見出し画像

首都高ドライブ|短編小説

「シフトの都合で25日は休みになったぞ。良かったな」

 上司の、あまりにもありがたくない報告に、俺は「はぁ」と気の抜けた返事をした。先月、「家族のいる奴をなるべく休ませたいから、25日は出てくれよ?」と言ってたのに。よりによって、なぜ俺をクリスマスの日に休ませることにしたのか不思議でならない。ある意味、一番仕事をしていたい日なのに。
 クリスマスは嫌いじゃない。頭のネジが外れてニュースや新聞に載ってしまうような馬鹿どもを見ながら仕事をするのは、それはそれで楽しい。同時にイラつく。クリスマスというビッグイベントを謳歌おうかできない自分に。
 文句を言っても仕方がないので、休みは休みとして、何をするか考える。平日とは言っても、クリスマスなのでどこに行っても混雑しているだろうから、出かけるという選択肢はない。ここは無難に自宅でゴロゴロしながら配信サービスで昔のドラマでも観よう。確か30日間の無料お試し期間がまだ残っているはずだ。
 そんなことを考えながら迎えた24日の夜、急にスマートフォンが鳴った。画面には番号だけが表示されている。仕事のトラブルだろうか。

「はい、岡崎ですが」

 緊張しながら電話に出る。

「――もしもし?」

 女性の声だった。頭の中で、仕事関係の女性の顔と名前を瞬時にリストアップする。

「あの……番号しか出なくて、どちら様でしょうか?」
「へぇ、律儀に元カノの電話番号、消してるんだ」

 俺は自分でもビックリするくらいの大声で「洋子か?」と叫んだ。声を聞くのは4年前に別れて以来となる。確か2年前に結婚したはずだ。2年前、友人に、「洋子、結婚するらしいぞ。お前、式に出るのか?」と聞かれ、「呼ばれるわけないだろう?」と言うと、申し訳なさそうに「……そうか。すまん」と謝るので、何だか可笑おかしかったのを覚えている。

「首都高、まだ走ってるの?」
「まぁ、たまに」

 金曜日の深夜、俺はたまに首都高を走る。同じ料金でぐるぐる回れるし、無駄にきらびやかな光の中を走っていると、ほんの少しだけ日常を忘れられるような気がするからだ。

「連れてってよ」
 ――ふざけんな。誰が連れてくかよ。

 心の中で悪態をつく。

「分かった。30分後に流山ながれやまおおたかの森駅で」

 なぜそう言ってしまったのか、自分でも分からなかった。まったく……俺もきっと「馬鹿ども」の中に入っているに違いない。
 流山おおたかの森駅に近付くと、駅前に女性がポツンと立っているのが見えた。この駅はつくばエクスプレスの快速と区間快速が停車する中核駅だが、終電間近となると、ほとんど人の姿はない。
 洋子は助手席のドアを開け、「隣、いい?」と聞くので、反射的に「もちろん」と答える。「もちろん」なんて、まるで「待ってました」と言っているようで、少し後悔した。
 シートにどっかりと座り、「ふぅ……」と大きく息を吐く横顔は、もうそれだけで何があったのかを語っているようだった。

 流山ながれやまインターチェンジから常磐自動車道に乗り、時速95キロで左車線を走る。多分、これ以上スピードを出すと洋子が怖がる。首都高速6号三郷みさと線に入り、三郷ジャンクションに差し掛かると、東京外環自動車道からの車が合流し、一気に交通量が増えた。車間距離とスピードに細心の注意を払う。目の前を大型トレーラーに塞がれ、アクセルペダルを踏みながら車線変更して追い抜く。
 八潮やしおを通り過ぎて小菅こすげジャンクションに入る頃には、遠くに見えていた大都会のネオンがもう目の前だ。中央環状線を銀座方面に行くか迷ったが、そのまま左車線をキープして湾岸方面へと向かう。
 洋子はシートの背もたれに体を預け、黙ったまま外を見ていた。膝の上に小さなバッグと両手を置いている。時折、そのバッグの中に入っているであろうスマートフォンがブルブルと震える音が聞こえたが、洋子は無視していた。
 考えられるパターンは2つ。1つは、誰かに愚痴りたい。もう1つは、誰かと一緒にいたいが、余計なことは聞かれたくない。察するに、後者だろう。光栄なことに、俺がその大役に抜擢されたわけだ。辞書で「都合のいい男」と調べたら、きっと俺の名前が出るに違いない。
 葛西かさいジャンクションから湾岸線へ入り、一直線にレインボーブリッジへと向かう。やはり日付が変わる前は交通量が多く、スピードは時速80キロに落ちた。ハンドルを握る手と、アクセルペダルに乗せた足に神経を集中する。
 車内のFMラジオから、インスト系のムーディーな音楽が流れ出す。恋人同士なら最高の選曲だろうが、今の俺達には不似合ふにあいだ。ラジオを消そうか迷ったが、気にしないフリをした。
 レインボーブリッジへ差し掛かると、ビルの隙間から東京タワーがチラチラと姿を覗かせた。いつものオレンジのライトアップではなく、赤や紫が混ざっているのは、きっとクリスマス仕様だろう。

