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まっててね。おかあさん。(1430文字)




 母は、わたしに対していつも正直だ。
まっすぐで、喜怒哀楽が激しく、ときどき思い込みがはげしくてトンチンカン。
それでもいつだって誠実で、こどもに対してはバカがついちゃうほどむき出しだ。


 例えるのなら、屋上から決死のダイブをし、窓ガラスをぶち破り、敵と殴り合い、あちこちを這いずり回り、
ボロボロになりながらも愛する妻を救う、ダイ・ハードのブルースウィルスのよう。
からだをはった生き方と、その体験のすべてを子に共有するような開示のおかげで、
わたしはつらい時でもどこか思いつめずに乗り越えられてきた気がする。

 

 そんなダイ・ハード母も歳を重ねるごとに今年還暦。
さすがにだんだんと穏やかに、落ち着いてきた。
それと同時に夫婦関係や子育てにおいて、弱気でしょぼけたことをつぶやくようになってきた。

「わたしが悪かったからや…」
「わたしがあんなことしてしまったからや…」


きっと後悔や自省の念をもってのことなんだろう。
ちょっと聞けば謙虚に思える発言だけれど、
「わたしは夫婦関係、子育てに失敗しました。現状に満足していません」とも聞こえてくる。


 それでも自分ももう大人。
母親が中心だった世界から、母の外側にある世界で生きる方が長くなり、
母の主観や意見に左右されまくる時代もとっくに過ぎさった。
こういった母の発言にも一喜一憂せず、冷静にうけとめることができるようになった。


 数年前手術をしたこともあり、母はこれまで以上に積極的に自分の人生をいき、ますます輝いて人生を生きている。
 それでも時にはハタと立ち止まり、自分の人生を振り返ってみたくなるほかもしれない。

人生バタバタと駆け抜けるように過ぎてきたなぁ。
「おや?ゴールまでのほうが近くなってきたぞ」
自分の人生これで良かったのかな。
何か残すことができたのかな。

と、そんな風に。


そして夫婦や子育てに後悔があるわけではなくても、
ただ、ふとしたときに自分の今までや自分の存在を肯定してくれる言葉や存在がほしくなることがあるのかもしれない。

「いままでよく頑張ったよ」
「これでよかったんだよ」
「育ててくれてありがとう」
「母のおかげでしあわせだよ」
「あなたがお母さんで良かったよ」


うぅ恥ずかしい。
こんなセリフ、口にだしてどうして言えるだろう。

「お母さん」


 この頃は、そう呼びかけることさえ恥ずかしく、すっかり名前で呼ぶことが心地よいわたしにはハードルが高すぎる。
 低いハードルでさえも、足も短いうえにインターバルの取り方もワカラナイというのに。


他人にはあっさり言えるかもしれないセリフも、気持ちがこもってしまう人にはやっぱり言えないもの。


 実家に向かう道すがら、
先月までシャンシャン元気に大合唱をしていたセミたちが、秋の虫たちに主役の座をゆずりクヌギの木の梢で遠慮するかのようにわずかに鳴く。

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 田んぼにおよいでいたオタマジャクシも、黄金色した稲穂がたわわに実るいま、立派なカエルへと成長をとげている。
豊かな四季のうつろいと同じように、親子の関係も移ろってゆく。
そのときどきで距離感や関係はかわろうとも、何年かあとこの世から去ったとしても、
わたしが生きている限り、親はずっと私の心の機微に触れ続ける。


ちなみに、「ダイ・ハード」とは「なかなか死なないしぶといヤツ」という意味があるらしい。~ウィキペディア
わたしがちっぽけなはずかしさを克服できるまで、母にはぜひともしぶとく生きていてほしい。


まっててね。あかあさん。

ちゃうちゃう、ごめん。おかあさん。


いただいたご厚意は、今後の執筆の原動力にさせていただきます。 これからも楽しんでいただける記事を執筆できるよう 精進していきます。 今後とも応援宜しくお願い申し上げます。