見栄を張らない。
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こんにちは、旅人先生Xです。
今日は、「見栄」について書いていきたいと思います。
目次は、以下の通りです。
①見栄を辞書で調べてみると…
(見栄)
・見た目。外観。
・見た目の姿を意識して、実際以上によく見せようとする態度。
この記事では、実際以上によく見せようとする態度という意味で、見栄という言葉を使っていきたいと思います。
今回、「見栄」について考えてみようと思ったのは、学校での授業がきっかけです。
・自分は授業で自分は「見栄」を張っていないか。
・自分自身の生活の中で「見栄」に振り回されていないか。
ということをふと感じて、見栄について自分なりに考えてみました。
歳を重ねるごとに、見栄というか変なプライド?のようなものがその時々の目的を達成する枷になることがあるように思います。
今回、「見栄」について考えながら、自分の行動を改めたいと思います。
②自分は、見栄をはってないか
学校では、黒板に文字を書いたり、子どもたちに何かを見せたりしながら授業を展開していくことが多いです。
実物を見せることもあれば、PCなどを利用して何かを見せることもあります。
教員が、黒板に字を書くことは、イメージがとても付きやすいと思います。
そうしたことをする中で、「目的を達成するための行動と見栄の行動が入り混じっていないかな?」と思うことがありました。
例えば、黒板。
字を丁寧に書いたり、みやすく書いたりすることは大事だと思います。
ですが、
✅そこに時間をかけすぎて、内容を深めたり、広げたりする時間や子どもの活動の時間が減ったりしていないかな?
とふと感じたのです。
黒板は一例ですが、
✅「自分の見栄で、やっちゃっていることはないか?」と意識したり、そういう視点で振り返ったりすることは実は大事なのこと
なのではないかと思います。
先の黒板の例ですと、見栄は授業で伝えたいことや成し遂げたいことは何なのか?ということを疎かにしてしまうことにつながる恐れがあります。
「必要以上」という言葉はとても難しいです。
学校の教室のように、相手がたくさんいれば、必要以上の基準もたくさんあるはずですからね。
だからこそ、
✅必要以上ってどのくらいかな?というラインを意識して過ごすことは価値のあること
だと思います。
そうやって過ごしていくうちにきっとちょうどいい境界線のようなものが見えてくると思います。
また、意識していれば、それを言語化したり、整理したりすることもしやすくなります。
✅「見栄」について考えることは、大切にしたいことや大事にしたいことを改めて見直すことに直結するのではないでしょうか。
③見栄をはりたくなることはあるけれど…
「人によく思ってもらいたい。」
こういう気持ちは少なからず、心のどこかにあります。
きっと、この気持ちが必要以上に大きくなってしまったものが自分にとっての「見栄」なのかもしれません。
人それぞれ、「必要以上」の基準は違い可能性が高いです。
ですから時に、自分は思っていなくても、周りから見たら「見栄をはっている」と思われることもあるかもしれません。
こうしてあれこれ考えると見栄とうまく付き合っていくのは、ややこしそうに感じますね。
ですが、私は今回考えてみて、割とシンプルなことかもしれないと思っています。
なぜかというと
✅結局は、大事なことは何か、そのためにちょうど良い具合はどれくらいか
ということを考えていくだけだと感じたからです。
シンプルですが、簡単ではないですね 笑
でも、周りの人うんぬんかんぬんじゃあなくて、自分の中でしっかりと考えて納得できるかどうかが大切なわけですから、噂やら意見やらしょうもないことで悩む必要はないということがわかります。
ちゃんと自分なりに試行錯誤して、「自分がしっくりくる」具合というかバランス?のようなものを考え続けていく経験を積んでいけばいいというわけです。
ですが、このことは、見栄に限らず、いろんなことに当てはまることだと思います。
・大事なことを意識する。
・行動のちょうど良いと思う具合を探す。
たくさんの場面で使えるというか役立つ考え方です。
見栄について考えてみると自分にとって意外と大事な気づきが得られるかもしれません。
お風呂上がりに夜風にあたりながらでも考えてみてはいかがでしょうか。
今回は、以上になります。
お読みいただきありがとうございました。
この記事が少しでも皆さんのお役に立てば嬉しいです。
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