近藤譲と言語にまつわる興味
前回、近藤譲に関する抄説を載せた折、思ったよりも反響があり、やはり彼がここ数年で飛躍的に評価されているのだなと改めて実感した。今日は前回書き損ねていた、近藤譲の作品と言語にまつわる話を少しだけしたい。
それというのも、近藤譲作品に対する近藤譲自身の態度というのは時折、どうしてそこまでとも思えるほど冷淡な対応をしているわけで、その内心を探るではないが、これはあくまで個人的な印象として、近藤譲というのは一種の「信用ならない語り手」(または「信頼できない語り手」)でもあろうかとさえ