見出し画像

クラクフの街とアウシュビッツ強制収容所 大学教授と行くポーランド旅行記#2

 11月の第一週に,ワルシャワ大学へ研究休暇に行かれている教授に誘われて行ったポーランド旅行.前回のワルシャワ旅行記に引き続き,今回はクラクフとアウシュビッツの旅行記をお届けします.


Day3 クラクフの街を歩く

 ワルシャワからはPKP Intercityという列車に乗ってクラクフへと向かいました.

 

 車窓からは広い丘や放牧された動物たちを見ることができ,何か北海道と似たものを感じました.

クラクフ旧市街

 クラクフに到着したら駅のミルクバーで昼飯ののちに旧市街を散策.

 旧市街の入口にあるバルバカンをくぐった先は多くの人で賑わう旧市街の街並みが広がっていました.

 立派なチャーチをめがけて旧市街の通りを歩いていくと,ワルシャワよりも賑わいを見せている広場にたどり着きます.

 広場の中央にはウクライナ支援の募金を募る団体がいて,ポーランドがウクライナの隣国であることを感じさせられます.

ヴァヴェル城

 旧市街をいちばん奥まで歩き進めた先にはヴァヴェル城(Zamek Królewski na Wawelu)があります.

 丘に登り城塞の中に入ってゆくと城の建物に囲まれた広場があり,その奥には立派なヴァヴェル大聖堂(Katedra Wawelska)があります.
 日没も近づいており時間があまり無かったので,大聖堂のほうだけ入りました.中は教会部分だけでも充分広かったのですが,地下のほうにも入ることができ,その地下にはポーランドの歴史上の人物が多く埋葬されておりました.その中には2010年の飛行機墜落事故でなくなった大統領夫妻もいて,今もしっかり維持されている場所なのだなと感じました.

夜の旧市街

 広い教会だけでも見てまわるのには時間がかかり,教会を出た頃には日が傾いており,ヴァヴェル城からは美しい夕日を眺めることができました.
 その後旧市街のほうへ戻ってゆくと日は完全に沈んで真っ暗になり,昼とはまた異なる装いの,ライトアップされた美しい街並みを見ることができました.

客を待つ馬車たち
クラクフの旧市街には馬車がたくさん走っている

 夕飯はクラクフの旧市街にあるレストランでいただきました.今回食べたのはOld Polishスタイルのカツレツ.普通のカツレツと違ってパン粉で囲まれて無く,代わりにかかっているソースと絡めて食べるカツレツのお肉は美味しかったです.そしてボリュームが多く満腹になりました.

Day4 アウシュビッツ

 翌日は歴史の授業で必ず習うであろうアウシュビッツ強制収容所へ.

第一収容所

 今回はアウシュビッツ唯一の日本人ガイドである,中谷さんの案内でまわります.同行している教授と中谷さんとは繋がりがあり,今回ちょうど都合が合ったとのことで,中谷さんのガイドを聞くことができました.

 教科書でもよく見る,入口にある看板には「働けば自由になる」と書かれています.この先には収容棟が連なっており,手前の鉄柵には電流まで流れていたそうです.
 大量虐殺で知られるこのアウシュビッツでありますが,最初はポーランド人の政治犯などを収容する場所であり,アウシュビッツの存在は公になっていたそうです.のちにヨーロッパ中からユダヤ人を連れてきて,着いた瞬間にガス室へ連れていくという大量虐殺が,ホロコーストと呼ばれるものであります.

 収容棟の中はこのようになっており,狭い部屋に多くの人が詰め込まれたそうです.ところが中には個室もあり,監視役になった人には個室が与えられたそうです.

 連れてこられたユダヤ人の持ち物はすべて没収され売りに出され,髪の毛までも製品用に刈り取られたそうですが,それでも靴などの日用品は多すぎて余ってしまい山積みになって放置されていたそうです.

 その中にあった子供の靴には,母親が靴を失くさないようにとその子の名前を書いたものがあり,3年ほど前にその子の父親だという人が名乗りを上げたそうです.
 父親が名乗りを上げられたのは,母と子はそのまますぐ殺されたものの,父は労働力として使われ生き残ったからだそうです.当時,連れてこられたユダヤ人は,女子供はガス室行き,男は労働力として到着後すぐに分けられたのだとか.

右に写っている方が中谷さん

 花が供えられた当時の処刑場の上には旗が掲げられています.この旗の青と白のストライプは,当時収容されていた人が着ていた囚人服の色だそうです.

 ここには病院棟もありますが,それは名だけの病院棟で処方されるのは鎮痛剤ぐらいであり,実際には医学実験が多く行われていたそうです.

 その先にある小さな建物がガス室でありますが,ガス室と言いつつ虐殺に用いられたのは殺虫剤であったそうです.ユダヤ人を害虫扱いするという当時の行いはありえないものであります.
 ガス室のすぐ横には焼却炉があり,殺したらすぐに焼いていたせいで,今も誰が殺されたか,何人殺されたかが正確にはわかっていないそうです.さらに,死体を焼くのもユダヤ人の仕事であったそうで,本当に酷い話だと感じます.

第二収容所

 第一収容所をまわったあとはバスでビルケナウの第二収容所へ移動.

 アウシュビッツの写真でよく見る線路が続く光景はこの第二収容所であります.アウシュビッツはヨーロッパ各地からの線路がちょうど交わる地点にあり,それがヨーロッパ中からユダヤ人を連れてくるのにちょうど良いからと,この場所に収容所が作られたそうです.

 線路の途中にぽつんと佇むのはユダヤ人を連れてくるのに使われた貨車.この貨車の中に多くのユダヤ人を詰め込んで運んできたそうです.

 この第二収容所の奥の方にあるガス室は破壊されたものであります.第二収容所のほうはドイツ軍が撤退する時にダイナマイトでガス室を破壊したそうで,今はその跡の瓦礫だけが残っています.

 第二収容所の収容棟は木造のものとレンガ造りのものとありますが,木造のほうは木材不足のときに木材調達のために解体されてしまい,今は土台だけが残っています.
 アンネフランクが収容されていたのもこの第二収容所だそうです.

 第二収容所の収容棟の中はこのようになっており,3段でありますが,冬は地面がとても冷たく耐えられないので,2段目と3段目に数人ずつ集まって過ごしていたそうです.

 そしてこの第二収容所で中谷さんのガイドツアーは終了.特定の人種を大量虐殺するという,二度と繰り返してはならない歴史の舞台を実際に自分の目で見ることができ,さらに日本人ガイドの中谷さんのお話を聞きながら学ぶことができたのは,私の人生の中でも重要な経験の一つになったと思います.

クラクフに戻り

 アウシュビッツからはクラクフに戻り,友人のリクエストで廃SLのいるという車庫へ.

 夕暮れの中SLの廃車体が佇む風景はなにか厳かな雰囲気を感じさせられました.
 そのあとは旧市街のウクライナ料理のレストランで夕食としました.

 ビーフシチューのようなソースがかかったポテトパンケーキを食べましたが,初日にも食べたポテトパンケーキも旨いソースと絡めて食べるとまた違った味わいで美味しかったです.そして例によりボリュームが多い.

 ということで,ワルシャワから移動して観光したクラクフでありますが,クラクフはワルシャワと違って戦前から残る旧市街というのもあってか多くの人で賑わっていて,ワルシャワとはまた違った雰囲気を感じられました.
 翌日はクラクフの隣街であるヴィエリチカの岩塩坑へ行き,その後ワルシャワへと戻りましたので,次回はヴィエリチカとワルシャワの旅行記をお届けします.

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

アウトドアをたのしむ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?