バカの壁
東京大学名誉教授・医学博士 養老 孟司氏による新書の大ベストセラー。人間の脳に焦点を当てて、政治・教育・宗教などの様々な角度から、現代の人間の頭の中にそびえ立つ壁(バカの壁)について評論している。説明の切り口が多様で、一つ一つの事例が分かりやすい。「知る」ことに注力しすぎて「考える」ことを疎かにしがちな現代人が、自身の戒めのために読むべき良書である。
自分が何でも知っているという勘違い
スマホで検索すれば出てくる世の中では、自分が何でも知っていると勘違いしてしまう。検索すれば知りたい情報が取り出せるが、それは自分が「知っている」ことにはならない。
「沢山の雑学」≠「常識の理解」
検索して出てきた結果に対して「考える」という処理をしないと、自分自身の身に付かない。結果的に検索したことをすぐに忘れてしまうことが往々にしてある。
個性や多様性の強要
家族、学校、会社など、大小の社会の中では「共通了解」が求められる。暗黙知なものもあれば、形式知として規則やマニュアルやルールとして明文化されているものもある。暗黙知の類では「共通了解」から外れると、いわゆる「空気が読めない」ということになる。
何らかの社会に帰属する上では「共通了解」は必須だが、「共通了解」から外れることを強要する類の「個性」が人々を混乱させている。
同種の植物や昆虫には個性がない(少なくとも人間から見るとそう見える)が、同種の犬や猫には外見的にも内面的にも個性がある。人間にも同様に外面的・内面的な個性が既にある。既にあるのだから、必要以上に個性や多様性を求めても仕方がない。
自分自身が不変であるという勘違い
自分は常に変わり続けて良いのだと考えることは非常に重要。自分が子どもだった時の感じ方と、大人になってからの感じ方は違う。それはそれで良い。外見や内面が不変であり続けなければいけないという思い込みは、精神的な成長を阻害する。
自分自身が変化すること
人間の精神によって、見え方が変化する分かりやすい一例。ただ「見る」ということから「知る」ことができるようになる。普段は意識しないことを意識することによって、本当にその事物を知ることに繋がる。すべては興味を持つことから「知ること」に繋がる。
こころとからだ
学習はインプットとアウトプットの両方を行う必要がある。
赤ん坊のハイハイから始まり、自転車や水泳、車の運転に至るまで、身体を動かして出力しなければ出来ないことはとても多い。哲学者・池田 晶子氏も、精神と身体の関係性を非常に重要視していて、片方しか見えていない、あるいは分離していると考えている現代人に警鐘を鳴らしている点で本書と共通している。
社会の価値観
戦後、高度経済成長期の日本のような社会全体の共通目標、ベクトルが見出せないことが現代社会の共通課題。人間の「共通了解」に基づいて、「理想の社会」をイメージすることが求められる。
現実と仮想現実
実の経済は、現実に影響を与える。虚の経済は、仮想通貨に始まりメタバースへと発展するかもしれない。便利・効率的になる一方で、実の経済に影響を与えうるポイントはしっかり把握しておかなければならない。
勘違いが作り出すバカの壁
一元論は答えが出しやすく、二元論は答えが出しづらい性質がある。答えは環境変化や時間の経過で変わることもあるが、人間は一度答えを出すとそれで満足して、それ以上に考えること・考え直すことをしない。
「自分は何でも知ることができる」「自分は頭だけで何でも習得できる」という勘違いこそが「バカの壁」である。
人間の良心への期待
哲学者・池田 晶子氏も、「良い」「悪い」の観念は、本来人間に「共通了解」として備わっているはずだと説明していたように思う。良心は誰しも持っているはずと言う根拠を示すことは難しいが、確かに「人間であればこうだろう」という良心に期待するしかない。
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