TATOOのような2人でいてね
早口で韻踏みまくり言葉詰めまくりの、歌うのが難しい髭男の新曲は、わたしたちみたいな曲。
初めて聞いた瞬間「好きだ。」と思った。
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4年記念日のあと、院に行くか留学に行くか未だに決められない彼が言った。
「(今の大学)に残るって言ったら、(私の名前)は応援してくれる?」
「そうなったら毎月1週間はそっちで生活するって約束する」
私と一緒に24卒で就活する(同棲か半同棲)と言ったり、
私と一緒に東京の院で技術経営を学ぶ(同棲か半同棲)と言ったり、
私は東京、彼は今の大学の院でロボット工学か脳科学を専攻して26卒で就職する(遠距離&毎月1週間東京で半同棲)と言ったり、
大学4回の間にオーストラリアへ留学&25卒(10〜2月遠距離、+次の1年は半年遠距離、残り半年は東京で同棲)と言ったり、
毎日コロッコロ意見の変わる彼の、その決断力のなさが私は正直もどかしいし、イライラする。
ほんとうは、24卒で就活してほしかったし、東京の院で技術経営を専攻して26卒で就活してほしい。
だけど、その決断力のない彼の未来に(いまのところ)私がいることだけは決まっている。それをはっきり言葉にして伝えてくれた。
それが嬉しかったから、彼の進路がどうなってもいいや、と思う。どうせ全部トントンだし、そもそも彼の人生は私のものではないから。
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先月は彼がTOEFLの勉強中だったり、GWだったりで、いつもは週1で会うところが隔週になったり、なんだかんだ週7でしていた電話が週1になったりと、自分の時間が多い1ヶ月だった。
今まで当たり前のように週1で会い、毎晩電話していた。そのペースが落ちると寂しくなったりすれ違いやすくなったりするのかな、と身構えていたけれど、全然そんなことなかった。その間、彼が勉強をがんばるのなら、と私は彼が喜ぶ筋トレをがんばり、バイトや研究に勤しみ、早朝バイトの前の日は早めに寝て、なんやかんや充実した時間を過ごしていた。
「毎日会いたい」と「毎日電話したい」と「一緒に暮らしたい」は、同じ”毎日”でも、きっとそれぞれ違うものだ。距離感?重さ?なんというか、次元がちがう。「一緒に暮らしたい」ほどの好きと、「毎日会いたい」ほどの好きは比べることはできないし、「一緒に暮らす」ことはできても「別々に暮らして毎日電話する」ことはできないというケースだってきっとある。
彼のTOEFLが終わってからも(次は院試の勉強があるからというのもあるけれど)、電話のペースは毎日に戻ることはなく、かといって、TOEFLの時と同じかというとそうでもなく、大体2〜3日に1回くらいのペースで夜の電話は続いている。
そこに寂しさはなくて「毎日じゃないの?」なんて思わない。電話のない日は、本を読んだりドラマを見たりnoteを書いたり翌朝の早朝シフトに備えて早めに寝たりして、自分の時間を大切に過ごす。それくらいがきっと、ちょうどいい。
「毎日電話する」という距離感ではなくなったな、と思うけれど、そのことに寂しさはない。多分だけど「毎日電話する」より「一緒に暮らす」ほうが私たちは向いている。一緒に暮らして、同じ空間で別々のことをしながら話しかけて、時々膝や肩をシェアしながら同じテレビを観て、隣り合って、向かい合って、同じメシを食うくらいが、ちょうどいい。
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彼の中学の同級生や研究室の先輩、私や彼の友人の兄姉に結婚やプロポーズというようなことが増えてきて、そういう話をするたびに半分本気、半分冗談で「いつ(プロポーズを)してくれるのー」と言ってきた。
その度に「しばらくないなー」「なんで(私の名前)がプロポーズする予定はないのー」と、のらりくらり躱されてきて、それに対しては私はむくれてみせたり、「私はずっと前からいっぱいプロポーズしてるでしょー?」と答えてきたりした。
