100年の孤独/放哉に想う〈Vol.15〉 海は母そのものでした
放哉は山より海が好きでした。「~海を見て居るか、浪音を聞いて居ると、大抵な胸の中のイザコザは消えて無くなつてしまふのです。~」、そして放哉は、海が荒れて、乗った船が微塵に砕けても怖くはなく、むしろ、自分はやさしい海に抱いてもらえることに満足するだろう、と『入庵雑記』のなかで書いています。
放哉にとって海は母そのものでした。
つづけて『入庵雑記』にはこうあります。
「~母の慈愛――母の私に対する慈愛は、それは如何なる場合に於ても、全力的であり、盲目的であり、且、他の何物にもまけない強い強いものでありました。善人であろうが、悪人であろうが、一切衆生の成仏を……その大願をたてられた仏の慈悲、即ち、それは母の慈愛であります。そして、それを海がまた持つて居るやうに私には考へられるのであります。」
浜育ちのわたしは、子どものころ、よく海で遊んでいました。ひとりでぼーっと聞く波音は心地良かったのですが、しばらくすると、その単調さに耐えられなくなるのでした。波の引く音はちょっと怖く・・・目を閉じれば、別の世界へ体ごと持っていかれそうな感覚をおぼえたものでした。
明治・大正時代の国づくりは近代資本システムの導入でした。父性原理を中心に据えた社会のあり様は、放哉にとって息苦しかったのでしょう。
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