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過去の栄光にいつまでも縋るのはクソダサい。
昔は凄かったんだ。
若い頃は今と違って、なんて言葉は嫌いだ。
たまに振り返る思い出は酒のつまみになる。
だが、過去の栄光は過去に起こった事柄でしかない。今の自分を表すものではない。そんなものにいつまでも縋る人間はろくな奴が居ない。
同じように、過去の優しさをいつまでも持ち出す人間も嫌いだ。
あの時こうしてあげただろ。
君のためを思ってやってあげたのに。
恩着がましいにも程がある。
優しさとは、損得を考えて取る行動ではない。相手のためを思う事、相手のためを思って行動できる事が優しさだと私は思う。
自分が純粋な心で取った行動だからこそ、相手にも同じように求めてしまう気持ちも分かる。少しくらい自分にも、、と思ってしまう事も勿論あるだろう。
だが、人の優しさを踏み躙ったと思えば遠い昔の極々小さな優しさ、いや、恩を掘り返し、自分の思い通りに相手を動かそうとする人間もこの世界には存在する。
こういった問題は特に恋人同士、夫婦間でよく起こる事だと思う。
なぜ友人同士ではこうならないのか。
それは簡単な事で、友人は他人である。だからこそ自分とは合わないと思えばその瞬間距離を取ることができるだろう。自分が傷つく前に対応ができるということだ。
しかし、相手が想いを寄せる人となれば話は別。
素敵だと、尊敬できると、そう思えるようなところも知っているからこそ、相手に対する情が生まれる。
ただ、これだけは忘れないで欲しい。
過去の栄光、過去の優しさをいつまでも持ち出すような人間は、自分のことしか見えていない。自分の取った過去の行動を優しさとリンクさせ、そこしか見えていない。確かにその時は優しさだったのかもしれないが。
つまり、相手が触れてほしくない事でも簡単に触れてくるという事。相手の事を侮辱したり、踏み躙る事をなんの躊躇いもなく口にするという事。
そんな人間に傷つけられる人を目の前で見る事が辛い。
それはきっと私だけじゃないと思う。
過去は過去だと切り離す必要はない。そんな事をして欲しいわけじゃなく、大切な人は大切にして欲しいという事。
あの時こうしてやっただろという言葉は相手を縛り付ける縄でしかない。しかも、きつくきつく縛り付け、痛めつける。
皆に無条件で優しくしろとは言わない。
そんな事をしていたら疲れてしまうし、自分を犠牲にしてまで人に優しくした方がいいとは思わないから。
けど、自分が心に誓った大切な人にくらい、優しい心であり続ける事が出来たらなと、そう思った。
幸せなことばかりではないし、一緒に過ごしていれば腹立たしい事ももちろんあると思う。生活しているのだからないわけがない。
だからこそ、大切で愛している人とは共に幸せになりたいし、無条件で優しくするなんて簡単に約束できないような事も、約束したいと思う。
当たり前だと思いたくない。
少しでも楽しいと、幸せだと、自然とそう感じられるような関係性。
簡単に築ける関係性でない事は重々承知だが、それでもこの人とならと思える人と、いつまでも隣で小さな幸せを感じながら生活したいと思った。
そんな休日だった。
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