グレン・グールドのディスコグラフィから。

何か誰かのディスコグラフィにフューチャーしたコレクションを作るというものは、もちろんその対象を誰にするかで難易度に天地の差が出るとはいえ、その蒐集に勤しむ日々は何にも増して充実感で満たされてならない。今様な表現に徹するのであればそれが「推し活」と捉えれば概ねそうなのであろう。
例えばそれが帝王のそれであれば、初期はEMI、そこからDECCA、グラモフォン、晩年はSONYの映像と至るわけだけれど、こうした多岐に渡って異なるレーベル間を渡り歩いたような人たちは総じていわゆる「大全集」の製作は困難を極める。それはもちろん複合的に入り組んだ権利的な問題がその大部分を占めているわけだけれど、それ以上に、それほどまでに手広くやっていると、大概、そのディスコグラフィが膨大であることからそれらを出す側も出す側で整理編集する手間も尋常ではない。当然ではあるけれど改めて大全集を出すにしてもボックスセットという形であるにしても、こうした「改めて出す」過程において、ただそのまま過去の既存の録音をそのまんまトラックリストに集成させているわけではない。それはただ単に素人の趣味人の道楽であるわけで、それをプロの仕事と言い切ってしまうのであれば大きく大きく異を唱えざるを得ない。
さて最近物故した世界ノも同様で、初期TELARC、EMI、PHILIPS、グラモフォン、SONY、DECCAとカラヤン以上に手広くやっていたわけだから、その権利関係の複雑さとディスコグラフィの多さには圧倒される。またとはいえブルーノ・ワルターやオットー・クレンペラーのように多少のレーベル間の行き来はあれどおおむね一社のレーベルに集約している場合は多少なりその集めやすさの敷居はずっと下がる。
例えばサイモン・ラトルであればそのディスコグラフィの大半はEMIであるわけであるし、それらもさらに内内でバーミンガム市響時代とベルリンフィル時代に大別できるわけで、またこれらだってそれにフューチャーしたボックスがそれぞれ出ている。ともすれば残りはEMI時代の本当にごく初期のロンドン・シンフォニエッタやフィルハーモニア管弦楽団、後期のウィーンフィルからのものや、DECCA、CHANDOSからの単発品、今日のグラモフォンやLSO自主制作、バイエルン放送響自主制作、ベルリンフィル自主制作からのものにさらに選別が可能だ。その他の細々とした部分は省くが、こうしたこの大まかでもコレクションの完成までのロードマップが見えてくるような整理整頓及び情報収集の習慣は実に重要だ。

かくしてグレン・グールドの場合はもっとシンプルだ。何せ彼の (少なくともオッフィシャルな)ディスコグラフィの全てはSONYから出ている上、過去何種類もの形で「グレン・グールド大全集」が出ているのだから、言ってしまえばこの大全集を買った方が圧倒的に安いし、すぐにコレクションは完了する。
とはいえ、それではどうにもつまらない。もちろん、彼のディスコグラフィには魅力的な道筋がしっかりあるわけだけれども、それでいえば例えば国内でプレスされた帯付きのもので揃えるとか、アナログから出たCBSのUSプレスのみで揃っているとか、そういったコレクションの中にもさらにテーマを伴った一種のポールが一本でも貫かれていると、実にコレクションとしての見てくれに収まらない内面的な質に磨きがかかって見ていて圧倒させてくれるわけである。無論、それは誰が見てとか誰に見せてとかではない。自分が見ようと誰にも見せまいと、コレクションというものはそれがコレクトされ続ける過程で堆積する一種の地層、ミルフィーユのグラデーションの妙を楽しむものであるのだから、コレクションの歴史は言うなればオーナーの審美眼の歴史を見るようなものである。もちろん大全集ボックスをコけ降ろしたい気などさらさらない。ボックスセットだって例えばEMIから出ているICONシリーズが全く順番通りにセレクトされて、しかもその1枚1枚の内容についてオーナーが実に事細かに丁重に語っていようものなら、まさしく敬服脱帽その限りであるわけで、やはり核を伴ったコレクションというものとただものを集めているのとではその質というか本質が随分と異なってくるわけで、ただ一方でそう言った何が中核であるか何ていうものは往々にして分かるものではないのだから、やはりオーナーが、オーナーの人生を紐解く中で培われていくその中核がふとした拍子から見出せた時の悦びと言ったら、言葉で言い表しようのないものがある。

