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遺書を書くという瞑想

※注意

この文章は筆者が行ったことを記載・記録しているだけであり、不道徳な行為を推奨したり、不安を煽ったりする目的で書いているものではありません。
お読みになる際はその点を踏まえ自己判断でお願い致します。



遺書を書いた

家族宛ての遺書の下書きを書く。
知人友人向けの遺書を書く。
その他の相手への遺書を書く。

書いていると、不思議と心が凪いでいきます。雑念が取り払われるような感覚。写経と同じことでしょうか。
それとも短歌や俳句を詠む事と同じでしょうか。
もしくはnoteを書いているのと同じでしょうか。

まだ死ぬ予定はありませんが。
それでもいざという時のためにね。不測の事態っていうのが人生にはありますので。

予定はありませんよ。ありませんからね。念を押しますが本当にありません。
やり残していること沢山ありますからね。
見たい本も見たい映画も行きたいライブもやりたいゲームもあるから。
最低でも今年の夏まで死ねないんだから。
まだ死にたくないんだから。


現時点で思いつく、遺族が困りそうなこと

私が死んだときに真っ先に思いつく「遺族が困りそうなこと」は私が加入しているサブスクサービスをどうするかでした。
噂によるとクレジットカード会社に相談すればどうにかなるらしいですが、その辺の仕組みについてまだちゃんと調べていないのでとりあえずIDとパスワードを纏めてみようかと思っています。
何とかなるにしても、纏めておくに越したことは無いでしょうし。

次点で思いつくのは、家族のメンタルです。
私の家は家族仲が悪くはありませんし、家族全員私の事は大切に思ってくれているはずです。ですので、私が自死したら何かしら思うところはあるかもしれません。それは流石に申し訳ない。
私は一人っ子です。兄弟がいません。よって、余計に私がいなくなったら、利害的にも感情的にも困る事でしょう。
それに関しては、ごめんなさい、以外のことが言えません。
なんて無責任なんでしょうか。
最低最悪の人間です。
でも、死ぬときはそれがどうでも良くなるくらいに精神がおかしくなっていることでしょう。
だから、ごめんなさいしか言えません。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ずっとずっと、本当に、弱くて情けなくて罪人でごめんなさい。
それだけです。


瞑想

やってみて分かりましたが、遺書を書くというのは私にとって瞑想に近い行為でした。冒頭で述べた通りです。
ただ経験上、本当の本当に一番駄目な体調の時に文章を書くという事は甚だ難しい行為です。
思考が感情に支配されるしそんな気力は湧いてこないので、それどころではありません。
だから瞑想は出来る時にしておこうと思います。

重ね重ねしつこいようですが本当にまだ死ぬ気はありません。

もしかしたら、瞑想によって心が落ち着くかもという期待で書いているところもありますので。
要はマインドフルネスです、たぶん。

ちなみにまだ遺書は完成していないので、またこそこそ書き連ねたいです。



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