もう涙は滲まない【上京0週目】
東京、って小さいはずなのに、どうして「関西」より広く感じるんだろう。関西住み、と言うと身バレしそうなのに、どう考えても関西より狭い東京という単位は身バレしなさそうで、こういう場で「東京暮らしです」ということに抵抗がない。
3月25日(月)
母と大量の段ボールを捨てに行くと、管理人さんがいた。
母と引っ越しの挨拶をすると、「私、この日とこの日はいつからいつまでいますから、何かあったら何でもおっしゃってくださいね。」と言ってくれた。マダム、という言葉の似合う、とてもいい人で、この街で生きていく自信がまた1つ芽生えた。
3月26日(火)
転入届を出すために役所に行かなければならなかった。その前にまずはマイナンバーで転出届を出す必要があって、そのためにパスワードが必要だったのだけれど、そのメモを実家に置いてきたので、まずは電話で母に連絡。そして、マイナアプリにスマホの容量を食われることに腹を立てながら【マイナポータル ぴったりサービス】に登録し、転出届を提出した。そして、少しして【電子申請データ受領】と来たので、役所へ向かった。
その前にまだ食べていなかった朝ごはんを食べに、コメダ珈琲の戸を叩いた。11:00までのモーニングにはギリギリだったけれど、なんとか滑り込むことができて、バタートーストと茹で卵を食べ、ミルク珈琲を飲んだ。
コメダ珈琲は、家族でディズニーランドへ行った時にはじめてモーニングを食べた場所だった。noteを書きながら、ひとりの寂しさが襲ってきてまた静かに涙を流した。
私の家から役所までは、電車を2本乗る必要がある。しかも、どちらも1駅ずつだけで、一旦進んでまた戻るルート。直線距離なら近いはずなのに、交通手段がないし、徒歩は無理。まじで時間とお金がもったいない。
役所へ着くとすぐに案内された。
けれど、私が受け取ったのは【(転出届の)受領申請】で、それは転出の処理が完了したということではなかったらしい。
「でもせっかくこんなに雨も降ってる中、来てくれたので、向こう(私の地元の役所)に確認してみますね!自治体によっては、前倒しして手続きやってくれるところもあるので!」
と担当者の人は言ってくれた。名札に【(私が暮らしている街)推し】と書いてある、"お父さん" 感ある優しい方だった。問い合わせてみると今すぐ処理してくれるとのことだったので、20分ほど待機して転出転入の処理を終わらせた。帰り際にお礼を言いたかったけれど、他の方の対応中だったので静かに頭を下げて役所をあとにした。
そのまま帰ってもよかったはずなのに、いつのまにか渋谷に足を運んでいた。菊池風磨のポスターが大盛堂書店とタワレコで掲載されていると聞いたから妹に送ってあげようと思ったのだけど、駅から少し歩いたところで「そういえば風磨のポスター、27日からか。」と思い出してすぐに引き返した。
その後は池袋のニトリへ食器を買いに行った。1時間くらい食器コーナーでどのお皿にするか迷って、結局、安くて軽いカル:エクレというシリーズの、小鉢とオーバルと平皿を買った。他にも重くなりすぎないことだけは意識しつつ、ハシゴして無印でボウルなども買ったし、カメラを見にビッグカメラへ行ったりもした。
その道中、クーポンアプリのマーケティングリサーチに協力してほしいと声をかけられ、協力した。2〜3分と言われたのに15分は取られて時間が無駄になったから、今後は断ろうと思った。
最寄駅について、一旦すべての荷物を家に置いて、徒歩10分ちょいのイオンまで夜ごはんの買い出しへ向かった。
3月27日(水)
ゼミの友人が美術館巡りに来るということで、上野で待ち合わせ。友人は日帰りで彼氏と来るので、私の家には泊まらないし、私はローテーブルが来るので、お昼ご飯だけ一緒に食べることにした。友人の彼氏はゼミの後輩で私とも親しいので、3人で。
寂しかった中で友人と会えるのが嬉しくて、12:00すぎに集合なのに11:40には上野に到着していた。
ただ、私は靴をスニーカーしか持ってきていなかった。そのスニーカーも前日の大雨で汚くなってしまっておしゃれ着には絶望的に合わないので、atreのOriental Trafficでどうせ要るだろう、とパンプスを2足買った。ヒール低めでつま先がとんがっている紺色と、ヒールのある白ベージュローファー。
