シベリウスのヴァイオリン協奏曲から始まる。|HIP運動について


シベリウスのヴァイオリン協奏曲から始まる。


クラシック音楽の文章を少しでも読もうとした人であれば誰であれ吉田秀和という人がいて、その文章がまた一定の権勢の評価の元、いわば文芸評論の神様としての小林秀雄に対峙する音楽評論の神様としての吉田秀和という構図のようなものがある程度、確立されていることはご承知の通りでしょう。
小林秀雄は『本居宣長』や『ドストエフスキーの生活』と並んで『モォツァルト』がその代表的な評論として数えられている。小林秀雄の文章はしばしその断定的な言い回しや結論付けなどから中野重治がさんざっぱら批判の対象としてきたけれど、このスタイルは彼の口に言わせれば「評論とは己の夢を懐疑的に語ること」(『様々なる意匠』)とあるように、いわば小林自身の主観に立つ世界の見え方そのものを彼の言葉を通じて表現しているのだから、断定的にな表現の折々は仕方のないことなのだろうと正当化したりもしている。そこにフランス文学の影響が云々などとも言ったりもしているが、それでもともかく、自分は時折として、この小林秀雄のような評論というのは今日、すっかり歴史化された彼の言葉に深い感銘と共感を覚えたりもした。
それはある意味で、今日の一般的な評論と呼ばれる行為、評論家と呼ばれる人たちの立ち振る舞いにどこか辟易とした感覚を覚え、彼らがアウフヘーベンしようとしてきたものに対して、逆にアウフヘーベンし返すような、いわば新古典的な評論のあり方を見出そうとしているのに他ならない、一種の偏屈だ。

さて去る5月の暮れに神田神保町の靖国通りを散歩していた。普段は吉祥寺の方を庭としているのだから、いつも神田神保町に行けるわけでもないので、いわば月に何度かの楽しみの一つでもあった。
世話になっているササキ・レコードさんに挨拶に行ってCDを何枚か買ったあと、そこから正面の路地を通ってすぐ左、パッとして分からぬようなビルの7階に富士レコードという店があった。恥ずかしながらこんなところに中古レコード屋があったんだなと思い入ってみると実に充実した在庫事情で、以前からないかなと思っていたようなCDの中古があったり、グランドスラム・レーベルの新譜が棚目一杯にあったりと非常に目も綾な時間だった。4枚も買ってしまった。
その帰り道に講談社文芸文庫から出ている吉田秀和の『ソロモンの歌』に収録されている小林秀雄評に目を通した。曰く、吉田秀和が作家の大岡昇平の自宅に赴いた折、たまたま同席していた小林秀雄と会い、吉田、大岡、小林とでレコードを鑑賞しようという話であった。
意外とも言えば意外とも言えるし、額面通りと言われれば確かにその通りでもあるのだけれど、小林秀雄は名人の演奏を好んで聴いたという。ただ一方で大岡昇平のレコードのコレクションを見てみると、どうにも小林好みの名人による演奏がほとんど不揃いであったというのが話のオチであったのだけれども、その中で登場した一枚にユンディ・メニューインの弾くシベリウスのヴァイオリン協奏曲があった。指揮はエイドリアン・ボールト、ロンドン交響楽団によるもので、いわんや東芝EMIから出ていた赤いやつである。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲は聴かなくなって随分久しく、とりわけこれといった象徴的な理由があったわけではないのだけれど、どうにもある時期を境に、シベリウスやスメタナ、ドヴォルザークといった国民楽派の作品への受け付けが悪くなったからなのかもしれない。とはいえ、パヴェル・ハース四重奏団のスメタナはこれ以上のものはないだろうと評価しているし、舘野泉がEMIから出したシベリウスのピアノ小品集なんてのは最高だ。ドヴォルザークでいえばコジェナーの歌う『聖書の歌』なんていうのは他の追随を許さないような逼迫した緊張感があって良い、交響曲で言えばセーゲルスタムがCHANDOSから出したシベリウスの全集なんかが彼の交響曲の形態としてのすごろくでいうアガリを付けたような感じを受けたりなどと、一定の感想は抱いたりもしていたけれど、これらもすっかり埃をかぶってしまっていたのかもしれない。
そんなわけで読んでいてどうにもシベリウスの協奏曲が聴きたくなって仕方がなかった。また最近発売されたジャニーヌ・ヤンセンとクラウス・マケラの新譜がシベリウスのそれこそヴァイオリン協奏曲であったことも、その欲求に良いスパイスとして片棒を担いていた。
家に帰って棚を漁っていると、悲しいかな当該のメニューイン、ボールトのシベリウスは無かった。持っていたと思っていたがきっと聴かなくなっている間に手放してしまったのだろう、惜しいことをした。代わりにクーレンカンプによるシベリウスのヴァイオリン協奏曲が見つかった。これはメニューインと同じく東芝EMIのもので、指揮はヴィルヘルム・フルトヴェングラー、演奏はベルリンフィルハーモニー管弦楽団によるものだった。

