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長崎で、もう、帰ろうと思った。

どうしてだろう。

もう、東京に帰ろう。あのキャット・ストリートの狭い部屋に戻ろう、と思った。

第一に疲れました。そもそも旅慣れていない、もう、そう若くもない自分が手ぶらの無計画旅行を続けるのには無理があったのかもしれません。学生時代、「地球の歩き方」を持って夏休みにバックパックで欧州をまわった時のようには行かなかったのでしょう。もっとも、それだって、いい加減疲れた時点で帰国してしまったから、生来の気質が怠け者であるだけかもしれません。

大浦天主堂の次は、グラバー園を見て回ります。

鹿児島で手に入れた新しいオリンパスで「自撮り」をしていると、親切な外国人が「撮ってあげましょうか?」と声をかけてくれました。大丈夫、ありがとう、こうやると自分で取れるんです、と返事をしたのをよく覚えています。
当時、まだ自撮りは今ほど普及していませんでした。そもそもあれはスマートフォンの普及と期を一にしています。2002年はまだフィルムカメラが優勢だったように思いますがとうだったでしょう。

これをもって「自撮りの発明」は自分だというつもりは全くありませんが「あおいのきせき」の知見、

おおく偉大な先人たちが「言おうとして、けれど、上手く言えなかった」「存在の方程式」

存在 = 存在+非存在+存在と非存在の境界
言い換えると、
存在は意識に担保された相補的対称性を持つ
また、同義である
ある存在が現れると、その存在を境界(ゼロ地点・中心)として、二つの全く相反する(正反対の)存在が(同時に)現れる。
簡単に
一つ何かがあれば、ほかに二つ何かある(その二つの性質は正反対)

「あおいのきせき」の知見

そこから、得られた以下の考察は、

オリジナルで、それをみつけて、泣きながら、忘れることなく、しっかりと「握りしめ」たまま戻ってきて、書き留めた(打ち込んだ)のが、帰ろうと思っていたキャットストリートの、あの、ちいさい一人きりの部屋で、長崎の地に立っていたわずか一月前のことだったのです。

そう、あの嵐の夜から一月もたっていませんでした。

その出来事そのものが、どのような現象だったのか、僕(の身体)が在るこの時空間が、意識と言葉とあわせた三つで「宇宙」だという「あおいのきせき」の知見から、理解することが、令和の今、可能となったのです。

本当の虚無がその外にあるのだろう。そうすると

「宇宙、大宇宙、外宇宙、虚無の世界」

原田武夫レポートによる

そもそもが「プロティノス」という「新プラトン主義」にマップされる哲学者によるという上の宇宙観と矛盾しない、ということもわかるのです。

長崎の街を歩き回った記憶があります。

手元に残っている21年前の画像をみると、出島の発掘作業が写っています。そのあとが、西坂公園の「日本二十六聖人 殉教祈念碑」
それから諏訪神社。

そのあとが、爆心地公園と平和公園。そして。

平和祈念像(平成14年11月13日)

借りていた自動車を飛行場近くのレンタカー屋さん(たぶんトヨタ・レンタカー)にお返しして、そのまま長崎空港へ送っていただだき、その夜にはキャット・ストリートに戻っていました。

九州をまわる旅は、けれど、五州しかまわれませんでした。
以来、素敵なあの九州の地を訪れる機会はありません。
佐賀県と福岡県に至ってはまだその風景をこの目にしたことはないのです。

この旅のきっかけを作って下さった、
「EUREKA」という途方もない映画を撮られた青山真治監督の故郷を訪れるのは、これから先のお楽しみにしたいと(ずっと)思っています。

映画で道中、ドライブ・インのような食堂で、みなさんが頼んでいた
謎の食べ物「だごじる」もいまもってご縁がありません。

なにより、大観望に行かないと。

革命的な新しい時代も、地域に根差した価値ある歴史や文化を破壊してはならないと思います。
大切なものものやことを残していくことも
「あおいのきせき」の大事な役割だと強く思っています。  
寧ろ、壊れかけの修復作業になるのかもしれませんが、それは、一面、新世紀の「民藝運動」といった素朴な側面を見出すでしょう。

NHKも(民放も)地方局放送は、その土地の日本語を使えば良いのに、と「首都圏方言」しか使えない僕は心からそう思います。
(が、きっと「元G○Q」の許可が降りないんでしょうね)

ありがとうございました、九州。
是非
また、ご厄介になりたいと
思っております。

キャット・ストリート(平成14年11月13日)

それから、

それから21年もの年月がたち、かわった御代も5年目となり、とうの昔にキャットストリートの我が部屋も取り壊されてしまいましたが、ある意味、僕の時計はずっと止まったままです。

おかげさまで、命がけで持ち帰った「宝の箱」を守り続けて、ようやくと開けることに成功したようにも思いますし、突然ここにきて、時計が動き出したように感じます。

ぎりぎりでボロボロですが、でも、生きて今に届きました。

ネット工作にとどまらない、お話ししても信じて頂けないような出来事を含め、酷い隠蔽迫害工作で何度も(少なくとも3回)死線を彷徨いました。

今、こうして生きていられること自体が「奇跡」のようにも思えます。

逆に、「あおいのきせき」にはそれだけの価値があるのだと自分を鼓舞してやってきました。(実際、ご承知頂けましたように、あるわけです)

命の他ほぼ全てを失って、けれども、得たものも
何ものにも代えがたい、
得たものもあります。

そのうちの、ひとつ
おおきなひとつが

「PaxJaponica」という大きな旗印です。
来るべき我が国発の平和の基軸になる思想です。

「力」でもなく
「謀略」でもない
明らかになった「あおいのきせき」の知見とあわせてIISIAの知見(音義)を基幹技術に据えて、

万人に開かれた、かつ、公平で、要はオープンソースな「恒久平和」を目指します。

あるいはフラクタルと言う意味で、今日から平成14年11月14日の夜明けが、ようやく始まるのかも知れません。

いいえ、始まるのです。

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