その後、電話で待ち合わせをしつつ、上野駅の公園口を目指して20分近く迷ったものの、何とか2人と合流。次の目的地が六本木とのことで、六本木にランチを食べに行った。
最後に会ってからまだ1週間しか経っていないのに、懐かしくて、「みんなは元気?」なんて聞いてしまった。安心して、帰り際はまた寂しくて、涙が溢れそうになって、何度もブンブンと大きく手を振った。
だけど、確実に、涙が滲む回数は減っている。
ローテーブルに備えて家に帰っていると、JRに乗っていたタイミングで配達員から電話がかかってきた。ローテーブルは時間指定ができず、前日の連絡によると15:00〜18:00なのに、早く持ってきた。
ああ、再配達か。と思っていると、3日後までできないと言う。そんなわけあるか、と、とりあえず家へ帰るも、ほんとうに3日後からしか指定できないらしい。その指定のためには不在票に書いてあった電話番号に電話をかける必要があったけれど、電話をしても繋がらなかった。
16:00前から1時間、かけ続けても繋がらない電話にイライラが募った。そもそも、大型家具の時間指定ができないって、おかしくないか?宅配ボックスにも入らない在宅が強制されるものが15:00〜18:00といわれたら、身動き取れないなんて不自由すぎるし、それをするなら再配達をその日中か翌日にはしてくれないと困る。
約1時間後、配達員の人に「不在票の番号つながらないんですけど。」と電話をすると、自分から連絡してみます、と言ってくれたけれど、なかなか来なくて、こちらが不在票の番号に電話をしている間に違う番号からかかってきた。もちろん、電話中なのだから取れるわけがなくて、すぐに切ってその番号にかけ直したけれど、折り返すと出ない。
やっと繋がった先で4/1(月)にしか届けられないと言われた。勝手に早く持ってきておいて、再配達も3日後からで、19:00-21:00もなくて、平日は無理だとなるとあと1週間床メシをしてろということか?そんなの耐えられるわけない。めちゃくちゃキレた。キレたといえど、私が人に向かって暴言を吐けるわけもなく、ただただ論理的な反抗を続けたけれど、電話の向こうのおばさんは無愛想に、なぜかキレ気味に「モウシワケゴザイマセンー」と繰り返すだけ。腹が立って一旦切った。
せっかく1人に慣れてきたというのに、また涙が溢れた。情けなくて、腹が立って、声をあげて泣いた。もう絶対、ロボットとドローンによる配達を実現しようと思った。
母にギブアップを言い渡すと「ソファと一緒に持ってくるように頼み直したら?」とLINEがきた。そういえば、ソファは3/31に届くようにしているんだった。たしかに、と思った。
またさらに何度電話をかけたかわからないけれど、その先で繋がった担当の人は若い女性の方だった。とても丁寧で優しくて、こちらの事情を汲み取ってくれて、「ソファと一緒、できると思います。念のため、確認して折り返します」と約束してくれた。そして、あまり時間が立たないうちに折り返してくれて、もう1往復電話したのち、「31日にテーブルとソファ、別々になるかもしれませんが、同じ日中にお届けしますね」と約束してくれた。今度は安堵と感謝の涙が溢れた。「ありがとうございます」と夢中で何度もお礼を言った。
この間、たまたま連絡が来た高校時代の先輩も私の再配達の愚痴をDMで聴き続けてくれたし、母も電話をかけてくれた。
以前、翠ちゃんの周りにいる人はみんな優しい人が多いですね、と言ってくださった方がいた。運がいいと言われるけれど、私は最初から運がいいわけではない。いつも一度はどん底に落ちて「なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ」と思うようなことが起きる。だけど、最後にはどうにかなるし、そういう時には今回のように誰かが助けてくれていたりするのだ。
すっかり心が晴れやかになった私は、池袋へ赴いた。
