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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.24〉 小豆島南郷庵を偲ぶ Ⅳ

御仏の黄な花に薫りもなくて

尾崎放哉全句集より

「放哉さんのお墓」と立札に書かれたその墓石は、あまり大きくはありませんが、良い石質だと素人目にも感じられました。そして正面には「大空放哉居士」、左側面には「大正十五年四月七日入寂」と流麗な文字で刻まれていました。帰り際、鮮やかな色の仏花に目が留まりました。

                                                    南郷庵前から見た墓地

写真中央と右後方にあるピラミッド型に積み上げられた墓石は無縁墓です。四国遍路と同様、ここ小豆島にもお大師さんの信仰があり、南郷庵は小豆島霊場第58番札所西光寺奥の院でした。
かなり前になりますが、高知の五台山竹林寺に参った際、ある人から聞いた話です。
ひと夏にひとりやふたり、必ず”世捨て人”がやって来るというのです。よくよく聞くと、その人たちは世捨てというよりか、死に場所を求めて巡り歩いている、そんな人たちなのだそうです。それは決して珍しいことではなく、ずっと過去からあったといいます。遍路みちで野垂れ死ぬのを覚悟した巡礼者たちの墓……それがそこにある墓石なんだよ、と教えてくれたのでした。いまで言えば、行旅死亡人という話になります。

行き場を、あるいは居場所を失った人たちが、巡礼途中に死地を得られて無縁墓に葬られたのであれば、それはそれで本望だったのではないでしょうか。最後の最期は”同行二人”だったわけですから。それに比べ、「墓地からもどつて来ても一人」と詠んだ放哉の孤独は、たとえようもなく深くて暗い、と言わずにはいられません。
いま65歳以上の「孤独死」が年間6万8000人に上ると推計されています。

「小豆島南郷庵を偲ぶ」は本投稿で終了します。



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