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10年ぶりのハローワーク。(1607文字)


 

朝。

夫と息子を「いってらっしゃ~い」と送り出す。
ちょっと家事して、ちょっと外出して用事をすます。おなかが空けば何かをつまみ、ときどきテレビや映画をみたり、調べ物をしたり、本を読む。
そうしているとあっという間に学校を終えた息子が帰ってくる。

ただ起きてご飯を食べて寝て、息をして暮らす。何の変哲もない毎日。「随分早く来た隠居生活かな?」そう錯覚しそうになるほどに、毎日が穏やかで、
マグマのような怒りが爆発することも、深淵のような深い悲しみもない。
毛が抜けるほど悩むことも、声もでないほどびっくりすることもない。
 いや、もちろんないほうがいい。


やっていることといえば絵日記に、自由研究に自由工作。お手伝いほどの簡単な家事に、ラジオ体操のようなヨガ。
老後というよりは、小学生の夏休みのような、「のほほ~ん」とした一日がパタパタと積み重なっていく。


もう「一時」でもなんでもない帰国も、そろそろ終わりかな?
秋ごろには上海にもどるかな?
なんとなくそうおもっていた矢先に夫からの告知。
「来年も日本にいると思う」

な、な、なんですと~!それは思ってもみなかった。
それはもう、外に出て働いちゃえるじゃん。働くしかない。働きたいです。


就労が認められない駐在妻でもなく、一時帰国でもなく日本にいる。
そして息子は小学生。上海の日本人小学校とはちがい、日本の学校はありがたいほどに親がしなきゃいけないことが少ない。
レッツ仕事!

というわけで、善は急げ。
早速朝一番に最寄りの職安へ、ハロー!ワークしにいった。
求職活動は実に10年ぶり。すっかり浦島太郎状態の自分にも、職員さんたちは親切丁寧。感謝感激。
そしてこの早速の行動ぶりに、
「働きたかったんやな、自分」と、何呼吸も遅れてやってきた自分の感情を味わった。


人や社会とのつながりが実感できて、新たな経験もつめる。
様々な感情が味わえて、お給料がいただける。
仕事って、ええよなぁ。

日本に戻り、「こんなに平和でいいの?!」と思ってしまうくらい、毎日が穏やかで、安寧で。
「ストレスのない生活」とはこういうものか、と身をもって実感できてしまう日々。
安心して眠る場所があり、電気やガス、水道などのライフラインが過不足なくつかえる。
美味しく食べられるものが簡単に手に入る。
どこも痛くなくて、家族も病気にかかっていない。
だれに虐げられるわけでも、差別されるわけでもない。
そして、何かをする選択の自由がある。

普通の毎日を普通に送ることができること、それはやっぱり最高にしあわせなこと。
そしてそんなありがたい幸せも、ときに「あたりまえ」と見過ごし、取り落としてしまう。

喉元過ぎれば熱さを忘れる。
暑さ忘れて陰忘る。
魚を得て竿を忘る。



大喜利かと思うほど、似たような故事成語がいっぱいあるということは、昔のひとも一緒やったんやな。
わたしも忘れることばっかりですわ。
「あの、私いつからいつまでそこで働いています?何月から何月まで?」
「資格は何をもっています?」
職安の職員さんにも、もれなく忘れている自分の職務経歴を聞きまくったところ。


 それでも、やっぱり忘れたくないのは大切なひとたちからもらう気持ち。
どんなときにも「好きなことやりなよ。応援するよ」と、思ってくれている人たち、どんな失敗も一緒に泣いてくれて、笑ってくれる人がいてくれる。
そう思うだけで、なんだって挑戦出来そうな気がしてくる。

さぁ何やろう。
自分には何ができるかな?
何がしたい?

おっと、その前に今日から小学校の夏休み。とりあえず夏休みを楽しんだあと、ゆっくり考えよう。
そもそもこんなにわすれっぽいのなら、そうとう興味があることしか覚えられない。

今日も朝から、セミたちは忙しそう。

ハイ!一句できました。

梅雨明けと 葉月到来 告げるセミ

ヤマダさん、座布団もっていかないで!



働きたい気持ちや、なんでも挑戦できるような気持になったことを、どうか忘れちゃいませんように。

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