HSP、人と人の間


今日は朝の空が、賑やかで。重い雲に、何故だかカラフルな。
たまにそんな日があるし、なんかうるさいし。
てっきり,今日は何かあるのかと思っていたけど。
なんか、変だし。空も空気も。

雪。

札幌、雪が降って。
峠でも無く、山間でもない、ここ平地にヒラヒラ雪が。
冬だな、、、雪イヤだな。

でもまあ、四季を感じることにしよう。

今日はHSPの人間関係、人付き合いについて。ちょっと。

人と人との間で、生きる。

金八先生さながらですが。
人と人の間に生きる、これが人間ですぅ。
言い得て妙。
金八先生は、能動的な意味合いで言っていたんだと思いますが、此処では処世として。

HSPってね、その繊細な気質から、人との距離感が掴みづらい方や、ヘタな方が多いんだと思います。
私も結構そういうところがあります、だいぶ改善されてきてはいますけど。
あのですね。大概は、「重ねる」んです。
人の感情を感じ、特にエンパス気質の強めHSPは、完全に自分で背負う行動にでがちです。
何故なら、苦しいから。
人の痛みすら、自分のものとして受け入れ、なんならその痛みに 罪悪感 すら覚えて。
こうして、客観的に眺めると  アホ  でしょう?
でも、真剣に、人の責任や業みたいのも背負って懺悔しようとする。
正確には、そうしないとダメだとか、そう「させられる」とか、全く無意識だったとしても、感じたモノの責任として勝手な 〜ねばならない が発動したりするんですよね。
私もこれで、かなり悪影響を及ぼしました。
自分に?そう、でも、もっと辛いのは、大事な人が、踏み台となり蔑ろに。結果、苦しむ。
他者の業は肩代わりしてはいけない。ってのは、ソッチガワの界隈ではスタンダードで。
あながち、どころか、本当に。
人のモンは、甘いのもカライのも、奪ってはダメなんですね。

本題に戻りますが、
人と人の間ってのは、要は重なるではなく、ちゃんと 間 に在ろうという。
人が座っている座席には座らない。お膝抱っこになっちゃうね。
ちゃんと、自分のスペースに。
ちゃんと、自分が自分で。
他人の感情を感じても受け入れない。
他人の感情は自分のものではないと、自分に伝える。
他人の苦しみは、添うても重ならない。変わらない。
他人の痛みは、あなたじゃ変われない。
他人の人生に入り込まない。
他人の選択に意味など求めない。

これの他にも、人と同機・同化するようなことはしない。

HSPは繊細で敏感です。
そして、その特性から、その柔らかさが弱さに変わりやすいのです。
優しさは弱さでは、決して無いのです。
感受して、感じて。ただ、それだけ、なんですよね。本来は。
そのあとに続く、傷付きやすさや軸のなさや、もっと言うと、苦悩全般は、完全に  自分の選択  と知っておく。

非HSPだって難しい人付き合い。
これが完璧にうまくいけば、多分悩みなんてなくなる。
お金の悩みだってね、結局は人が絡んでいますから。
でも、そうは問屋はおろさない。これが人生。
そこを考えても不毛ですので、自分を強化するしか無いんです。
HSPは武器です。
でも、負荷に変えているのは、誰でも無い自分。
これは、酷だけど、そうなんだ。
だから、同じくかつて苦しんで絶望して、踏み躙られて、軽んじられて、痛めつけられたHSPの人間として、今乗り越えようとしている人に添いたいし、見守りたいのです。
でも、手は出せない〜!

感情に呑まれない。感情に騙されない。
感情、特にネガティブな感情って、強烈なんですよね。
こんなモンに負けたらダメ、それはもうマボロシだとすら思う、ことにする。
HSPの資質で、深く考える。があります。
これも、そう認識し、意識の上に出してしまう。
無意識・潜在意識にそれをしまっておくから、やっちゃう。
自分は考えすぎと自覚、そして、それはどうでもいいことだと置き換える。
大変なこと,大切なことはそんなに無いのかもしれない。
心配しても、案じても、思っても。
役に立った試し、あります??

私自身、かなり特殊な経験をしたこともあり、多くの学びや処世術を身につけることができました。
多分、今じゃ、言わなきゃ繊細で敏感だと、誰も気づかないと思う (笑)
でも、その実、相変わらず意図も簡単に感受するし、反応はします。
それを、その先に繋げないだけ。

みんなもできるよ。弱さを強さに。強さを極上の優しさに。


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