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心に残るnote作品集

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エッセイや日記、写真、漫画など、出会えてよかった、素敵なnoteを集めてみました。さまざまなジャンルのクリエイターの皆さんに感謝をこめて。マガジンをつくる前に読んだ素敵な作品もた…
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#エッセイ

応援と感謝の気持ちを伝えようと思ったら

 医療従事者に拍手を、の輪が世界に広がっている。最初にこのアイディアを思いついて実行した方たちが素晴らしい。  と思ったら、現実には「拍手よりマスクを」とのタグが出ており、あららと、いったんこの記事を下げた。  そりゃそうだわね。  きれいごとではなく、現実はそうだ。拍手してどうなんだ。  とは言っても、何もできない私のようなただの人は、気持ちを伝えるしかできない。    昨日の朝、家事をしながらだったのできちんと観ていなかったけど、どこかの国で、病院の清掃員が、自

大切な人との永別を実感させてくれたのは距離だった

今年の夏、おばあちゃんが亡くなった。 血の繋がらない父方の祖母。昨年のちょうど今頃書いた「ハイカラおばあちゃんと紅茶」というエッセイに出てくる。 本当にハイカラさんだった。損得考えず思ったことをズバズバ言う性格には時々困らされたけど。 夫と娘に先立たれ、少しずつ弱っていったおばあちゃんは、父母が同居する自宅と病院と介護老人保健施設を行ったり来たりしていた。一人で歩けなくなってからは施設で過ごすことも多かった。 * 「お知らせしときます。おばあちゃん、いま病院です。今

人生の舵を切った あの日あの数時間の出会い

看護師が第1志望ではなかった。 たとえ人生を決める決断をするときでも、何かに魅せられて心にストンと入りこんでしまえば考える時間なんて必要ないのかもしれない。 高校3年生も終盤にさしかかり、今まで通りの進路でいくと決め、家庭の事情で私立も道外も視野になかった私は、国立大学ひとつしか受験校を提出していなかった。それを担任が心配し、滑り止め、もしくは場慣れのためでもいいから何校か受けたらどうだと言ってきた。 しかし国公立の志望学部が当時の北海道にはそこしかなかったのだ。志望でも

先生、あのね。絶対にだれにも言わないで……

20年近く前になるが、わたしはあるまちの学童保育でアルバイトをしていた。バイトの同僚たちは、子育てを終えた4、50代の主婦か、大学生のどちらかで、当時20代後半だったわたしは珍しい、中途半端な年齢だった。しかも子育て経験はない。さらに、運動が大嫌い。鬼ごっこなんて絶対にやりたくない。当然サッカーも無理。 インドアな要員に徹しようとしても、将棋も囲碁もわからない。トランプとUNOとオセロは、なんとかなった。ただ、困ったことに、わたしは負けるのが嫌いだった。対戦相手がたとえ小学一

友人からの手紙に思う~心の病について少し~

 0歳2か月、ほぼ生まれたての息子を抱えて、区役所の集まりに行った。誰か知り合いがほしくて。不安でいっぱいで。みんなどうしているのかなと思って。    そこで知り合った友達。  最初は何とも思っていなかった。ただ「娘が寝過ぎて、接する時間がほとんどない。こんなんで情緒は発達するんでしょうか」と言っていたので、そんな悩みもあるのか! と驚いたのは覚えている。    彼女は公務員で、一年間の育休を取っていた。  声が細くて高くて、すごくよく喋る。ちょっと翻弄されやすい危うさはあ

メジロと花と、再び。

イラストで誰かを癒すということ

「色鉛筆画」へのスキをたくさんいただいています。ありがとうございます。 私はおそらく絵を描くのが好きで、塗り絵も好きです。子供のころ漫画家になりたいと思っていたけど、右向きの人の顔しか描けないから漫画家にはなれないという話を投稿したことがあります。 noteにはじめて描いたその女の子の絵を検索機能などを使って探したんですが、どうしても見つからないので断念しました。でも人の絵はあんまり上手ではないですね。 それからふとお花と動物のイラストを描きました。お花ってね、見るだけ

