ポップコーンは買わない。vol.112
アルプススタンドのはしの方
第63回全国高等学校演劇大会で最優秀賞となる文部科学大臣賞を受賞し、全国の高校で上演され続けている兵庫県立東播磨高校演劇部の名作戯曲。
2020年の7月に公開された本作。
公開当時からずっと気になっていて、やっと観れたぁ。
ネット配信に降りてくるまで観れないのはなかなかしんどかったが、まだ観れるんだからありがたい話である。
本作のもっとも肝となっている「高校演劇」というキーワード。
登場人物たちが抱える思いや悩みはそれぞれで、絶妙なフォーカス具合で、会話劇が展開され、非常に面白かった。
特にここでは高校演劇について登場人物の描写も含めて感じたことを話せたらと思う。
これは高校演劇(インディー)と高校野球(メジャー)の対比か?
作中でも触れられているが、演劇部のメンバーである安田と田宮。どうやら田宮のインフルエンザがきっかけで、大会に出場することができなかったらしい。一年に一回しか開催されない大会への道を絶たれるわけだから、そのショックは部員一人一人相当辛いものだろう。
安田は前半からテンションが低い。それもそのはずだ私も安田の立場だったら、野球部の応援なんて気分になれっこないし、それこそ真っ先にスタンドの端にたむろするだろうなと思った。あんなにも応援してくれる人がいる野球部に対してもムカつくだろうなとちょっと思った。
これが高校演劇が高校野球とある種の対比になっている構図が見えたようで勝手に興味深くなった。
高校演劇というのはある種のマイナー競技であり、全校を挙げて応援なりしにいくわけではないのに対して、高校野球の応援にはなぜか学校を挙げて応援団送り込んだり、吹奏楽で大々的にやっているのはもはや一般化している。そしてファン老若男女問わずも多いことだろう。
アフター6ジャンクションの高校演劇特集にて
私の大好きなアフター6ジャンクションでは最低でも年に一回、全国大会があるタイミングで高校演劇の特集が組まれている。
元演劇部員の澤田大樹記者と水曜パートナーの日比麻音子アナの強力布陣で解説がなされていく。
大会出場者のうち、演者はもちろん高校生が演じて、評価の対象になるのだが、脚本は多くが顧問の先生だったり、プロの方が入ったりするところがある中で、学生が自ら脚本を執筆して挑んできている学校があったりして、まだ観たこともないくせに、度肝を抜かれた。
また、ここ二、三年の高校演劇を取り巻く環境は非常に厳しくなっていた。感染症の影響はすさまじく、地方によってはフェイスシールドやマスクをしてもなお接触を禁止するなど感染が起きないように厳しく制限を強いられていたらしい。それが本作のインフルエンザで欠場してしまう安田や田宮に重なってより感情移入しやす区なっているのではないだろうか。
実際、地方予選も映像での審査がほとんどで、全国まで駒を進めて初めて客前で披露することができると言う状況もあったらしく、非常にかわいそうなとも思う一方で、ここまで制限されてやっと客間えでやれると言う喜びはひとしおであろう。
それこそ2021の脚本のテーマも全体的に感染症をテーマにした作品が多く並んでいたという。脚本というものがどういうところから着想を得ているのかということもなんとなく知り得ることができるのも興味深かったし、生活と地続きのところで演劇って存在するんだってことがよくわかる話だと思った。
中学高校の頃から演劇や美術に情熱を持っていたらどんな人生を送っていただろうかと妄想すると、
そういう世界もいいなあと思い、学生時代にその魅力に気づいていたら演劇やってみたかったと思うくらいである。
演劇、コント、漫才、ダウ90000
ダウ90000という劇団が、昨年のM-1に出場し話題になっていたことがあってその話題性に乗って、この度TBSラジオで番組をやっていた。
「24時のハコ」という月替わりのパーソナリティでお送りしている番組の12月を担当していた。
ちょうど同い年の蓮見翔さんという方がリーダーとしてやってらして、メンバーを7名だか8名だか率いている。
昨今のコントは演劇とクロスオーバーしているような傾向にあることをキングオブコントを観て感じていて、その流れで漫才にもコントの匂いのする漫才がトレンドのような形で続いてきている傾向にある中で、
ダウ90000は演劇から漫才に飛んできた新しい形で、でもそこまでコント漫才の流れがあるから不自然でもなく、めちゃくちゃ面白かった。そんで年齢を見ると同い年とな。。
こういう同世代が活躍しているのを見ると、遠い人のはずなのに勝手に意気消沈してしまうのってなんなんだろうなぁ〜。
んでその蓮見さんはダウ9万の脚本を全て書いているらしく、その全てが面白くて、最近でも東京03のコント番組で脚本を書いていて飯塚さんにベタ褒めされていた。
長々と何喋ってんだ。要は何が言いたいのかというと、演劇をするにしても作家や大人の力を借りずに書き上げる、まあ、多少揉んだりすることはあるだろうが、自分で書き上げた作品を客前にかける、大会にかけるというのはその人をものすごく成長させるのではないかと思った。
結局ネタや、そうやない言うならパンパンやで。
映画の話に戻すが、本作の監督は城定秀夫監督という方で、これまであまり商業映画を撮ってこなかった経歴がある。それまではいわゆるピンク映画をとることが多かったらしい。
もちろん監督さんの力(演出の力)もあっての本作だとは思うが、やっぱり、脚本の力はかなり大きかったのではないかと私は考える。だれが言ってんだ。って話ですが。笑
今日たまたまカジサックというYouTubeのチャンネルにオール巨人さんが出てて、M-1の振り返りをしていた。その中で、漫才においてもっとも重要なのは「ネタ」とおっしゃっていた。
ネタが面白ければ、下手な人がやっても面白いということらしい。
でもやはり、舞台を意識しての演出なのか全く球場の方にカメラを移すことはなく、常にスタンドで繰り広げられる演技、あとはスタンドの裏での芝居も。大きなカメラワークの展開がなかったのが、映像化するメリットでもありつつ、舞台の匂いも残しつつというのが絶妙な演出でいいなと思った。
最後に
本作の舞台が甲子園というわりに全然甲子園ぽくないじゃないかという意見も多くあるらしいが、私はそれはそれでアリだと思うし、映画と舞台の曖昧な加減で観るのであればむしろ似つかないスタンドの方がリアルな気がするけどな。手作り感があって。
各所でも評価の高い作品で、高校演劇が日の目を浴びる素敵な機会であるとともに、制限は逆にクリエイティビティを刺激することも今回の感染症の件で分かったと思うし、高校演劇がむしろ発展する機会になったのではないかとすら感じられるものだった。
はしの方でも静かに革命は起こり続けているんだ。
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