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Adoさんのおかげでやっと "好きでいる道" を選べた。


1ヶ月ほど前、Adoさんがオーディションを開催するという情報がまわってきた。

Adoさんがアイドルをプロデュースするらしい。課題曲は『Tot Musica』。

歌える女優になりたい、という夢には見切りをつけたはずなのに一瞬、チャレンジしようかと考える自分がいた。


***


オーディションの件を知る前だったのか、知った後だったのか は覚えていないけれど

ある日、Adoさんのラジオ切り抜きの動画がおすすめに出てきた。筋トレをするためにYouTubeを開いたときのことだった。

それまで特段 "Adoさん自身" に興味があったわけではなかったけれど、なんとなくおもしろそうで、再生ボタンを押した。

Adoさんが自分のライブ映像を見て発狂しちゃう動画だった。



なんか、かわいい人だな、おもしろい人だな、と思った。

さらに、TwitterでまわってきたAdoさんのつぶやきを見て、友達になりたいと思った。



『うっせえわ』で出てきたとき、Adoさんが作詞作曲も担当していると勘違いして、なかなかにキャッチーでパンチが効いた曲を出す人だな、と
そのあと『ギラギラ』『踊』『阿修羅ちゃん』でバンバン出てきたから、"歌えるようになったらかっこいい曲" が似合うアーティストだな、と
『会いたくて』を聞いたとき、”こういう正統派の曲も歌えるんだな” と思っていた。

ONE PIECE FILM RED を観たときは、いろんな曲調の歌を全部歌い分けられる表現力の多彩さにノックアウトされた。そこからは FILM RED のアルバムを鬼リピして、『ウタカタララバイ』の「I wanna know〜」部分以外、全曲マスターした。


…今思えば、Adoさんの曲は新曲が出るたびに大体聴いて、カラオケで歌えるレベルにはなっていた。純粋に「Adoさんの歌」 のファンではあった。


だけど、YouTubeの切り抜きを見たときから私は「Adoさん」のファンになった気がする。



***


小学4年生の二分の一成人式のとき、将来の夢の作文に「パティシエになって私が作ったお菓子で人を笑顔にしたい」と書いた。


嘘だった。


たしかにお菓子作りは好きだったし、それを宣言することでパリへの憧れが決定的なものにはなった。

それでも本当の夢は物心ついた頃からずっと、歌える女優になることだった。歌うことも踊ることもしゃべることも好きで、どれかひとつなんて選べなかったから、いろんな人の人生を生きられる女優になりたかった。

というのも少し後付けだ。ほんとうは歌って生きていきたかった。だけど私は歌一本で評価されるほど歌の才能があるわけではないとわかっていたから、演技という付加価値をつけて、歌もこなす女優になればいいと思った。

その夢を語ると親は頭を抱え、まわりのみんなに笑われ、「そんなに顔に自信があるんだ」と見当違いなことを言われる、とわかっていた。それゆえに口では「パティシエになりたい」と言った小4の私は、自分の武器にクイズ番組で率先力になるような知性も加えよう と「学歴」を得るために東京の大学(芸能人が多いからという理由で早稲田、親戚に多いからという理由で法学部)に行って親のハンコが要らなくなる成人を迎えたらオーディションに出て夢を追うんだって、本気で思っていた。




アーティストにしろ、女優にしろ、私は女性芸能人のファンになったことがなかった。それは、心のどこかで勝手に嫉妬していたからなのだと思う。

iPod nano や touch で音楽を聴いていた時代も、iPhoneでサブスクを使って音楽を聴くようになった今も、私のプレイリストはほとんどが男性アーティストの曲だ。その歌自体が好きで聴いていた女性アーティストはたくさんいるけれど、ファンクラブに入るほどのファンになるのはいつだって男性アーティストだった。


ジャニーズ(嵐、松潤)は見事にハマったのに、AKBや坂系のアイドルにハマったことはない。ミスチルのファンクラブには入ったのに、いきものがかりのファンクラブには入らなかった(いきものがかりは人生で初めて好きになった "アーティスト")。男性芸能人のことは躊躇なく「かっこいい」「イケメン」と言うのに、女性芸能人のことは滅多に「かわいい」「この人、いいよね」と言えなかった。私が素直に褒められるのは北川景子、今田美桜、橋本環奈、堀北真希、多部未華子、石原さとみ、佐々木希、川口春奈、新垣結衣(敬称略)くらいだった。(何様やねん、でも意外といた)。今は顔面偏差値トップでも整形した過去があったり、見た目と声・中身のギャップがあったりすると、なぜだか勝手に、一気に安心した。


自分は土俵にも立っていないくせに、褒めてしまったら、ファンになってしまったら、負けたようで悔しかったのだと思う。


バカだなぁ。


ほんとうに歌いたいのなら「合唱部に入ったら歌い方でグダグダ注意されるんだろうな。私がやりたいのは自由に歌うことであって合唱じゃない。」なんて言わずに、合唱部に入るべきだった。

せっかくたくさん本を読んでいたのだから、言葉や表現に注目して美しい表現をたくさん自分のものにして、その言葉を使って歌詞を紡ぐべきだった。せっかく絶対音感を持っているのだから、作曲したりピアノを続けたりギターを始めたりして弾き語りで動画を載せられるレベルに楽器を極めるべきだった。