いわゆる結婚適齢期になってからそういう話をして、重いと言われたりのらりくらり躱されたりしたらただの地獄だから、今のうちから冗談混じりに伝えておく作戦。
だけど先日、友人の兄がプロポーズしたという話をしたとき、ふと彼が「(私の名前)は理想のプロポーズないの?」と聞いてきた。私は「別にない。指輪パッカンしてもらえたらそれでしあわせ」「だから、なるはやでよろしく。指輪のブランドも問わないよ」と答えた。
すると彼は「一応、理想あるんだけどなー」と、サラッと「100万くらいする指輪買ってプロポーズするのが理想だから社会人なってから3年くらい待ってね」と言った。
初耳でしかなかった。
即、「じゃあ待つ」と言った。
後日、この話をしたらのらりくらり躱されたけれど、100万くらいする指輪買ってプロポーズの部分は認めたから、彼が社会人になって2〜3年くらいはメンヘラにならずに待ってあげようと思う。
いろいろあって、先週私の研究(にも使う、声と顔の撮影)に協力してもらうため、彼に実験参加を頼んだら「(私の名前)のためだもんねー」と快く引き受けてくれたり。私の研究とはいえ、今回の撮影の主体者は院の先輩で、当日、私たちが恋人だとは知らない彼らがいる中で、彼は私を下の名前で呼んだり、研究のために着てもらったTシャツを脱ぐときに「ここでもいいんだけどな、(私の名前)だし。」と言ったり(下にシャツ着てたかららしい)、片付けがある私を「ここで待ってていいですか?」と聞いたり。関係を隠そうとしないどころか、あまりに堂々としすぎていて、恥ずかしくて、私はバシバシ叩いたり、じとっと睨んでみたりしたけれど、気づいてすらなかったり。
そんな風に、2人きりの時には私は基本デレているけれど、たまに私の想像を超えるデレを彼がさらっと落として行ったり、ほかの人の前では彼の方がデレていたりもする。(彼の場合、デレると言ってもキザなことをさらっと言う感じのデレ)
彼が甘えたいときには、私みたいに素直に甘えるわけではなく、ベタな「声聞きたくて」というような言葉があるわけでもなく、ただ夜の電話まで待たずに彼のタイミングで電話をかけてくることだったり。
酔っ払った時にスキンシップやキザな言葉が異常に増えたり。
そんな甘い一面は、私たちだけが知っていれば、いい。
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恋愛において「相性のよさ」とか「価値観が合う」とか「似ている」とか、そんなことが重視されがちだけど、
相性がいいって、価値観が合うって、似ているってなんだろうっていつも思う。
付き合った頃「合わなさそうだから、すぐ別れそう」とまで言われた私たちは、高校時代に付き合っていたカップルのほとんどが別れた中で今でも付き合っていて、
「お似合い」「もう夫婦じゃん」「結婚式呼んでな」と言われていて、相性いいとか価値観が合うとか似ているとか、当てはまっていたであろうあのカップルたちは別れていった。
その違いはいったいどこにあるんだろう。
多分、相性とか価値観とか似ているかとか、関係ない。
喧嘩しても素直に謝れたり、赦してもらうための行動が取れたり、謝られたら赦したり、別れ話をされても自分に非があるうちは「直すから」と、どんなに見苦しくても縋ったり、
そういうめんどうくさい泥臭いことを積み上げてもいいと思えること。
一緒にいてやるんだという覚悟があること。
ただただ相手と真っ直ぐに向き合うこと。
そういうところなんじゃないかと思う。
相手の全部を受け容れられなくても、
ずっと100%の好きでいられなくても、
ただゆるしあえたらいい。
だからこれからも、そんなTATOOのような2人でいよう。
未来の私たちも、
TATOOのような2人でいてね。
p.s.
明日は彼の誕生日。彼、おめでとう。
5回目・22歳の誕生日も祝えて嬉しい。
昨年を超える誕生日ケーキ、作ります。
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