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火曜日しばらく雑記帳・2:カティア・アスタリータ

さくっと簡単に書いてすまそうと思っている火曜日の雑記帳、それなのに、何かを語らずにはいられない、そのわりに語る経験も概念も知識も語彙さえもない、ウンウンうなって書いては消し書いては消し、結局のところそう簡単にはいかない、というのはなかなかツライところではある。

■ P.K.ヒッティ著「シリア」は、予定どおり、もう少しで読みおわる。オスマントルコの最後まできた。

先週の雑記帳・1 で、「アラビア人自身は砂漠から、科学も、芸術も、学問の伝統も、文化の遺産も何ももたらさなかった。彼らが伝えた目新しい文化的要素は宗教と言語の二つだけであり、そのほかはすべてのおいて従属民に依存していた。(p.199)」とポンっと引用して誤解を与えたかもしれない。

簡単に言えば「イスラム文化=アラビア人の文化、ではない」ということだ。

だが、シチリア州都のパレルモから発信されている Kaorina さんからのコメントを受けていろいろ考えさせられた。

先週の火曜日に、どこにひっかかっていたか、を説明してみよう。

私は、以前から、16世紀あたりからヨーロッパが科学技術を発達させることができた原因として、唯一神をもつキリスト教の特有の考え方があるのではと思っていた。つまり、見るもの(主体)と見られるもの(対象)の分離、客観という視点、世界のどこでも永遠に通じる原理・法則があるはずという信念、といったことが、生活に根付く宗教から自然と身についた発想なのではないかと思っていたのだ。

しかし、そうだとすると、中世において、ヨーロッパよりも数学・建築・天文学・医学・化学・地理や歴史、といった点でずっと進んでいて、地中海世界を中心に大きな影響を与えたと考えられるイスラム社会が、その後遅れをとったのはなぜだろうか。イスラム教も唯一神をもつ一神教だ。その独特の世界の見方が科学技術のもと、という私の思い付きがおおざっぱすぎるのだろう、と思いつつ考えはまとまっていなかった。

そんなことを日頃考えていたから、アラビア語・宗教という同一の基盤があることでイスラム文化を広めて広範囲の影響を与えるのには役立ったかもしれないけれど、やはり借り物・翻訳文化だったのか、だから、その後西欧に遅れをとったわけなのか、とちょっとはやまって飛びつきそうになったというわけだ。

さらには、そのことがアラビア人独特のものの見方、アラブのアトミズム(*1)というのが関係しているのだろうということとも結びつくような気がした。

高校の時以来、今さら、たびたびお世話になっている帝国書院「総合新世界史図説」より
アラビア人の固有の学問は、法学・神学・歴史学といったイスラム教の展開、文法・修辞、といったアラビア語に関するもの、つまりは宗教と言語がメインだという。

また、ヨーロッパで目覚ましく科学技術が発達していく15-16世紀以降では、アメリカ大陸との通商のはじまり、喜望峰まわりのインド航路が開始されたことによって、通商の要衝としての中東の重要度が顕著に低くなり経済活動は没落していった。また、オスマントルコの時代もひきつづいて圧政と重税の抑圧的な支配と地方地方での権力争いが長く続き、今だに尾を引いている。そのようなことから、文化や学問の分野では模倣や解釈が中心となり、目覚ましい新たな成果が出なかったこともあったようである。

以上のようなところで「なるほどなるほど」とひっかかって、しかし、うまく書くこともできずに、雑記帳だしな、とポンっと書いたわけだった。

しかし、コメントいただいて、その後、いろいろ改めて考えてみたのだが、私もいいかげんアホだなぁと思った点がある。

なんとか文化は、どこそこ文化からの借り物だ、とか、ある民族の文化ルーツは別のなんとか民族にある、というのは深い意味がなく、何を言ったことにもならない、ということだ。

「イスラムの文化や学問は神学と法学を除くと、もともとはシリアの文化や学問なのだ」と言ったって、シリアの文化や学問というのは、ギリシャ・ヘレニズム、ペルシャ、インド、古代バビロニア、あるいは、もっと原始土着の民族、に辿ることもできるだろう。

