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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.23〉 小豆島南郷庵を偲ぶ Ⅲ
屋根瓦すべり落ちんとし年へたるさま
当時放哉が過ごした南郷庵は古くていたんでいたようです。天井や壁の隙間から、ヒューヒューと風が吹き込み、ギシギシ、ミシミシとどこかしこが鳴り出す始末だと、入庵雑記には書かれています。
南郷庵(現「小豆島尾崎放哉記念館」)の裏手に廻ると、「西」の字の紋入り瓦が積まれていました(写真)。本寺の西光寺から一字をとった軒瓦でしょうか……木漏れ日のなかに100年の光陰を感じたのでした。
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放哉は入庵雑記の最初のところで、奉供養大師堂之塔(石碑)についてこう書いています。
「此の発願主円心禅門といふ文字を見る度に私は感慨無量ならざるを得ん次第であります。此の庵も大分とそこら中が古くなつて居るやうですが、私より以前、果して幾人、幾十人の人々が、此の庵で、安心して雨露を凌ぎ且はゆつくりと寝させてもらつた事であらう、それは一に此の円心禅門といふ人の発願による結果でなくてなんであらう、全く有難い事である、円心禅門という人は果してどんな人であつたであろうかと、それからそれと、思ひに耽るわけであります。」
朝に夕に、放哉は庵のなかから庭の大松とともに、この石碑を眺めていたといいます。
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