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辻村ワールドは人生の教科書


あの世界の中で、彼らと一緒に過ごし、学んだこと、
貴方の言葉を浴びてこれからの人生を生きていけること。
それを想う時、前が向けます。

辻村作品は、私の名刺代わりの22冊になりました。


はじめまして、辻村深月さん。
大ファンの、翠 swi. です。




私はリアルタイムで追いきれない巻数のシリーズものやリンクものにはあまり手を出さないという傾向があった。(たとえば、東野圭吾さんの加賀恭一郎シリーズやガリレオシリーズ。)読み始めると一気にお金が飛んでいくことが目に見えているし、シリーズ最新作に追いつくまではその作家さんのそのシリーズだけしか読まなくなって、他の本を読みづらくなると思っていたからだ。

辻村さんもそれは例外ではなくて。

『かがみの弧城』以前から彼女のことは存じ上げていて、はじめて読んだ作品は中学生の頃に読んだ『ツナグ』だった。

その次は大学生になってから読んだ『かがみの孤城』と『ツナグ 想い人の心得』、昨秋読んだ『傲慢と善良』、昨年末読んだ『凍りのくじら』、そして今年のはじめに読んだ『噛み合わない過去と、ある過去について』。

そうやって読んできたのはほとんどが、リンク読みで有名な彼女の作品の、リンク外作品ばかりだった。

だけど、読み終わったどの本にも私に必要な言葉が並んでいて、もっと彼女の作品を読みたいと素直に思った。気づいたときには本屋さんで自然と『スロウハイツの神様』に手が伸びていた。


「いろいろあるだろうけど、俺は献身とか見返りを求めない無償の愛ってやつは愛だとは思わないな。相手のためを思って引くっていうのは、自己満足の欺瞞に見える」
「じゃ、愛ってのはなんだと思うわけ?」
「愛は、イコール執着だよ。その相手にきちんと執着することだ」

スロウハイツの神様<上>


スロウハイツ上巻のわりと最初の方にあるこの言葉を読んだ瞬間に“きっと、辻村作品はわたしの宝物になる”と直感した。

登場人物の口から飛び出す一般論とは少しちがう彼らなりの哲学。自分は周りから浮いている。それが望ましいと頭ではわかっていても"普通"にはなれない。そう悩んでいる読者たちに「君は君を信じていて良いんだよ」と手を差し伸べてくれるかのような言葉の数々。その瞬間、小説の中の彼らは“登場人物”ではなく“友達”になった。


スロウハイツは<上>がちょっとスローだけど<下>に入った瞬間、加速して手が止まらなくなる、なんて聞いていたけれど、私は<上>から虜になった。ページを捲る手が止まらなくて、<下>はさらに加速した。そして訪れた最終章はこれまでの景色が全てひっくり返るかのような鮮やかな伏線回収で幕を閉じた。


ミステリ作家と括られることも多く、あらすじもミステリ風に描かれることが多い辻村さんの作品は正直、もっと”ミステリ”かと思っていた。いわゆる殺人事件が起きて、人が死んだり、殺されたり、するような。

一方で、辻村さんの作品では基本的に人が死なない。いつまで経っても人が死ぬ気配のないことにはじめは戸惑ったのも事実だ。それでも、いわゆるミステリを期待していた読者に”あれ?なんだか物足りないな”なんて言わせない。

辻村さんの作品は章ごとに視点が変わるものが多い。それゆえある意味人間の錯覚ともいえる、片方が持つ思い込みやフィルター、その人の思考の癖が自然と”伏線”となって、もう片方の立場から事象を眺めたとき、”伏線回収”された気分になる。誰もが”自分が主人公”な人生を送る私たちだからこそ起こるミステリ。それはきっと現実世界でも経験があるはずのことで、これからも起こりうることなのだ、と辻村ミステリは教えてくれる。



読後はしばらく放心状態だった。

”出会ってしまった””見つけた”、と思った。


辻村ワールドは私に大切なことを教えてくれるだろう、という直感があった。スロウハイツを読み終えた次の日にスロウハイツの作中作である『V.T.R』を、読み終わってすぐにまた『子どもたちは夜と遊ぶ』を買いに本屋へ走ったのはいうまでもない。



そこから夢中になって読み漁った。


孤独を作り出しているのは自分かもしれない、と気付かされる『凍りのくじら』、少し大人の青春が描かれた『スロウハイツの神様』、より一層コーキとスロウハイツが好きになる『V.T.R』、切ない愛が美しい『子どもたちは夜と遊ぶ』、正義と罰について考えさせられる『ぼくのメジャースプーン』、”こんな青春を送りたかった…!”『名前探しの放課後』、登場人物全員を愛せずにはいられなくなる『冷たい校舎の時は止まる』、彼らがあの後も生き続けていると伝えてくれる『ロードムービー』『光待つ場所へ』、母娘ミステリの最骨頂『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』、”またここに何度でも帰ってきたくなる”『島はぼくらと』、”家族小説”に惹かれなくても好きになる『家族シアター』、

