「学校は苦行」なお母さん。(1453文字)
先月から息子が初めて日本で学校に通いだした。
上海の日本人学校では集団での登校だったのが、今や気楽な徒歩の個人登校。
息子にとっては慣れない道をわたしも付き添い、送り迎え。
昨日もいつものようにのっぽり支度し、遅刻ギリギリに一緒に出発。
マンションのロビーに降りると、
「あ~良かった。待っていたよ!良かった、良かった!」
後ろを振り返るも、だれもいない。どうやら私たちに向かって話しかけているよう。
そこにいたのは民生委員だというおじさん。チノパンにベルトをきっちりしめ、シャツの裾イン。首からはネームホルダーをぶら下げている。
全く状況が飲み込めない私たちに謝りながら状況を説明し始める。
とにかく早口でよくしゃべる方だったのでなかなか思考が追い付かないが、要約すると、
民生委員は年度の初めに数回、新入生の引率をする。
新入生がこのマンションに来たときいた。
今日は登校日だというのに、遅刻ギリギリの時間になっても降りてこない。
連絡先もしらないし、どうしようかと思っていたところに、それらしき親子が登場。
「さぁ案内します!急いで学校へ行こう!」
いろいろな疑問がわいてくるが、聞く隙もないほどのオジサンの勢い。
まだ手にゴミをぶら下げっぱなしだったことにやっと気づき、ごみだけは捨てにいく。
道中質問攻めにあいながら、言われるままに、正式で安全だという学校までのルートをついていく。
いつも親子で通っていたルートは「危険で邪道」らしい。
「個人情報だから」と、あくまでも私たちの名前は聞いてこない。
「今の時代は名前を相手に尋ねることに対しても敏感になるんだ。大変だね。」
おじさんの気遣いに対し、そんなことを思っていたら、
彼、前はどこにいたの?
彼、何年生?
へ~。お母さんはこの辺の人なんだ、実家どこ?
名前以外は聞きまくりですけどね。
いつもの「邪悪で邪道な道」を通れば、学校までは2、3分の計算を今朝は安全ルートで見事遅刻。
閉まっていた門を開けてもらい、無事に息子を見送り、さぁやっと解放されるかと思ったら、
「紹介しとくわ!」
向こうからぞろぞろやってきた登下校旗振りボランティアの元気シニアの方々も合流。
囲み質問と、知っておかなきゃ行けないあれこれルールの伝授。
とにかくなんだかいろんなルールがあることと、集団登校は面倒だということがわかる。
「いや~、お母さん。いろいろ心配でしょう!」
いえ、心配していることはありません。
ところで、毎日個別で行っている人はいますか?
聞いたことないね。
「個人情報だから」と名前は聞いてこないものの、名前以外は聞きまくりだった、民生委員さん。
「お名前は?」
最期に結局聞いてきた。もちろん言うよ。不自然すぎだもんね。
民生委員さんも、旗振りパトロールさんたちもみなボランティア。
高い志がなきゃならない。善良で常識ある人たち。
日本で、「学校へいく」ということは、協調性やルールを守ることの練習もかねているのだろう。集団のなかでは協調性やルールを守るのが大事なのは、わかる。わかるけれど、
常識がなくて、協調性やルールを守るのが苦手なお母さんには苦行。
ちなみに息子は得意。鉄棒は苦手。
そのころ民生委員さんたちと同じ年かっこうの実家の父。昨日は散歩で歩き疲れ、公園でルービー。
鳩さんたちに癒されたと、うとうと昼寝していたそう。ちなみに酔っぱらった鳩のような父は元公立学校教師。
退職してからもやっぱり学校現場が好きで、今も週に何度か授業にいく。
わたしのような保護者や、生徒にとってこんな先生がいればほっとするだろう。
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