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なんでもない毎日のなんでもないことに幸せを見つけられるように

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こんにちは、旅人先生Xです。

今日は読書したことを振り返りながら「日常における物事への目の向け方」について、考えたことを書いていきたいと思います。

良かったら、のんびり目を通していってみてください。


目次は、以下の通りです。


面白い本との何気ない出会い

現在、私のKindleはunlimitedではなく、Amazon primeの状態になっています。

primeの状態だといつもより読める本は少ないのですが、図書館や買った書籍が渋滞しているため、十分です。

本を持たずに電車で移動している時、「何読もうかなぁ」とぼんやりKindleの画面を眺めていたところ、目に留まった本がありました。

それが
「ぼくには何もない」
作 斎藤真行
絵 さいとうれい
という本でした。

絵本のようなものだったので、電車の乗車中にライトに読むにはちょうど良いなと思い、早速読み始めました。



「ぼくにはなにもない」を読んで感じたこと

「ぼくにはなにもない」は、絵本のように絵と少なめの文章で構成されているため、スラスラと読み進めることができました。

読むだけなら、ものの数分で最初から最後まで進んでいってしまうのではないでしょうか。


ただ、私の場合は、電車で読み始めて、家に着くまで、ページを戻ったり、言葉を読んで考えたりしながら読むことになりました。

なぜなら、この本で書かれていることは自分も感じたことがある無力感のようなものが表現されていたからです。


例えば、食べるに困らないお金も住む場所も健康もあるけれど、「自分は人に誇れるようなものがなにもないなぁ」と感じること。

これはまさに過去に自分が味わった感覚そのものでした。


また、読み進めていくと「当たり前のようにあるもののありがたさ」や「何気ない幸せ」に目を向けられなくなっていた自分がいたんだなと感じました。

作中に、

なにもないからなんでもないことを喜ぶことができる

なんでもない毎日のなんでもないことに幸せを見つけることができる

何にもないことでかえって幸せに気づける

ぼくなはなにもないからの引用

という言葉があります。

まさにこういうところが、当時の自分にも、今の自分にも欠けていることではないかなと思いました。


「もっと、もっと」と成長やモノ、成果を求めたり、欲求を満たしたりしたい気持ちや考えに、何気ない幸せをありがたく思う心が埋没してしまっていたのかもしれません。

心が埋没し、見えるものも見えなくなってしまっていたとも言えるかもしません。


日常の何気ない風景
周りの人からの気遣いや優しさ
ほんの小さな成長
などなど。

自分以外の人から見たら、取るに足らないことかもしれないけれど、小さな幸せやありがたさというものは確かに日常にあるのではないかと思いました。



何気なく読み始めた本でしたが、とても大切なことを考えるきっかけをもらえた気がします。

Amazon primeの方は、Kindleで無料で読めますので、良かったら読んでみてください。

絵本形式で読みやすいので、オススメです!





今回は以上になります。

最後までお読みいただきありがとうございます😊

ではまた、次の記事でお会いしましょう。

みなさま、皆様、良い一日をお過ごしください。

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