といった光が差し込むような温かな感動で心震える白辻村も、

『盲目的な恋と友情』『闇祓』『太陽の坐る場所』といった心の闇を覗かれたようで背筋がヒヤッとする気づきを与えてくる黒辻村も、

そこで登場人物たちと一緒に過ごし、得た学びは、

ぜんぶぜんぶ、宝物。


昨年、私の人生を彩ったベスト作家は原田マハさんだけど、今年は?と聞かれたら間違いなく辻村深月さんの名を挙げる。

“ああ、なんでもっと早く手に取らなかったんだろう。中高生の時に出会えていたら人生変わったのに。”

“せめて『かがみの孤城』をリアルタイムで(文庫化を待たずに)読んでいれば…!”

と何度も後悔した。


だけど。だから。

ある時は ”助けて” ”私の心を救って”と叫ぶように、
ある時は ”久しぶり!元気だった?”と故郷に顔を出すように、
私はまた何度だってここに帰ってくるだろう。


この作家の次の作品も読んでいたい。
”彼ら”がどのような人生を歩むのかを知りたい。


彼女の物語を読むことで生まれるその感情が、死を望む心を生に傾かせ、絶望のなかにほんの少しの希望を見出させる。


彼女の作品がある限り、私は生きていける。





私の部屋の本棚の、辻村コーナー。


いつ読むか、タイミングを完全に計りかねている最新作。
読みたいような、読んだらいつか終わりが来る、そのことが寂しいような。
そんな気持ちでまだ寝かせてあります。






p.s.


以下、私が感銘を受けた辻村さんの言葉たちです。

本当はnoteの中に散りばめたかったのですが、多すぎてできませんでした。

このnoteを公開するにあたって、引用だらけのこのコーナーを設けるか否か最後まで迷いましたが、私の記録用にも残すことにしました。

きっと、実際の言葉に触れることで読書欲がくすぐられる人もいるはず。

一人でも多くの人が、辻村さんと出会えますように。




「ねえ、ティー。一人ぼっちにならないで。アタシはあなたを愛してる。」

V.T.R

「なりたいものになるためには、きちんと生きていかなければならない」

子どもたちは夜と遊ぶ<下>

「君が生きているというそれだけで、人生を投げずに、生きることに手を抜かずに済む人間が、この世の中のどこかにいるんだよ。不幸にならないで」

子どもたちは夜と遊ぶ<下>

ふみちゃんがクラスの他の子たちを許してるように見えること。それは多分、ふみちゃんがいる場所がそんなところにないからだった。

ぼくのメジャースプーン

「どうしようもない悪というものは、いつまでも悪のままです。あきらめて、割り切ることができないなら、罰を与えたいなんて思うべきではありません」

ぼくのメジャースプーン

「彼によれば、どうしようもなく最低な犯人に馬鹿にされたという事実は、自分のために一生懸命になった人間がいること、自分がそれぐらい誰かにとってのかけがえのない存在であることを思い出すことでしか消せないんだそうです」

ぼくのメジャースプーン

「被害者というのは、仕返しをして手を出してしまえば、その時点から簡単に加害者の側に転じてしまうことができるんです。…」
「でも、最初に手を出された方は、何も悪くないのに急に何かされたわけだから、悪いのはずっと向こうなんじゃないですか」
「相手に付け入る隙を与えてやることなんかないということですよ」
「隙、ですか」
「はい。相手に仕返しとはいえ何か危害を加えてしまった時点で、それはその人の負けです。…
 自分は何も悪くないのに、正しいのに、という言い分は強い力を持つんです。」

ぼくのメジャースプーン

「責任を感じるから、自分のためにその人間が必要だから、その人が悲しいことが嫌だから。そうやって『自分のため』の気持ちで結びつき、相手に執着する。その気持ちを、人はそれでも愛と呼ぶんです」

ぼくのメジャースプーン

願いと意志は、似たようでいて、けれど決定的に違う。

名前探しの放課後<上>

「あすなちゃんが痛みを自覚するよりも早くそれを察知して走り出してくれた人がいたから、アスナちゃんは蜂が痛かったことを覚えてないんだよ。…」
「そんないいものなのかどうかはわからないけど」
「間違いなくいいものだよ。いいな。私も将来子どもできたら、そういうふうに痛いことも全部なくなる家にしたい」