母が提案してくれたクローゼットの収納アイテムを無印で買った。カメラがない生活に耐えられなくて、自分のが欲しくてビッグカメラに行ったけれど、Nikon Zfcにするか実家で使ってきたSonyα6400にするか、決めきれなくて結局1時間くらいカメラコーナーで悩んで帰ってきた。
3月28日(木)
朝起きてテレビをつけると、新生活特集と題して新生活のために何を買ったか?という取材が渋谷の巨大IKEAとNITORIで行われているところだった。(ちなみにIKEAの一番人気は、かわいい柄のフリーザーバッグらしい。)それを見ながら、そうか、と思う。
これまで同じ日本なはずなのに、テレビで見る渋谷や原宿や池袋なんかは全部、「テレビの中の世界」だと思っていた。だけどもう今は、私の現実で、何十分か電車に揺られたら行ける場所に、なんなら定期券内になった。テレビを見て「いいな」「ここ行きたい」と思った場所に、すぐいける。その自由を、それを発揮するための場所での暮らしを、私は手に入れたのだ。
実家から送られてくる私の荷物を開封し、適度に片付けたら約束の時間になった。この日は、もうすぐ会期が終わる印象派展に、高校の先輩と行った。上京後、2度目2日連続の上野。
水泳部でお世話になった先輩は一浪したので、本来1学年上だけど、同い年。旧帝大志望だったけれどダメで、ちがうキャンパスでちがう学部だけど私と同じ大学だった。そして、24卒として上京してきたところまで、一緒。ほんとうに縁のある人。
私のことをあだ名で呼んでくれる先輩は、元々かっこいい人だったけれど、コンタクトになって、より垢抜けてハンサムになっていた。お昼ご飯に蕎麦を食べて、上野のヨドバシカメラでカメラを買った。結局、レンズの多さ・お得さ・安さから、Sonyα6400にした。
ずっと行きたかった印象派展は写真撮影禁止だったけれど、だからこそ作品に集中して向き合えたと思う。日本の美術館で初めてこんなに人がいるの見た!と言うくらい人がいて、前に進むのに無限に時間がかかる中で、先輩とアートについて自分の解釈や「この絵好きだわ」をシェアしながら鑑賞するのは楽しかった。15:00前に入場したのに、閉館時間ギリギリでも見終わっていなくて、グッズを買いたくて、一応ちゃんと全ての作品をこの目で見たけれど、最後の数枚は流し見になってしまった。その後悔も含め、この展覧会は好きな作品が多かったので、図録を迷わず購入した。
美術館終わりに、上野公園でお花見用に出ていた屋台を散策した。その中に、ビールを無料配布しているテントがあって、先輩と並んで1缶ずつ手に入れた。夕飯の時に飲んだらすごく美味しくて、製品化してほしいな、なんて思いながらアンケートに答えると、すでに製品として売られているもののようだった。以来、スーパーを見ると必ずあるかどうかチェックしている。
3月29日(金)
次の日から彼がくるので、午前中は片付けやお掃除に励み、お昼から再び渋谷へ行った。この日の目的は、髪を限りなく黒に近い色に染めること。学割が使えるのはこの日を入れてあと3日。大抵、ホットペッパービューティーのクーポンはカラー+カットのメニューに対して用意されているので、ついでにちょっとだけ髪も切ってもらうことにした。
15:00〜美容院で、30分以上前に渋谷に到着した私は、今度こそ、と菊池風磨の雑誌ポスターを大盛堂書店と渋谷のタワレコに撮りに行った。大盛堂の方は小さいものが1枚飾ってあるだけだったけれど、渋谷のタワレコには雑誌ポスターのみならず、SexyZoneとして最後のシングルの宣伝なんかもあって、見落とさぬようにチェックしながら、見つけたセクゾは妹にLINEですぐに送信した。美容院は可もなく不可もなく、なところだった。
この時の渋谷タワレコはめちゃくちゃ人が多くて、警備の人までいるくらいだった。「普通に入る分には入ってくださって全然大丈夫なんで」と言われながら入ったけれど、あとからその人の多さはビヨンセのゲリラサイン会によるものだったと知った。ビヨンセが特別好きなわけではないけれど、私も並んでおけばよかった。こういう、すごいことが自然と起こるのが東京という街なんだな。
3月30日(土)
彼が東京にきてくれた。
