためにしかり、脅し教育をした。
だまってて。
しょーもな。
最低。
私が息子に接する様子をみながら、彼もまた自分の新たな価値観を構築していけているようだった。
心配症で教育熱心なお母さんのもと、素直に育った夫。
生徒会長の息子と歴代ご夫婦でPTA会長の両親。
彼のご両親もそうかもしれない。
初めての中国の夜、一人ホテルの外に出た。
夫が会食へいき、ホッとするとお腹が猛烈に減っていることに気づいたから。
店に入る勇気もなければ、ルームサービスもわからない。
外にでるとありがたいことに見慣れたローソンの看板。
購入したのは見慣れない生棗。サクサクしてほんのりした甘さが空っぽの胃に染みわたった。
今でも棗をみるとあの時のことを思い出す。
いや、全く思い出さない。
そんな出来事やそんな気持ちがあったことを忘れるくらい、今はラブラブなのだから。
もともとの性格や相性もあるだろう。
でも最初から全てが合う相手なんているのかな。
パートナーが優しいのも、仲がいいのも双方の努力なしにはありえない。
がんばるの反対は「なまける、怠惰」だと思っていた夫が、楽しむことや緩むよさを知った。
私は苦しみや我慢じゃない「がんばり」があることを知った。
やりたい努力は勝手にできるもの、そして努力はいいもの。
私たち、努力するのが好きみたい。
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