「東京タワーって遠くから見ると綺麗ね。近くで見ると不気味だけど」

 唐突に喋り出した洋子に驚き、俺は「んん?」と間抜けな声を出した。
 いつだったか、同じようなことを言っていた気がする。2人で東京タワーの真下に行った時、「夜空を突き刺しているようで怖い」と。その気持ちは分からなくはない。きっと何事も、遠くから眺めている方が綺麗に見えるに違いない。その方が幸せでいられる。

「あんなの、電気代の無駄よね」
「そう? 綺麗だと思うけど」
「まぁ、あなたのような夜景目的の人だけよね、喜ぶのは」

 ようやく口を開いたと思ったら、ずいぶんな言いようだ。きっとこの調子で旦那さんにケンカでも吹っ掛けたのだろう。俺は顔も知らない洋子の旦那さんに同情し、同時に申し訳なく思った。自分の妻が元カレと首都高ドライブしてるなんて、逆の立場だったら気が狂いそうだ。いや、そもそもおかしい。申し訳なく思うのは洋子の方だ。旦那さんに対しても、俺に対しても。

 都心環状線に入り、ビルの合間をジェットコースターのようにすり抜けながら、首都高速5号池袋線、そして板橋ジャンクションを抜ける。

「相変わらず凄いわね。目が回りそう」
「自慢じゃないけど、首都高のマップが全部頭に入ってるからね」

 都心環状線は数百メートルおきに分岐と合流を繰り返すので、カーナビはほとんど役に立たない。常に頭の中でルートを表示し、今自分はどこを走っていて、どこへ向かっているのかを把握しながら運転しないとパニックになる。俺は慣れない頃、パニックになって、落ち着こうと前の車に付いて行って、危うく中央自動車道に乗りそうになったことがある。

「十分自慢できるでしょ? 私も運転にはまぁまぁ自信あるけど、首都高は絶対に無理」

 本心だとは思うが、そんなところを褒められても嬉しくはない。「じゃあどんなことろを褒めてほしいんだ?」と自問自答しても、特に思いつかなかった。

 江北こうほくジャンクションを抜け、「常磐道」の文字が見えた瞬間、俺は「帰るよ」と言った。このドライブには何の意味もないと悟った。それに、人を乗せていると、ひとりの時より断然気疲れする。洋子は小さく「うん」と言って、また外を見た。どうやら最後までダンマリを決め込むらしい。

 流山おおたかの森駅に着くと、洋子は「お疲れ様でした」と、ペコっと頭を下げた。

「俺の番号、消せよ」

 もちろん、「もう電話するな」という意味で言った。洋子もその意味に気付いたようで、バッグからスマートフォンを取り出し、素早く指先を動かして、「消したよ」と、スマートフォンを俺の鼻先に突き付けた。
 ドアを開けた洋子に、「なぁ、旦那さんと見に行けよ、東京タワー」と言うと、「スカイツリーにするわ」と笑った。

「じゃ、元気でね」

 バタン、とドアが閉まる。車を発進させ、ルームミラーを見ると、洋子はずっとこちらを見ていた。

 ――ダンマリを決め込んだくせに。話したいことがあれば、ちゃんと言えってんだ。

 苦々しくルームミラーを見ていると、後ろから車が近付いて来た。アクセルペダルを強く踏み込む。
 車内の時計を見ると、午前0時を回ったところだった。ラジオから、「メリークリスマス!」と、女性パーソナリティのハイテンションな声が飛び出し、車の中に響く。

 ――メリークリスマス。

 その呟きは、幾分かおとなしくなった夜景の中に消えた。

(了)


こちらもどうぞ。

この記事が参加している募集

ありがとうございます!(・∀・) 大切に使わせて頂きます!