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「69  70   71  72  73  74  75  76  77  78 …」

ラップタイムを大声で読み上げる彼女はしかし、ジャージが似合わない。スラリと背が高く、艶々したショートボブで、風になびく髪をサラッとかきあげる様は、私がカメラマンなら夢中でシャッターをきっている。

そんなモデルのような陸上部のマネージャーに一目惚れをした。中学からやっていたバスケ(膝をオスグッドにしてまでのめり込んだ)から、あっさりと陸上へ転向してしまうくらい、どストライクだった。
いや、ちょこっとだけ言い訳させていただくと、小さな中学で陸上部こそなかったけれど、大会ともなれば足の速い子とのことで、お呼びがかかり「陸上記録会」には出場していたのだから、陸上に縁がないわけでもなかったわけだけれども。にしても、だ。

小柄な私は、中距離部門の800mの選手として、練習に打ち込んだ。キツい練習も、いつも目の端にはあの美人なマネージャーをおきながら、動機は何であれ、走って走った。

「柊っ!ラスト!ファイトッ!!」

彼女の声ならすぐにわかる。タイムが上がれば褒められ、良いところを見せたいがために走った。血の味がするまで走った。

雨の日の部活(筋トレ)や、部室で話すうち、彼女がクールな見た目に似合わず「お笑い好き」で、共通の芸人ネタで二人で盛り上がったのをきっかけに、グンと距離が縮まった。私がボケれば、彼女がツッコむほどに。それはそれはのぼせあがった。

数学のダメな私に、理数科の彼女は、根気よく教えてくれもした。私は彼女の、親指の付け根で持ち人差し指が少し反るシャーペンの持ち方が妙に好きで、彼女が文字を書く度にその指を見ていた。縦に伸びる文字と。

そんな中、選択授業で「美術」を選択していた私は、作品が遅れ、放課後に仕上げようと美術室に残っていた時。美術部員の作品がイーゼルに並んでいる、その一枚に、釘付けになった。

濃い群青の空に、白く浮かぶ月。
可憐な女の人の長い髪が、月明かりになびいて、とても静かな、幻想的で神秘的な絵。

「綺麗…」

誰が描いたのかと裏にまわって見ると、キャンバスの木枠には名前があった。
マネージャーの、あの彼女の名前があった。

「言ってなかったっけ?
   私、美術部員でもあるんだよ」

大会の申込用紙を書きながら、サラッとそう言って、「見たの?」と睨む真似をするから、「いや、あの、置いてあって…」とかなんとかゴニョニョ言って。ただ、でも、
「綺麗でした、とてもっ、あの絵。」と伝えると、「ありがと」とにっこり笑って、

「ちなみに私、漫画も描くんだよ。
   たま~に 〝文芸部〟。」

と私の耳元で、内緒話で教えてくれた。

文芸部…。
全校各クラスに一部ずつ配られる月刊同人誌『ミネルヴァ』を発行する文芸部は、ここのところR指定なみのきわどいものも多く、ペンネームで描かれているそれらは、文芸部の一体誰が…とザワつく事態になっていたから慌ててしまう。

「え。ミネルヴァの?もしや…先輩…」

とドキドキしながら聞くと、
「んー、大丈夫、あの手のやつじゃない」
と笑っていた。よかった。ちょっと見たい気もしたけれど、いや、やっぱりよかった。

                                 

                                 𓂃 𓈒𓏸⋆☽.゚

夏をおえるころ、私の体調はおかしくなっていた。走っても走ってもタイムがのびず、それどころかひどく疲れやすく、脈もすぐに上がってしまう。過呼吸を起こし、痩せていき、練習を休むことが増え、病院で検査を何度もした。

「日常生活には差し支えありませんが、
    激しい運動には不向きな心臓です。
    脳の血管も人より細いようですし。」

病院からはそう話され、親や顧問とも話すうち、私は選手を引退し、マネージャーになることになった。
日が短くなっていく秋、風がひんやりしてくる帰り道で、マネージャーの彼女にそう伝えると、彼女は私よりも悔しがって、私よりも泣いていた。

                               𓂃 𓈒𓏸⋆☽.゚

冬の匂いがし始める頃、彼女は東京の調理の学校へ進学が決まっていた。進路が決まったからと言って、彼女はちょくちょく部活へ来ていた。

そんなある日、

「柊。あのね、これ、柊のことを描いたから、恥ずかしいけど、読んで。」
と、A4の紙の束を手渡してくれた。

彼女の描いた漫画の原稿だった。

主人公はショートカットの女の子、背の高いロン毛の先輩は三四郎という名前の男の子。病気で走れなくなってしまった女の子の代わりに、運動オンチな三四郎が「おまえのかわりにオレが走る」と、不格好ながら走り出すというストーリーが、綺麗なタッチで描かれていた。

「私、柊のかわりに走るよ」

モデル体系でひょろんと背の高い彼女は、いわゆる文化系で、おおよそ運動に縁のなさそうな彼女が、後輩たちとトラックを走りはじめた。軽くジョグどころか、そのまま走り続け、肩で息をして、必死に。

ジャージの似合わない彼女。

だけど、その走りは、

誰のどんな走りよりもかっこよかった。


彼女の描いた漫画のロン毛の彼は、
彼女が普段ポケベルのメッセージの最後に打つ3文字と同じ。

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