グレン・グールドのディスコグラフィは、少なくともオッフィシャルなものはもちろんSONYから出たものが多く存在するが、一方でアンオッフィシャルな、ちょっと言葉を選ばずに言えば、出所不明の得体の知れないものを含めて言えばさらにもう少しそれが拡大する。
知っての通り、グールドは途中からライヴ録音を断ち切ってスタディオ録音一本に専念したりテレビに出たり著作を出したりと、少なくとも一般的なライヴ主体のアーティスト像とは異なるアーティストとしての立ち振る舞いを開拓したその一人であるわけだけれども、そういう意味で彼のライヴ録音は一種の奇特な地位を築いたとも言い換えることができる。例えば最も有名なもの、それもオッフィシャルなもので言えばブラームスのピアノ協奏曲第1番でしょう。演奏の直前にバーンスタインからの高名な敗北宣言からスタートするもので、さらに言えばその後にボーナストラックとしてグールドによるラジオインタビューでの高らかな勝利宣言まで含んでいるのだから、何とも愉快だ。他で言えば1959年のザルツブルク音楽祭でのゴルトベルクも、有名な1955年と1981年の2つのゴルトベルクに次いで語られる第3のゴルトベルクとしても知られている。しかしもっぱらそちらに注目が行きがちであるけれど同じライヴで演奏されたスヴェーリンク、モーツァルト、シェーンベルクの小品も実に素晴らしい。


補足していうと、グールドのディスコグラフィの中でもシェーンベルクの作品は実に特別な地位にある。その背景は1960年代から1970年代にかけてCBSで執り行われたアーノルド・シェーンベルク大全集の制作にほかならない。この大全集にはグールドのほか、ジュリアード弦楽四重奏団やピエール・ブーレーズ、ロバート・クラフトといった当時CBSに所属していたあらゆる演奏家たちが動員されたもので、グールドもいわばその一翼としてピアノ曲の全てと歌曲の伴奏を担当した。そのため、グールドのディスコグラフィの中でもシェーンベルクのピアノ曲とピアノ伴奏付き歌曲は完全にコンプリートしている。

アンオッフィシャルなグールドのディスコグラフィで言えばやはりピーター・アドラーの指揮、ボルチモア交響楽団と演奏した1961年ライヴ録音のブラームスのピアノ協奏曲第1番がまず思い浮かぶ。レーベルは知らない。どうにも骨董のようなナリをしていて、カップリングにリヒャルト・シュトラウスのブルレスケが収録されていた。もっともこの録音はもはやグールドを聴くため以外のものでしかない。1961年は有名な1955年のゴルトベルクと1959年のザルツブルクのゴルトベルクを出し、そして何よりこれら数種のゴルトベルクに次いで有名なブラームスの間奏曲集を出した時期に相応する。またさらにその翌年には上述した有名なバーンスタインとの協奏曲第1番が執り行われるわけであるから、そういう意味で言えばもちろんCBS側との政治的なレパートリー選択の議論などがあったにせよ、非常にブラームスに打ち込んでいた時期の録音であるとも言えるわけで、その独奏場面での充実度は計り知れない。オーケストラ全体の取りまとめのなさは本録音が何故、アンオッフィシャルなものであったのかを察するに十分であるけれど、それが故にグールドの存在感が異常なまでに逆光反射してならないわけだ。

ところでグールドのブラームスの間奏曲集は実にゴルトベルクのような熱狂的な権勢を誇ったわけではないけれど、やはりこのタイトルが好きな人はかなりの数いる。はっきり言って、1955年と1981年の2つのゴルトベルクに次いで人気なタイトルと言っても差し支えない。何よりこのタイトルが好きな人たちの多くがこれらを推せど多くを語らないところが良い。全くもって慎ましい態度を伴ってこのタイトルを推しているその姿勢は何に対しても見習いたいところだ。


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