フルトヴェングラーの録音の中でシベリウスを取り扱ったものは非常に少ない。知りうる限りこれと交響詩「エン・サガ」をやっていたが、逆を言えばそれくらいだ。同じ理由でドビュッシーとラヴェルも少ない。こういったものはもちろんフルトヴェングラーがあらかじめレパートリーを選抜していたこともあっただろうし、演奏会を取り仕切るプロモーターからの意向によるものが大概だ。こういう場合、指揮者自身が率先して開拓しようとしているケースはあんまりないように思える。
ともあれこのフルトヴェングラーとクーレンカンプのシベリウスを何故持っていたかと言えば、それは自分がこれでもかというくらいクーレンカンプに対して奇特な興味を持っていたからに他ならない。
自分がクーレンカンプを知ったのはシューマンのヴァイオリン協奏曲からであった。おそらくここからの入門というのは珍しくないことだろうけれど、通常で言えばやはりフルトヴェングラーを通じてこのシベリウスであったりあるいはベートーヴェンの協奏曲からの方がもっぱら一般的だと思う。然るにシューマンの協奏曲からクーレンカンプを知ったなんて言ったら、ろくな末路を辿らないだろうなあなどとも思うわけだけれども、ともあれクーレンカンプのヴァイオリンというのは言い換えれば典型的な19世紀的なロマン主義的な表現語法を生体濃縮したような演奏をしている。緩急やダイナミクスレンジを取り仕切るボウイングやフィンガリングの妙技を知るものはすっかり現代では死滅してしまったわけだけれども、レコーディングというレンズを通して望遠する彼のヴァイオリンには聴くたび、凝り固まった作品に対するイメージや印象を打ち砕いてほぐし尽くすような力強さと理屈じゃ表しきれない説得力を見出してならない。
これがまたフルトヴェングラーとの共演がそれを加速させてくれる。それは運慶・快慶の仏像とそれを撮る土門拳のモノクロ写真を見ているようである。
小林秀雄が何故、名人を好んで聴いたか、この真意は本人にしか分からない。しかし邪推するに「野菜や肉を買うなら青山の紀ノ国屋、魚だったら広尾の明治屋か、少し遠くて築地市場、パンなら代官山のシェ・リュイとかけて、ケーキは六本木ルコント、銀座はエルドール」と言ったところなのだろう。この感覚を最初聞いたとき、何のこっちゃとも分からなかったけれど、その月の頭に亡くなった祖母の葬祭の最中で親戚と話していた時に、祖母は「寿司を食うなら高円寺、葱一本買うにしても、どうせ買うなら良いものから」と言う振る舞いを覚えていたらしく、やはり何となく通り繋がりの中で小林秀雄もまた「どうせ聴くなら良いものを」と言うのを地で行く人なのかななどとも考えたりもした。
クーレンカンプとメニューインとではだいぶ演奏の振る舞いこそ違うけれど、どちらもいわんや名人に変わりはない。
しかし今日、クーレンカンプのような荒っぽくてささくれだらけながらも、どこまでも分厚く含意に富んだ表現をもった演奏は今日ではすっかりウケが悪い。確かにボウイングの分厚さで言えばイザベル・ファウストのようなものが今日ではあるけれど、そのメリハリの付け方やオープンストリング1つとっても、ファウストの演奏には確かにそこにスマートなものが内在している。
どれくらいスマートであるか、これはある意味で、21世紀における演奏法上の命題なのだろう。そういう意味で言えばギドン・クレーメルの演奏というのはその推移を如実に表しているように見受けられる。例えばムーティとやったそれこそシベリウスのヴァイオリン協奏曲 (1980年代の録音)を聴いて、その後に最新のワインベルクのヴァイオリン協奏曲 (2020年代の録音)を聴くと、もちろん作品自体の年代も作風も違うのもあるけれど、それ以上に決定的にボウイングやフィンガリングに炭酸のような刺激を伴ったスタイリッシュな表現が顕著になっているようだ。


HIP運動について


こうした演奏法上の流行り廃りの面白いところは、一度廃れたものが全く後世の人たちの妄想によって再解釈されて新古典という形で復活する可能性があるところだろう。そもそも振り返ってみれば今日のHIP (Historicaly Informed Performence、歴史的な知識に基づく演奏法)と呼ばれる運動、日本では古楽運動といまだに言われているそれであるけれど、こうした運動だってそもそもは「19世紀的な奔放な演奏法を廃して、作品が作曲された当時の演奏法を再現しよう」というものの現れだったではないか。しかしこうしたHIPの運動も当初はバロック、ルネサンスの作品が中心であったものがクリストファー・ホグウッドによってモーツァルトに拡大され、フランス・ブリュッヘンによってベートーヴェンへと発展し、ジョン・エリオット・ガーディナーがシューマンに適応させ、フランス・グザヴィエ・ロトがドビュッシーやストラヴィンスキーで再現させ、パブロ・エラス=カサドがファリャを演奏するまでに至った。
その過程でもはや「19世紀的な奔放な演奏法を廃して、作品が作曲された当時の演奏法を再現しよう」という宣言における最初の前文「19世紀的な奔放な演奏法を廃して」の部分は完全に死文化してしまった。今日、誰も19世紀的な奔放な演奏法とは果たして何であったのか知らないし分からない。その上、この「当時の演奏法」の照準がバロック・ルネサンスだけであったものが今日では19世紀的な演奏法が一般的であったその時代にまで拡大されている。それであるにもかかわらず、ノン・ヴィブラート奏法であったり、チューニングであったりがいまだにバロック・ルネサンス期のまま抜け出せていないのは笑止としか言いようがない。

