久しぶりに社会に適合しようとしている話。
長年、介護&子育て、プラス自分の持病で、稼ぐ金額は低くとも在宅でやれることしか選べなかったので、児童扶養手当や医療費の助成などとうまく組み合わせながら生活してきたわけで。
別に頑張りたくないわけでもなかったけれど、頑張れるほどの余力があったわけでもなく。
そして、頑張って、もっと自分が倒れるよりは、「児童扶養手当なんでいらない!」って言えるほど稼げるようになるプライドなどどうでもいいことだったし。笑って(ある程度)元気に過ごすことのみが義務。
そんな綱渡りの生活をしていたわけで、それはそれでどうにか綱の上でバランスを保っていたと考えると、今ちょっと社会に属そうとしていて、ちょっと精神的にバランスを欠いている気がする。
確かにフリーランスより、安定はするんだと思う。会社とかに所属することって。
でも、パニック持ちの自分としては「電車降りれない」の窮屈感と、時間拘束は似ていて、心理的負担が大きい。
自分で営業しないといけなかったり、毎日走ってないと生活できないんじゃないか、という焦りとは会社に属すると無縁だし、いろんな社会保険が付いてくる。
ただ、やっぱり自分は追い立てられる1文なしや、借金ホームレス状態より、安定した状態で何かを守って過ごす、というのがストレスなよう。
本来ならストレスを感じる環境の方が落ち着くという。
「ギリギリでいつもいつもいたいからー」
のタイプなんだとつくづく思う。
ただ、いま辞めたらまた探すのしんどいし、フリーランスの仕事って急に増やせないから、生活苦しくなるし、って考えると。
頓服でも利用して、今をやり過ごすしかないんだろうか。
どうやっても、「安定」と「普通」にストレス感じてバランス崩すって普通じゃない(笑)
普通じゃなく生きていくためのライフプランを立てて、それを空想することで(そのための金稼ぎ!と割り切って)乗り切るしかないのだろうか。
いやー、ある意味予想外のところでマイナス要素となっているのが、「人生の糧」。
人生において苦労は糧になって、選択や人間性、という意味においてはプラスなのだけど、組織(社会)に属するとき、安定した経験しかしたことない人が多すぎて、話のポイントや「義務」や「必然性」、遠慮や心配、に関する感覚が違うことで、伝わらない感を感じる。
業務だけでやりとりできる環境に早くなればいいけど、会話が多いと、その辺の違い、如実に感じてストレス。
学生時代も感じたなー、こういう伝わらない感。そもそも前提知識、というか前提体験が違う感じ。体験格差、っていうの?
もうなんかネットショッピング、事前にたくさん注文して、それをエサに、小さいことに気付かないように図太くすすめるしかないのかなー。
絶対1日でやめたくなるパティーン。
業務内容じゃなく、組織の「合う」「合わない」感覚って、結構ストレスよね。それを体感することで、これからのプラン、直視するきっかけにしよう。