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あなたの「ハイパフォーマンス」を妨げるもの...(8)自己『不』受容

(写真はドナウ川から見るハンガリー国会議事堂:2014年5月撮影)

ハイパフォーマンス・コンサルタントの髙澤健です。
あなたが「最高の自分」に向って成長し続けることに役立ちたいと願って書いています。

あなたの「役に立ちたいと願って書いています」などと言っていますが、助けになっているのでしょうか

コメント欄にご要望などお知らせ頂きたくよろしくお願いいたします。ご要望やご期待に応えたいと思っています。

(本題に入る前に、いつも一言多いなぁと思っていらっしゃる方があれば教えてくださいね!笑)

さて、本題に入ります。しばらくのお付き合いを。

今回は「自己不受容」です。


「自己不受容」って日本語か?

自己受容って日本語はありますが、「自己不受容」という熟語は日本語ではないと思います。(間違っていたら教えてください)

そもそも、「不受容」という言葉は日本語ではないはずです。

それでは、なぜこの言葉を勝手に造って「ハイパフォーマンス」の妨げとしたのかについて、少々自分勝手な論理でご説明させてください。

「受容」:受け入れること
「自己受容」:自分を受け入れること

「不受容」:(充分)受け入れないこと
「自己不受容」:自分を(充分)受け入れないこと

「受け入れない」ことを意味したいなら「拒絶」とか「否定」って言葉があるでしょう。でも、どちらにも「全く」受け入れないイメージがありますよね。

ところで、日本語には否定形する場合に「」と「」があります。細かいニュアンスになりますが、「非」は全く否定「不」は不足している、という緩やかなイメージを持つようです。

「非」・・・非加熱・非金属・非営利など
「不」・・・不安・不一致・不平等など

否定と不足の違いが、緩やかなイメージで感じられますよね。

(税金の場合、全く違った意味づけが、「非課税」「不課税」になされていますが...)

そこで、完全否定ではないのだけれど、「充分受け入れていないこと」を表現しようと「不受容」という言葉を使うことにしました。

「自己不受容」すなわち「自分を充分受け入れていないこと」と勝手に五字熟語を造らせていただきました。


「自分を充分受け入れていないこと」って?

「完全に自分を拒絶している訳ではないけれど、完全に自己受容をしている訳でもない」状態を表したかったわけです。

ほとんどの人は「嫌いな自分」と「好きな自分」の両方を誰も持っているように思います。

そして「嫌いな自分」を充分受け入れることができず、絶対人には言いたくないし、そもそも、見たくもないし、考えたくもないという程、嫌いということもあるでしょう。

でも、自分の中に二人の人格がいるわけでもなく、「嫌いな自分」も「好きな自分」も、根本的には一人の人格、「自分」なはずです。

その両面を持った「自分」、ありのままの「自分」をまるごと受け入れることに困難を生じることがあると思います。

他人の評価に全く関係なく、ありのままの「自分」に価値があるのに、そのことを受け入れることができずに、自分の価値を「充分受け入れることができない」ということもあるかもしれません。

このように全否定、拒絶ではないけれど、部分的に「自己受容」できないことがあることを「自己不受容」、「自分を充分受け入れることができない」と表現しました。

な〜んだ、「自己否定感」って言えば良かったのに、だれでも「自己肯定感」と「自己否定感」の両方持ってますよね、っておっしゃいますか?

でも、肯定と否定という「二項背反」ではなく、自己が成長してゆく道のりの中で、同時に「自己受容」を深めていく点を強調したかったのです。

それでは、この「自己不受容」がどのように「ハイパフォーマンス」の妨げになるのでしょう?


「自己不受容」による妨げ

「最高の自分」を究極的な到達点にして私たちは成長することを決めることができます。ある意味、到達点を自分の目的地として「受け入れた」と言えます。

ところが、そこに向かってスタートを切る「現在地点」を受け入れることができないということがあります。

あれこれと理由をつけて、実際に一歩踏み出すことができなくなる状態になったことがありませんか。

私は小学生の低学年の頃、泳げるようになりたいと思っていたのですが、実は鼻をつまんで目を閉じなければ顔さえも水につけることができませんでした。

そんな自分の「現在地点」受け入れることができず、そんな自分が友だちにバレてしまったらと、近所の公営プールで無料で行われていた泳ぐことのできない子ども達のための水泳教室に申し込むことも、一人でプールに行って練習することできませんでした

見かねた母親が無理矢理、水泳教室に申し込んでくれたので、顔を水につけてバタ足ができるようになり、その後、自由に泳げるようになりました。

そんな私の「思考のクセ」を見抜いたのでしょう。

母親には「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と良く諭されました。

客観的に自分を見つめて、好きな自分も好きでない自分も、そして受け入れがたい自分も含めて、現在地点の「自分」を受け入れる認める。そこから、スタートできるのです。

自己受容が「ハイパフォーマンス」を発揮するために必要なのです。

まとめ

長くなってしまいましたが、「自己不受容」が「ハイパフォーマンス」を発揮する妨げになる事を取り扱ってみました。

ここまでお付き合いくださりありがとうございます。

「最高の自分」に向かう時に、現時点の自分を受け入れることによって「ハイパフォーマンス」が引き出されることを願います。




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