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コロナ禍で気づいたオフラインで会うこと、そして社会の外に出て一緒に体験することの尊さを感じる。〜アンソニーのハッピーモーテル〜

ポップコーンは買わない。vol119

最初の予告編が”アンソニーの…”です。

2週もサボってしもたー。どんどん鑑賞済が溜まっていくので忘れないうちにまとめておかねばと思いつつも、、って感じだよね。

あなたには親友とよべる人はいるのだろうか

本作をみて思ったのは、、例えば学生時代に築いた友人関係を社会人になっても、未来永劫つづけたいと願うならその仲間と社会の外に一緒に出る経験が必要になってくる気がしていて、

それは具体的にいうと、本作から切り抜くと「強盗」にあたると思っている。。

法を犯してまで、、というのはやり過ぎているため、せめて深夜に浜辺で花火をするとか、公園で酒を飲み交わすとか、普通に居酒屋で飲酒するだけでは足りないのではないかと思っている。そもそも仕事に追われている私たちはそんなことをする暇さえも土日はずっと寝てたいと思うくらいのメンタルでそうそう友人と予定を合わせて時間を過ごすなんてことは難しいと思う。

互いに想う気持ちが強い

本作の主な登場人物に、アンソニー、ディグナン、ボブという3人組の男衆。

彼らは昔から仲が良いであろう友達同士で、ディグナンを中心として強盗をすることを企てるのだ。全部で3回やる。笑

普通はそんなことやるか!と突き放してしまいそうな気がするのだが、アンソニーとボブはなんだかんだでディグナンに付き合ってしまう。

これが不思議でたまらなかった。動機がなんなのか観ていくと、ただただアンソニーとボブがディグナンに対して優しいんだなということがわかる。

そのわけは、ディグナンの社会不適合性にある。これはあまり悪い意味として捉えないでいただきたい。造園会社で働いていはいたものの仕事が上手でなく、クビになってしまったり、女には振られたり、酒場ではすぐ殴り合いの喧嘩になってしまったり、強盗でも計画は綿密に立てるけどその都度発生するアクシデントには対応できず、結局グダグダになってしまう。何かもがなかなかうまくいかない。

どこか憎めない男:ディグナン

そんな中でもディグナンのことをすごいと思えるのはピュアで愛嬌があるということ。例えば、仲間と喧嘩とした時でも自分が言い過ぎた、悪かったということを素直に認め謝ることができる。そして彼は辛かったり、悲しいことがあっても落ち込みすぎることがなく、割と明るい。

ディグナンはアンソニーとその恋人イネスが離れることになったときにイネスに対して恋心を抱き、告白をするが振られてしまう。その際に「実はイネスはアンソニーをいまだに愛している」ということを自分がフラれた直後に聞かされるのだが、それを彼は隠すことなく、アンソニーにちゃんと伝えたのだ。これほんとに愛らしい。

最終的には自分で広げた風呂敷を自分で畳む形で、ディグナンが警察に捕まってクライマックスになっていくのだが、

本作での彼らの関係性ややりとりこそが親友関係とよべるものなんじゃないかって思った。

子供心を失ったらダメだよね

ディグナンには子供のような純粋さ、子供心が備わっていると思う。私たちは、大人になるに従って社会に迎合し、かつて誰もが持っていた子供心を排除して生きている。それは社会においてはカオスを招いてしまうから。

子供の頃はただ外にでるだけでも楽しかったし、景色が新鮮で、駆けているだけでも楽しかった。

私たちは気持ちの持ちようによってはいかようにも楽しむことができる。大人になってそこそこ知識もついてきているから、子供以上に楽しいことができるはずなのに、公園にきている親子を見ると、お父さんが疲れ果ててベンチに座り込んでいるではないか。

本来なら、体力だけじゃない力で子供圧倒できるくらいの遊び方を知っているはずなのに。ある種ディグナンを子供と捉えることで、その同じ目線に立ってあれやこれやとやってみるのは私たちが失いかけているものを取り戻せるチャンスがあるのではないかとも捉えれるのではないだろうか。

彼らの関係には「利他」「贈与」がある

彼らは互いに、「贈与」がある。それは損得勘定が存在する交換の原則としてのやりとりでは決してない。

例えば、家族に対して何かしてもらったり、したりしたときにいちいち”ありがとう”やらなんやらの感謝の言葉を口にすることが照れ臭かったり、違和感を覚えることはないだろうか。それは互いに施しをして当然の関係にあるからだ。そこに損得勘定は存在しないため、感謝をする必要は本来ない。

そんな家族に近いような関係性が、彼らにはあると思う。

そんな関係を持っている人が果たしてどれくらいいるだろうか。

仲間関係を継続できていますか?

社会人になると、学生時代に一緒に過ごした仲間との時間を懐かしむ機会は非常に多いことと思う。

つまり、学生でなくなった途端に私たちは仕事に追われ、以前のように仲間と一緒に花火をしたり、鍋をつついたり、タコパしたり、ドライブに出かけたりすることは簡単にはできなくなるわけだ。

SNSで繋がれる時代ではあるけれども、徐々に疎遠となり結局何年も会ってない元友人もきっとたくさんいるはずだ。

私はオフラインで会って社会の外に出る経験を一緒にすることが仲間関係の醸成では重要ではないかと思っている。

コロナ禍になってオフラインの重要性はより一層強くなってきているはずだ。感染対策をした上で、オフラインで集まることはある種の社会の外に出る行為として意味を持つと思う。

最後に

生きていると法や秩序に縛られ、人間としての尊厳がまるで削がれる感覚がある。それは特にコロナ禍に入ってから感じるようになった。自由に移動ができない、友人とも会えない、何をするにしてもまわりを気にしなくてはいけないのは非常にストレスだ。

主人公の3人を観ていると、羨ましく思う反面、こういう関係を築くってもう私にはできないのかなぁと絶望してしまうこともある。

でもそこは諦めたくはない、しつこく会える人には会って、その人たち同士での世界に入る経験をし続けたいと思うのだった。

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