金曜夜発の夜行バスで、朝5:50頃に池袋に着くというので、5:00起きでメイクもせずにかろうじてコンタクトだけ嵌めて迎えに行った。
結構(最寄駅から家までの)道、ややこしいね、という彼に、嵐のポスターのところで曲がるんだよ、なんて教えながら、ファミマで歯ブラシを買いながら、家へ帰った。7:00から営業開始なはずの団子屋さんは、6:30頃にはもう開いていて、団子はないけれどおにぎりを売っていた。
帰ってきた私たちはすぐ二度寝した。再び8:00頃に起き、朝食のミネストローネを食べ、支度をし、お花見のために家を出た。
これまでと違って連泊で、帰りの時間を気にする必要もない。だからほんとうは3〜4箇所くらいまわりたかったのだけれど、隅田公園に行くと驚くほど桜が咲いていなかった。スカイツリーと桜のツーショを狙ったけれど、唯一 咲いていた桜の木は川側だったから撮れず仕舞いだった。
蔵前〜墨田あたりを彷徨いた後は、小石川後楽園へ。こちらは一応それっぽい桜が撮れたけれど、撮れたところだけ、という感じで、まだまだ本領発揮していないようだった。まあ確かに、木曜時点で「東京は明日、開花です」と言いながら恐ろしいくらい上野の桜が咲いていなかったのだから、当然の結果だ。この日は気温が25℃を超えたりもしていて、半袖を着ても夏か?というくらい暑かったけれど、今暑くても意味がない。3日くらい前にその暑さを発揮してくれていたら、開花したかもしれないけれど。
帰りはまたまた池袋のニトリへ。彼の分の食器を買ったり、カルディでワインを買ったりして家へ帰り、彼リクエストのカルボナーラを作った。
3月31日(日)
ローテーブルとソファが来る日だった。
前日の連絡で15:00〜18:00頃とわかっていたから、それまでの恐ろしく中途半端な時間を使ってどこへ行くかに迷っていたら出だしが遅くなり、六本木のマティス展に行く予定が、池袋になった。
通勤用のスニーカーが欲しくてABC MARTを2〜3軒ハシゴした。欲しかったスニーカーが「こっちの店舗ならありますよ」と言われたその店舗が近所であることは大都市東京のメリットだけど、近所すぎてどの店舗がその名前なのかわからないのはデメリットだ。
行きたかったパンケーキのお店が行列すぎて、はじめてサンシャインへ行った。チェーン店ばかりかもしれないけれど、関西にはない店だとチェーン店ということがわからないから、とても新鮮だった。ただし、値段は高い。
はじめて西友へ行った。
イオンよりは安かったかもしれないけれど、妹に頼まれたマッサマンカレーは売り切れだった。
15:00ちょっと過ぎに家へ戻ったけれど、そういう日に限って15:00〜18:00のうちの、15:00寄りではなく、18:00寄りに届くものだ。18:00前に届いた。玄関先納入で部屋の中まで運んでくれなかったから、彼がいてくれてよかった。なんなら再配達になってよかった。
一緒に部屋の中に運んで、ソファを組み立てて、ローテーブルを配置して、ダンボールを片付け、一緒に捨てに行った。そして私は買い忘れたゴマを買いに行って夕飯を作り、彼はインターン先の仕事をした。
妹から命じられていた20:00〜のSexyZoneのラストライブになんとか間に合って、見ながら食べた。妹が一日中、実家のテレビを独占して見ていたライブDVDや妹が歌っていたときに聴いていただけだけど、ラストライブで歌われた楽曲のすべてを私は知っていた。曲自体もいいものをもらっているから、4人のままなら嵐以来の天下を取れたんじゃないかな、なんて思った。
4月1日(月):入社式
10:00出社のために、6:00に起きはじめた。
のーんびり準備して、朝ごはんを用意して、彼と一緒に家を出た。私は入社式へ、彼は東京駅へ。本領発揮した通勤電車で押し潰されながら、山手線渋谷まで一緒だった。
また2週間後だね。
・
あれから1週間。
1日は長いけれど、
1週間はあっという間だった。
東京へきて2週間。
GReeeeN の『遥か』を聴いても、
もう涙は滲まない。
東京は私の日常になりつつある。
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