名前探しの放課後<上>

「逃げることも、勇気がいったんじゃないですか」

名前探しの放課後<下>

環境の違いから来る常識の違いに罪はない。

冷たい校舎の時は止まる<上>

物事をマイナス方向にばっかり考えたり被害妄想が強い人って、自分にすごく厳しい人なんだって
自分が傷ついても、他人を庇ってしまって自分の中にどうしても原因を探す。それって、すごくエネルギーが要るし。そういう人はね、本当はすごく優しい人なんだって。

冷たい校舎の時は止まる<上>

謝ることで、深月は責任を自分から放棄してしまいたいのだ。反省しているという姿勢を押し通すことで相手はそれ以上深月のことを責める術を失う。深月は自分でそれを知ってしまっている。それはとてもずるい逃げ道だった。

冷たい校舎の時は止まる<下>

「今までそうだったからって、今度もそうだとは限らないよ」

ロードムービー『道の先』

「痛みを、一緒になって受けとめる覚悟。それがあるだけで、優しさの形なないよねいくらでも変わるんだ。」

ロードムービー『道の先』

「ここじゃない、どこか遠くへ行きたい。だけど、それがどこにもないこと。千晶が今そうであるように、僕も昔、それを知ってた。だけど、大丈夫なんだ。今、どれだけおかしくても、そのうちちゃんとうまくいく。気づいた頃には、知らないうちに望んでいた”遠く”を自分が手にできたことを知る、そんな時が来る。それまでは、どれだけめちゃくちゃだって悲しくたっていいんだ。いつか、どこか正しい場所を見つけて、千晶は平気になる」

ロードムービー『道の先』

「形を変えても、友達とはずっと続いていくことができる。___俺は、それも知ってるよ」

ロードムービー『道の先』

「そう?別にいいんじゃない?同じ一人の子がいい子でも悪い子でもアリだよ、アリ。」

ロードムービー『トーキョー語り』

「忘れてしまった」ことを、嘆かなくたっていい。もしも忘れたなら、思い出せばいい。そうして「思い出せた」ことを、喜べばいい。記憶は、過去は、いつだって思いのほか、すぐそばにある。

ロードムービー『解説 吉田大助(ライター)』

「俺にはやりたいことがあるし、それを勝手に進める。だから無責任なことを言った後の屋代に対する責任を取れない。…
俺の勝手な思想とか目標を押し付けたくないんだ。絵が本人にとってどんな行為なのかは人それぞれだと思う」

光待つ場所へ『しあわせのこみち』

「人の悲しみや怒りに同調するのは、多分簡単にできる。でもね、相手が幸せになったとき、それを心から喜ぶのはすごく難しい。__関係が浅い友人同士なら、きっと何でもないことだけど、関係が深くなればなるほどね。」

光待つ場所へ『しあわせのこみち』

「じゃあ、いいことでも嫌なことでも、どっちでも、よく覚えておくといいよ」
「それがどんなことでも、いつか、思い出せる日が絶対来るから」

『冷たい光の通学路__Ⅱ』

普通、普通、普通。
その枠を外れる異常。あなたの家は、異常である。
だけど、その普通に正解はあるのか。それはあなたの願望が反映されていないだろうか。普通じゃない、と断じられたチエミに教えたかった。どの普通にも、どの娘にも、正解はない。

ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。

その人の栄誉は獲得したその人のものだけなのだ

島はぼくらと

大事なのは、診察や看護だけではない。「大丈夫」と誰かに言ってもらうことなのだ。

島はぼくらと

”いってらっしゃい”は、言いっぱなしの挨拶じゃない。必ず、言葉が返ってくる。

島はぼくらと

好きなことを続けるためには、好きじゃないこともたくさんやっといた方がいいよ。たとえ、それが無駄に思えるにしろ。いずれ、感謝する時もくるかもしれないから。

島はぼくらと

効力は一時的で、しかもまやかしかもしれない。けれど、まやかしではいけない道理がどこにある。大人が作り出したたくさんのまやかしに支えられて、子供はどうせ大人になるのだ。

家族シアター『タイムカプセルの八年』

つらくなかったわけがない。だからきっと、自分の居場所を別に作った。狭い教室や目に見える場所だけをすべてにしなかった。だから、あんなに強いのだ。

『1992年の秋空』

俺は大事にされ、愛され、いろんな人に成長を見たいと、それが叶わないなら覚えていてほしいと、祈られ、祝福されながら、この家の中心にいた。

『タマシイム・マシンの永遠』

ズレと一致が続くから、関係が続く。ずっとズレまくったり、ずっと一致しまくったりすると、おそらく、つまらなくなる。これについてはどうだろう、が楽しいのだ。

『解説 武田砂鉄(ライター)』







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