お世辞でもみんなが「かわいい」と言ってくれる私の容姿が、たとえ井の中の蛙レベルなのだとしても、「顔だけ」と言われているようで納得いかなかったのだとしても、そのコミュニティの中だけでも輝ける可能性がそこにあるのなら、せめて容姿だけでも磨き続けるべきだった。エラが張って顔が大きく見えないように食いしばりに気をつけたり、マッサージしたり、するべきだった。顔の筋肉が弛まないように、いつどこで撮られても写真映りが完璧になるように、笑顔の練習をすべきだった。肌荒れのないように、ほうれい線が濃くならないように、目の下にシワができないように、スキンケアに力を入れるべきだった。顔が大きく見えないように髪型や前髪に気を配り、アホ毛が浮かないようにヘアケアに力を入れるべきだった。


それすらもしていない私には、なりたいと思いながら物分かりいいふりをして行動せずに見ているだけの自分には、歌える女優を夢みる資格なんて、憧れる資格すら、なかった。



認めるまでに21年かかってしまった。

私の夢に終止符を打ってくれたのはAdoさんだ。


Adoさんは歌い手としての動画投稿、歌一本でここまできた。もちろん行動しさえすれば、努力しさえすれば、夢は必ず叶うというわけではない。

だけど本気で夢見るのなら、行動しなければいけない。自分の才能を信じて、磨き続けなければならない。それを、Adoさんが教えてくれたから、私は私の中のみっともない感情を認めることができた。



***


オーディションの存在を知った翌日、募集要項が発表されて、その投稿に目を通した。


私は「満12歳〜20歳の女子」ではない。
対象年齢から外れていた。


今までは私の素質とかその夢に向かってオーディションやレッスンに取り組んだ経験の無さとかクラスで人気者にすらなれないその愛され力の無さとか、そういう意味で私には応募する資格がない、と思っていた。

一方で、今はもう、そもそも応募すらさせてもらえないという意味で、資格がなくなってしまった。今までは自分で「身の程知らず」と勝手に思い込んでいただけだったのに、今はもう他者から「君には資格がない」と言われる側になってしまった。


だけど、この気持ちは何だろう。

どこか清々しい気持ち。

身の程知らずな夢を追わずに「済んだ」、新しい夢を打ち立ててIT企業に就職したこの人生で「正解だったんだ」という安堵?

「もう "昔の夢" を追わなくていいんだよ」と言われたかのようで肩の荷が降りたという安心感?


わからない。

だけど、これは夢を「明らめた」人が見る景色なのだと思った。


「諦めた」のではない。

きっと私は、歌で生きていく道ではなくて、歌を好きでい続ける道を「選んだ」のだ。





あとがき


ベストアーティストのAdoさんを観た。
Adoさんの地上波初のパフォーマンスだった。

普段、好きな人の好きな曲が歌われてテンションが上がったとき、自分も歌ってしまう。一緒に歌って楽しむことで、音楽へのリスペクトを示すタイプなのだ。


だけど今回は違った。

Adoさんが一声発しただけで痺れて、「口出しできない」と思った。私が本の少し身体を動かすだけでも揺れてしまう空気に邪魔されたくないと思った。気がつけば、テレビの目の前で画面を見上げていた。


『唱』は配信verとも、ライブverとも違った。ハモリ?に任せる箇所とか、「たぶらかすなかっとなっちゃ嫌」を叫んでたりとか、語尾の収束のさせ方とか、がなり方とか、全然ちがう(もちろんいい意味)。ほんとうに、彼女自身が歌っているとわかる。


『Tot Musica』もそう。音源で聴くと「Blah, blah, blah」は「ブレーアッ」と、息遣いが聞こえてきそうな叫び方をしているけれど、今回は3回目の「Blah」が「ブロー」と叫んでいるように聞こえた(カタカナにするとダサいけど、Adoさんの声を聞くとなんかアニメとかでよくある、権力者が怒って地面が割れてそのカケラが宙に浮いてる感じの光景が浮かぶ(語彙力))。最後のラテン語部分「ᚷᚨᚺᛉᚨᚾᛏᚨᚲᚷᚨᚺᛉᚨᚾᛏᚨᛏᛏᚨᛏᛒᚱᚨᚲ」は、悲壮感が漂っていた。まるで、ウタが怒りで燃え尽き、抜け殻になっている様子が目に浮かぶようだった。

Adoさんの「Tot Musica」を聴いて、なぜオーディションの課題曲が「Tot Musica」だったのか、わかった。この曲を歌い手自身がどう解釈したか、そしてそれを表現する技量がどれだけあるのか、この曲には如実に表れる。


ただ音源通りに歌って、ものまねしていても仕方がない。音楽を通して、自分を表現すること、自分なりにその曲の魅せ方を探ること。それができる彼女の才能には、ひれ伏さざるを得ない。


Adoさんが歌い踊れば、音楽が色づく。
音楽は「自由」だ。



Adoさんにすっかり魅せられた私は、ベストアーティストを観終わった瞬間、Adoさんのファンクラブに月額で登録した。







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