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15.言葉は後からやってくる

筆者は記事を書く時は自らの体験を元になるべく書くようにしている。それは体験を伴わない言葉というのは、話している方も聞いて読んでいる方でも何処か違和感を感じるからだ。

例えば面接でこのような質問をされたとしよう。

「どうしてこの会社を受けようと思ったのですか?」

よくある質問である。この質問に対してどのように答えるだろうか?

「はい、この会社で仕事をしたいと思ったからです!」

それは当然だろう。大体会社に入社したくて面接に来たのかと思われる。言わなくても大体分かる答えである。言わなくても分かることを会社の面接でわざわざ答えるというのもやはり変であるかと思われる。

この際、会社に入りたいことをもしアピールしたいのであればやはりきっかけというものが必要になってくるのではないだろうか?何故なら会社の方としてはこの答えを受けて

「どうしてこの会社で仕事をしたいと思ったのですか?」

と思うはずだからである。それなのに

「なんとなく」

だとか

「家から近いから」

とか

「給料が高いから」

とか

曖昧ではっきりとした答えを持っていなければ会社というのも

「上部でしか見られてない」

「いざという時大事な仕事も任せられないな」

「いきなり逃げられることもあるだろうな」

「こんな人にお金払いたくないな」

と思いたくなってしまうのである。もちろんこれにはその会社の特色も含まれているので自身と近しい考えを持つ会社であればこのような答えでも通るかと思われる。だかしかし、多くの会社はそんな風には思わないので好ましくないと言いたいのだ。

先ほどの質問であればきっかけを作れば良い。

「はい。説明会に参加した時、私はどの会社も同じように見えて「どうしよう、どこの会社を受けたらいいんだろう。」と心の中で迷っていました。そんな時、御社で楽しそうに説明されている担当の方を見て「どうしてあんなにも楽しそうなんだろう?仕事も楽しいのかな?」と思ってまず説明だけ聞いてみることにしました。すると思っていた以上に仕事の楽しさが伝わってきて。担当の方の雰囲気が良かったのもありますが、それだけでなく、もし自分が辛くて悩む時があってもこの担当の方のような人がいたらきっと相談出来たり、一緒に仕事しても怖がることなく話しかけられそうだと。他の会社と比べて社員に対するケアがしっかりしているように思ったから御社に入社してみたくて志望しました。」

これだけでも十分である。要は話す内容に風景が浮かび上がるようにすれば自ずときっかけになるのである。それなのにただただ、漫画とかテレビ、ラジオなどを読んだり聞いたりしていると

「人はこうだ。」

とか

「あれをしてはいけない。」

とか

「こうあるべきなんだ。」

とか

如何にも説教くさい言葉ばかりが出てくるのである。

確かにこうした言葉は非常に良い言葉なんだろうと、「ハイ仰る通り」「何も反論出来ません。」と言った如何にもな正論だったりする。しかし、正論というのは人の役には立たないものである。「君が食べているのは栄養も何もないただの砂糖だよ。」と話しても言われた方としては何かと反発したくなるのだ。それ故説教になってしまうのだ。

せっかくの良い言葉が説教にならない為には話す人の体験が何よりも必要になってくる。この時使用する体験というのは話す人の責任である。

「自分はこんな辛い体験があった。だから今ではありがたみを感じるし、気をつけるようにもしてる。人に感謝することも出来るようなった。今の君にはそれを感じてもらいたいの。」

と話されたらどうだろうか?

体験を加えれば説教は説教ではなくなり、共感になる。「少しくらい話を聞いてみようかな?」なんてことにもなるのである。

体験を伴わない言葉など、あまり意味が無いのだ。だから「言葉は後からやってくる」という訳だ。

また、このことは行動する前からあれこれ悩んだり喋ったりする人にも当てはまる。失敗したくない、やりたくないというのが一番の理由となんとなく想像が付くのだが、、、

失敗したくないのであれば一度徹底的に逃げてみればいいだろうし

やりたくないのであればまずやりたいことを徹底してやってみれば良いかと思われる。

そこに人の目など道徳的なことなどあまり関係は無い。もちろん人に迷惑をかけない程度にだが。「お前をぶん殴りたい。」とでも思ったらスポーツジムにでも行けば良いだろうし、「一日中寝ていたい」とでも思ったら会社に適当な嘘でも「鬱になりました。」とでも伝えて1ヶ月くらい寝て好きな食べ物でも腹一杯食べていれば良い。とにかく行動してみた後で感じたことを言葉にすれば良いのだ。



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