見出し画像

原田マハさんに魅せられて


知っていたら人生が豊かになることっていくつかあると思う。

たとえば、歴史美術

いわゆる"教養" "リベラルアーツ"といわれるものの中でも、
「歴史なんて過去のこと知ってなにになる」
「芸術の世界はわけわからんね」
と軽視されがちかもしれない、この2つ。

学校教育では“文化史” “美術史”という括りで、受験を突破するための手段にされてしまうこの2つ。


中学受験時代から歴史の勉強は好きだったし、得意だった。美術は作り手としては苦手だったけれど、鑑賞者としては決して嫌いではなかった(特別興味があるわけではなかったけれど、数学や理科よりは遥かにマシで、好きだった)。

日常の中で有名な絵画に出くわしたときに「あ、知ってる!」「資料集で見たことある!」と嬉しくなる感覚が好きだった。何気なく歩いている街にある古墳や建造物がいつ頃の、誰のものなのか知るたびに、自分の中にある日本史の知識と結びついて、パズルが完成するような感覚に陥るのが好きだった。

小学校の頃に大河ドラマで歴史のおもしろさをしった。中高時代には、古代エジプト展や古代ギリシア展、ルーブル美術館展やフェルメール展に、父や美術部の友人と足を運んだりもした。大学受験が終わった春休み、自粛期間に教養としてもう1度歴史を学び直そうと山川の英語版・世界史の教科書を買ったりもした。

そんな風に単に楽しむものとして吸収するのは好きだったし得意だったけれど、大学受験の勉強で覚えるべきものとして吸収することは苦手だった。

受験勉強としてでなく、探求するものとして、いつか再び 知りに戻ろう。
そう思っていた私が意図せずその営みに戻ることができたきっかけが、原田マハさんのアート小説・『楽園のカンヴァス』と『暗幕のゲルニカ』だった。



”カンヴァス”のアンリ・ルソー、
”ゲルニカ”のパブロ・ピカソ。

ルソーはあまりメジャーじゃないけれど、”カンヴァス”の題材となった『夢』は(朝イチのマハさんが出ていた回を見ていたからかもしれないけれど)「見たことある気がする絵」「不気味なような、不思議なような、上手なような、のっぺりしたような。好きではない絵。でも1度見たら忘れられない絵」という印象だった。


対して、ピカソは人類で知らない人いるの?くらいに有名な画家だ。だけど、10歳のマハさんが感じたように、誰もが一度は思うように、「下手くそ」な「気持ち悪い」絵を描く人だと思っている。だけどルソー同様、「一度見たら絶対に忘れられない絵」であることが、天才たる所以なのだと思う。


『ゲルニカ』自体も同様に有名すぎる絵画だ。そして「これはゲルニカ爆撃を描き、反戦を訴えている作品である」ということもおそらく併せて習う。だからこそこの絵画が「反戦の象徴」であること、「戦争を描く作品」であることは当然のことのように、常識として知っている。

だけど『暗幕のゲルニカ』にも繰り返し述べられているように、「この絵画の中には、どこにも飛行機は飛んでいないし、爆破も表現されていない。被災した建物もなければ、流血もない。もっといえば、戦争なのかどうかさえもわからない」。

なのに戦争が描かれているとわかるのは、ピカソの表現力もそうだけど、その時代に何が起きていたのかとか、美術史上の流れとか、ピカソの人生とか、絵画の背景にあるものを読み取り、それを伝える人がいるから。



原田マハさんのアート小説を読むと、そういうことを全部教えてくれる。
とはいっても、背景を伝えることがメインではなく、あくまでそれを踏まえた上で展開される物語がメインなわけだから、もっと深く史実を知りたければ自分で調べるしかない。

マハさんの小説に浸っていると、目の前にいるはずのないルソーやピカソが見えるし、彼らがまるで昔からの友人であったかのように自分の中に刻まれる。彼らのミューズ(絵のモデルとなった女性ガールフレンドたち)と一緒に彼らのアトリエにいるかのような時間を過ごし、史実とは異なる場面や人物もまるで本当だったかのように思えてきてしまう。

読了後は、壮大な冒険から帰ってきたかのように現実に戻ってこれなくなって、ぽけーとしてしまうし、余韻に浸ってルソーやピカソ、ドラ(ピカソの恋人だった女性)のことを調べてしまう。今日も”ゲルニカ”読了後は、つい高校のときの世界史の資料集を持ってきて、YouTubeでアート解説してくれているチャンネルを探してしまった(”カンヴァス”のときもそうだった)。



昨冬、家族で徳島にある大塚美術館に行った。


大塚美術館は世界中にある名画を実寸大でレプリカにして展示している美術館だ。世界中に散らばる名画のいいとこどりをした最骨頂みたいなところ。

展示されているものすべてが世界史の資料集に載ってた気がしてくるし、どこかで見たことある気しかしない 不思議な空間だった。全部ニセ物なのに圧倒された。すごく楽しかった。時間がいくらあっても足りなくて、現代美術のエリアはまともに見れなかったので、また行きたいなと思っている。(ちなみに大塚美術館のパンフレットも"ゲルニカ"読後、リビングに持ってきて読んでしまったものの1つ。)



マハさんのアート小説を読む前に行った大塚美術館。行った当時と読んだ今行くのとでは、また感じ方も見方も違うのだろう。


大塚美術館だけでなく、
大原美術館も、MoMAも、レイナ・ソフィアも、
ニューヨークも、スイスも、スペインも、
もちろん長年憧れのパリも、ルーヴルも、
オルセーも。


世界を旅して、本物の美術と世界を知りたい。




小〜中学生の頃、家族で3ヶ所ほど、海外旅行へ行ったことがある。

グアム、ハワイ、香港。


当時の私はそれらよりパリに行きたいと思っていたのだが(何様?)、それぞれで見た景色はスマホに写真も残っているし、そこで感じた雰囲気や空気感は今も憶えている。

留学に行った人は”人生変わった”とか”自分を変えることができた”とよく言う。

私は留学に行ったことがないし、ロクに英語教育を受ける前に行った旅行だから、実際のところわからない。

だけど、彼らの言うことは本当なのだろう、と思う。

自分の常識が通じない空間で、違う常識を受け入れて過ごすうちに他人に寛容になれるのだろう。

それは、「世界はこんなに広い」ということを肌で実感し、「嫌だったら狭い日本にいる必要はない、海を渡れば自分を受け入れてくれる人がいる」と思える繋がりを作れたことで生まれる余裕からもくるのだろう。


ああ、旅がしたい。世界を知りたい。





言葉にできないのが悔しいほどの、
"異国の地"特有の空気感。


旅行レベルでも感じた”それ”が
マハさんの作品にはあった。


私は、パリにいた。ニューヨークにいた。
そして、その空気感を感じた。

現実に帰ってきて、世界への憧れと歴史・美術への興味が手元に残った。


そんな8月のとある日曜日。




次は『たゆたえども沈まず』からの『リボルバー』かな。


p.s. 
記事写真は大塚美術館のゲルニカ。
いつか本物をみたい。

















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?