ワンダ・ランドフスカという鍵盤奏者がいた。彼女はチェンバロという楽器を20世紀の初頭に復興させ、今日に至るHIP運動の黎明を支えた重要な人物であったが、彼女がその過程で「発明した」モダン・チェンバロというものは今日ではすっかり文献資料によって否定された楽器の一つだ。
まあチェンバロを再現すると言っているのに鋼鉄製のフレームを組み込んだりしているのだから、そう言われてしまうのは仕方のないことではあるのだけれども、こうしたモダン・チェンバロは彼女の弟子のラルフ・カークパトリックや、さらにその先にいるカール・リヒターへと伝播する過程で、並行して進んだチェンバロ研究の「成果」によってすっかり歴史の中にインデックスされてしまった。
パブロ・エラス=カサドがファリャのチェンバロ協奏曲をレコーディングすると聞いた時、自分はこれ以上ないドキドキを覚えた。それというのはこの作品が他ならぬワンダ・ランドフスカの委嘱によって書かれた作品だからだ。彼女は他にもプーランクやミヨーに同様の委嘱を行なっており、そうして出来た作品は本来、ランドフスカのモダン・チェンバロの響きを想定していたものであるからだ。ところでこのモダン・チェンバロといっても、それがカークパトリックの代になっただけでも随分と今日のチェンバロの繊細で細い響きに近づいて行った。カール・リヒターの代になればもっとそうだ。反対に言えば、ランドフスカの頃のモダン・チェンバロ、もっと言ってよければランドフスカのモダン・チェンバロだけが飛び抜けてぶっ飛んだ音をしていたと言ってもいい。自分は以前、荻窪の月光社で買ったランドフスカのスカルラッティのソナタを聴いて腰が抜けたような思いをしたことがある。それは言うなれば歪みのエフェクターをこれ以上ないくらいかけたエレキ・ギターのような雷鳴のような響きをしていたわけで、これがチェンバロの音であるとはとてもじゃないが考えられなかったわけなのだけれども、ともかくそれ以来、ランドフスカの、ランドフスカ・モデルのモダン・チェンバロによるファリャやプーランクをいずれか聴きたいなあなどと感じ入っていた折にエラス=カサドがこうしたレコーディングをだしたのだから、それはもう楽しみで仕方がなかった。

一度ランドフスカの音を聴いた上でエラス=カサドを聴いてみれば分かるのだが、この演奏はあまりにも音が細すぎる。またその上であまりにもチェンバロのメソッドでモダン・チェンバロを弾いてしまっているのだ。
これは以前に、ムジカ・アンティクワ・ケルンの演奏を聴いていた時に、完全にモダンスタイルのボウイングやヴィブラートをしながらバロック・チューニングで演奏をしているそれを聴いた時と全く同じ感想だ。
これは決してチェンバロを弾いたバンジャマン・アラールに非があるわけではない。ましてパブロ・エラス=カサドも悪くない。これを企画立案したハルモニア・ムンディのプロデューサーだって悪くない。
この結末はむしろ、誰がやるにしてもいずれ誰かがぶち当てて、誰もが引き出し得た可能性のあった問題でもあった。それはランドフスカに限らず20世紀の頃になると作曲者の自作自演録音やいわゆる「当時の演奏法」がレコーディングを通じて記録されてきたわけで、もはやそこにHIP運動を支えた宣言「19世紀的な奔放な演奏法を廃して、作品が作曲された当時の演奏法を再現しよう」における後文もまた否定されてしまったのではないか。
21世紀におけるHIP運動というのはもはや1周を経たことによって自らの運動のためのテーゼを自ら自身によって否定してしまった。というよりも、そこには1周したことによって運動そのものがHIP化され、そこにはもはやHIPではないHIPに似た新古典的な演奏法、言うなれば「HIPに立つHIP」が確立されたと見ても良いのかもしれない。

これはあくまでエラス=カサドとアランがぶち当てた20世紀のチェンバロ作品という問題の上での結論であったけれど、これがまたヴァイオリンの方面で飛躍すると話は最初のものに戻る。
つまり言ってしまえばクーレンカンプのような演奏法が再解釈され「HIPに立つHIP」運動の中で復興するのではないかという期待でしかない。これはいわば妄想でしかない。おそらく、仮にその通りになったとして、がっかりするだけなのかもしれない。だけれども、人が再びクーレンカンプを見出し、メニューインを再発見し、オイストラッフを経てクレーメルへと至るような道を新古典的に再舗装し直すとき、どのようなサウンドが再現されるのかに言い得ぬ期待感を覚えてならないのだ。

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