しゅうしん

”孤独の俳人” 尾崎放哉が残した名句は、いまもなお色あせることなく輝いています。『尾崎…

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”孤独の俳人” 尾崎放哉が残した名句は、いまもなお色あせることなく輝いています。『尾崎放哉全句集』を鞄につめこみ、「100年の孤独」をテーマに一句一枚の写真を撮りにでかけています。

最近の記事

100年の孤独/放哉に想う〈Vol.10〉 御堂の濠の鯉はゆったりと

5月の連休に京都へ墓参りに行きました。四条河原町周辺は多くの人でごった返していました。タクシーに乗り一路霊園へ。まちの喧騒は嘘のように眼下に沈み、車は新緑の中を走りました。 御堂のなかの仏壇の前に立ち、花を手向け、ロウソクを灯し、お線香を立てて、在りし日の父母を偲びました――。 放哉は入庵雑記のなかで懺悔文を書いています。 おおよその内容は、「自らの悪行は、すべて過去からの〈むさぼり〉〈いかり〉〈おろかさ〉が原因であり、これらすべては自分自身の行い、言葉、思いから生じている

    • 100年の孤独/放哉に想う〈Vol.9〉  人が人をばかす世に

      放哉の生きた明治・大正期は、いまより迷信を信じた人がたくさんいたんでしょうね。ただ迷信も信じたけど、神仏に対しても信心深かったようです。その態度は、わたしたち現代人よりか、よほど敬虔だったにちがいありません。放哉5歳のときに来日したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が著した『日本の面影』には、そのことが描かれていたように思います。 西洋の文物が輸入されて以降、科学的な知識やものの見方は徐々に大衆へと広がっていきました。近代化を阻害する要因は一つひとつ消し込まれていきました。そ

      • 100年の孤独/放哉に想う〈Vol.8〉  酒に溺れてゆく先は

        アルコールやギャンブル、薬物などにはまり込むのは、少し前まで”〇〇中毒”と言われ、意志が弱くてだらしない人間、というのが一般的な見方でした。しかし、いまは脳の病気のひとつとされ、依存症と呼ばれています。 放哉は依存症だったのでしょう。21歳で酒を覚え、病魔に侵され41歳で亡くなる少し前まで飲み続けていたようです。しかも酒癖が悪く、失策を繰り返していたといいますから。社会的評価が落ちることは自明の理。そんなことは百も承知で酒に溺れたのは、おそらく精神の平衡をそこに求めていたに違

        • 100年の孤独/放哉に想う〈Vol.7〉

          この句は、全句集のなかで「Ⅱ 俗世の時代」の章にあります。この時代は1915年(大正4年)から23年(大正12年)までを指し、放哉が遁世以前に生きた30歳から38歳までにあたります。年譜によれば、この期間、勤めていた保険会社での降格と退職、活路を求めた先での浮沈、実母の死、自身の発病など大きなうねりのあった年月だったようです。 かぎりなく煙吐き散らし――近代化に沸き立つ当時、放哉がどこかで目にした製錬所の風景だったのかもしれません。

        100年の孤独/放哉に想う〈Vol.10〉 御堂の濠の鯉はゆったりと

          100年の孤独/放哉に想う〈Vol.6〉

          放哉は、路上のつまらない石に深い愛惜を感じていたと「入庵雑記」で語っています。「~蹴られても、踏まれても何とされてもいつでも黙々としてだまついて居る・・・」と。誰も見向きもしない小石に心をとめる感性は、多くの人は子ども時代に置いてきたのでしょう。引いては返す波の舌で小石は転がりつづけます。ひとつ拾い上げ海へ放り投げました。こんど人の目にとまるのは何百年先になるでしょうか。

          100年の孤独/放哉に想う〈Vol.6〉

          100年の孤独/放哉に想う〈Vol.5〉

          女性はお連れ合いに先立たれてから31年間、ずっと独り暮らし。息子たちに負担をかけたくない思いと、誰からも縛られたくない思いがそうさせたのでしょうか。女性はこの間、小型犬2匹、小動物3匹を飼いつづけ、そして看取っていったのでした。91歳になった今年、生き物のいない部屋は淋しいとハムスターを買い求めました。手のひらのぬくもりが愛おしく、淋しくてたまらなかったに違いありません。

          100年の孤独/放哉に想う〈Vol.5〉

          100年の孤独/放哉に想う〈Vol.4〉「犬の尾と猫の眼」にみる詩情のうらはら

          犬と猫 尾崎放哉全句集のなかで「猫」の音から始まる句は七句あります。それに対して「犬」は17句です。同句集85頁に「犬よちぎれる程尾をふつてくれる」で表現されているように、そのまなざしには犬への好意が感じられます。 一方、猫はと言いますと、同294頁に「猫の眼がきらひだ」と直截的に表現されています。孤独を愛した『詩人』放哉は、なぜ人の愛情を欲するしぐさを常とする犬にひかれたのでしょう。 【一句一写】

          100年の孤独/放哉に想う〈Vol.4〉「犬の尾と猫の眼」にみる詩情のうらはら

          100年の孤独/放哉に想う〈Vol.3〉

          ひらひらひらと桜花舞う 『尾崎放哉全句集』177頁にある一句。若き放哉が思いを寄せた女性だった「沢芳衛あて書簡中の句」と記されています。恋破れ俳号を芳哉から放哉に 改めたいきさつからみても、こころ砕かれた一事であったに違いありません。その後の自由律俳句にはない初々しさのなかにも、そこはかとない切なさを感じます。 【一句一写】

          100年の孤独/放哉に想う〈Vol.3〉

          100年の孤独/放哉に想う〈Vol.2〉  

          日は暮れてなお照り残る放哉忌                  4月7日は放哉忌。ほんとは小豆島にわたり尾崎放哉記念館を訪ねたいと思っていました。しかし、残念なことに翌8日に大事な検査が入っていたため、やむなく5月に延期することにしました。 放哉が8カ月暮らした小豆島の南郷庵の近くには「大松」と「奉供養大師堂之塔」があると入庵雑記にあります。往時をしのぶそうしたものに触れたいと願っていますが、すでに大松は姿を消しているそうです。 放哉よりずっと長く生きているわたしですが、精

          100年の孤独/放哉に想う〈Vol.2〉  

          100年の孤独/放哉に想う〈Vol.1〉                 

          自由律俳人の尾崎放哉が41歳でこの世を去ったのは、いまから100年ほど前の大正15年4月7日。前年8月に渡った小豆島の土庄町にある西光寺奥の院「南郷庵」が終焉の土地でした――。 わたしが放哉の句に魅かれたのは、2年前に小学館新書から出された『孤独の俳句「山頭火と放哉」名句110選』」を読んだことがはじまりです。そして、講談社文庫の吉村昭著『海も暮れきる』、ちくま文庫の村上護編『尾崎放哉全句集』を繰り返し読み返しているうち、放哉俳句の世界を写真で表現できたらいいな、と思うよう

          100年の孤独/放哉に想う〈Vol.1〉