フォロワーではなく読んでくれる友達を大切にしてください【エッセイ】

先日ある方からツイッターDMが入った。それは私が最近始めた『あなたのnote読みます』企画への応募だった。実名は伏せるがすこし思うところがあってnoteを一つ書くことにした。 その方は自身の職場の編集部が運営するブログサイトに日々の思いを寄稿しているとのことだった。だがしかし、おそらくその意味を見失ってしまったのだろう、私に3つの記事を読んで欲しいと依頼してきた。なぜその3つだったのかはどうやら彼女も分かっていない様子だった。 依頼された記事は一見バラバラの内容の様にみえ

この世界で、私の子どもの心を最も深く傷つけるのはきっと私だ

自分の子どもが誰かによって傷つけられることを望む親など、きっといないだろう。 クラスメイトからのいじめや、先生や上司からの暴言、見知らぬ他人からの中傷等、この先の人生で子どもが何かで傷つく可能性を考えればキリがない。それらから子どもを守ってやりたいと思うのは、親の自然な気持ちだろう。 にも関わらず、きっと実は私自身が一番深く、子どもの心を傷つけてしまっているのだ。今までも、これからも。 * * * 3歳の息子が、ここ最近しょっちゅう「かあちゃん大好き。」と言う。 多い

誰かが何か新しいことにチャレンジするとき、摩擦や抵抗する存在にはなりたくないな・・・と思った話

先日、新築の家がモデルハウスとして一般に公開されていたので、夫と見に行ってきました。 私たちは「平屋建ての家」に憧れていて、いつかそういう家を建ててみたいと夫と夢見ていたのですが、今回、見学させてもらったのは、まさに平屋の家。 こじんまりとした小さな家でしたが、木材がふんだんに使われていて、新築の家特有の「木の香り」が広がり、とても清々しい素敵な家でした。 狭い敷地内に必要な機能がコンパクトに収められていて、しかもバリアフリー設計。防犯や結露対策もしっかりしていて、とて

あんまり読んでないと言った人。

普通はこういうことを書かないと思うんですが、私が心やられていてる感じの文章を投稿したときに「あんまり読んでないけど」のような言葉とともにコメントをくださったかたがおりまして。 不安定高めの私がnoteで心揺られる日々を送るようになり、おそらくとても危なっかしい空気を漂わせながら、しかもわりとストレートに寂しさを訴え、誰か助けてほしい、誰かの腕のなかで眠りたいとよく書いていました。 そんなことをそのまま書いてしまえるほど孤独で寂しくて苦しかった私を、noteで出会ったたくさ

ひとり暮らし、ふたたび

少し前から部屋探しをしていた長女が、ようやく決めてきた。 もうすぐ私もひとり暮らしの再開だ。 人生2度目のひとり暮らし。 前回は憧れの暮らしだった。たった2年だったけれど、一度経験したから憧れでもなくなっている。 何が違うのかな、と考えてみると、30年も前、1回目のひとり暮らしの時は家を出る側だった。今回は家に残る側なのだと気付く。 残るって言葉あまり嬉しくないかも(笑) 親なんだ、と今さら思う。 自立している次女や、今回長女からも「実家」という言葉を聞くようになった。

心を晒した先にあるもの。

なぜ、晒さないといけないのかと思うときがある。心の奥にしまいこんたデリケートな事柄をどうして不特定多数の人の目に触れる場所に晒さないといけないのか分からない。 そんなものを晒したら心がやられるに決まっている。 それなのにうっかり晒したくなるのはSNSのおそろしい側面だと思う。 だってあの人もこの人も自身の過去のトラウマを葛藤しながらも晒しているじゃない。葛藤しながらも晒せるって胸を打たれる。すごく勇気があると感じる。 勇気って何? うっかり勇気だと思ってしまうよ。勇

ゆめはいまもめぐりて。

年末年始、地元に帰った。高校卒業までを過ごした街。 新幹線で北へ向かうその車窓からは、トンネルをくぐるたび、視界に白の面積が増えていくのが分かる。雪が、枯れ木に花を咲かせているのだった。 駅のホームに降り立つと、お馴染みの凛と冷えた空気が身体を包むのがわかった。春夏秋冬をどれも等しくこの街で過ごしたはずなのに、この街を思い出すとき真っ先に浮かぶのは冬の記憶だ。 最高気温すら氷点下を記録することも珍しくないこの街で、寒さに奥歯を震わせながら足早に歩いた通学路。夜寝る前、凍