ある特定の技術や文化、たとえば位取り記数法についてとりあげて、その発祥やイスラムを通じての広まり方やその変化について知り、それぞれの地域への影響のしかたや度合いを理解し、時代や地域ごとの背景としての宗教や政治制度・税制、経済・交易の習慣や状況などを分析して論じるのであれば意味があるのだろう。だが、イスラム文化や西欧文化、アラビア人の文化、シリア人の文化、などと言ったときには、何についてどのような視点で語っているのか、よほど注意しなければならない。上に書いた問題意識なんかは、もっときちんと丁寧に調べて考え続けなければならなかった。

大きな対象に対して紋切型で整理して理解するのは気持ちがいいかもしれないが、だいたいは思い付きの範囲を出ず、その中身は空っぽだったりするものだ。

本をさらっと読んで表面だけ受け取って「ああなるほどね」と簡単にわかったつもりになって、得意になって書き散らかすのはいけない、と改めて認識させられた。


■ ブラジルのトッキーニョとイタリアの女性ボーカル、Katia Astarita (カティア・アスタリータ) のデュエット。先週 2022/4/8に、リリースされたのを聴いて、もう、これは、一聴惚れ。

Katia Astarita、 本業はたぶん女優さんらしい(違ってたらごめんなさい)が、Spotifyでも2011年と2013年に、Maurizio Fabrizio(マウリツィオ・ファブリツィオ)との2人名義の2枚がリリースされているのが見つかるくらいだ。

でも、これが素晴らしくいいのだ。


惚れた。毎日聴いてる。


■ 「マジック・タッチ」と題するシリーズでとりあげた二人が YouTube でコラボ。

個人的には、2人の凄さの基準に慣れてしまい、インパクトに欠けた感がある。

マジック・タッチ 4:ヤスミン・ウイリアムズ、エリック・モングレイン、 Yasmin Williams, Erik Mongrain|Shimamura, T.|note

マジック・タッチ・3:タック・アンドレス Tuck Andress "Everything Is Gonna Be Alright"|Shimamura, T.|note

マジック・タッチ・2:Ichika Nito, Yvette Young, 大象體操(Elephant Gym)|Shimamura, T.|note


■ 先週にローローさんに、コメントいただき、おススメのジンギスカン。

懐かしい。・・・・このビデオクリップを見ているうちに、モンゴルのポップスといえば、そういえば、"The Hu" を思い出した。ホーミーや馬頭琴が前面に出るヘビメタ、なかなか面白い。まぁ、好き嫌いは分かれるかもしれない。

そして、ジンギスカンのビデオクリップの風景を見ていて、もう一つ思い出した。シャレが好きなら、そしてコミックソングに抵抗感がなければ、Song Voyage の "I'm a Death Worm"を是非、視聴してほしい。なかなか笑える。

Song Voyage のシリーズはメチャクチャ面白い。たとえば「鶏攻撃の術」 "Chicken Attack." 久しぶりに聴いて、楽しませてもらった。



■ ところで、ジンギスカンはドイツのグループだ。そして、シングルのB面の曲は「砂漠の国サハラ Sahara」だったということだ。ドイツのポップスというとNena (ネーナ) という人が多いかもしれない(ローローさん記事参照:ミラーボール✨と武装スナイパー|ローロー|note)。Nenaも懐かしいが、もし私に、ドイツのポップスで好きなんはなに?と誰かが訊いたとしたら、迷わず 「デシデンテン、"サハラ・エレクトリック" は最高だ。」と答えることだろう。

最初、モロッコの音楽だと思って購入したアルバム、後からドイツのバンドだと知ったときの驚きといったら。アルバムのジャケ写も色あいが美しく、かっこいい。

なにせ、一曲目のタイトルは「インシャアラー」だ。


■ 先週、Joyeeta Sanyal のシタールとともに紹介したタブラの奏者 Prabhu Eduard (プラブー・エドゥアール) はそういえば SAIYUKIのメンバーだった。


■ もう少し、人の役に立つ仕事の tips とか、賢そうな投稿ができるか、と思ったらなかなか思うようにいかない。まぁ、これまでの投稿で書き足らなかったところとか、コメントいただいたことにちなんで、とか、修正・訂正などを中心に、そして、「先週に惚れたミュージシャン」とか、そういったことで火曜日雑記帳はもうしばらく、散漫に続けようと思う。


2022/4/9 横浜市緑区 jogging コースの鶴見川ぞい
ソメイヨシノはもう散り始めている。タンポポは、カントウタンポポを、この数年よく見かけるようになってきた。不思議なものだ。

■注記
(*1) アラビア人のアトミズムについては、去年の8月に知った。


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